第十四話 解体からの街づくり
王族として恥ずべき行為をしてはならない。
幼少の頃からジルベールはそう言われ続けてきた。
卑怯なこと、信頼を裏切ること、後先考えないこと。
国の長たるにはまず人間として手本となる人格を備える必要がある。
無論、統治者として敢えて人の道に外れた行いを為す必要もあるだろうが、それはあくまで外的な要因によるものであるべきで自己の欲求に基づくものであってはならない。
非人間的に国家の歯車としての国王であるために育てられたジルベールの人格は極めて清く正しいものだった。
権力者としては異例のレベルで。
だからこそ、彼は自分自身が産み出したこの状況を信じがたく思っていた。
「……俺はこんなに誘惑に弱かったか?」
彼の腕に抱かれる彼女の栗色の髪を撫でながら、そう呟いた。
事の発端はジルベールがディナリスと共に船団と合流して間もない頃に遡る。
「せっかく陸地に着いたと言うのに何故、船上暮らしなのだ!
毎日小舟で往復しなければならないし、雨風吹けば揺れに揺れる!
こんなところで暮らせるか!」
船内の一室で行われている会議において、ジルベールはレプラとシウネに不満を打ち明けた。
レプラは恭しい態度で答える。
「拠点ができるまでどうかご辛抱ください。
現在、総員を挙げて御身の寝所となる居城を建設中ですので」
「…………居城?」
ジルベールは耳を疑った。
レプラは不満げに言葉を続ける。
「もっとも、城といっても男爵家の屋敷程度の規模が精一杯でしょうが。
幸い、建築関係の職人もいますし人足として働く者も多数おります。
ふた月もすれば、お迎えできるかと————」
「たわけかっ!? 今のこの状況で豪華な屋敷など作っている場合か!!
お前が言っていた森の妖精とやらの襲撃は当面あり得ないのだろう?」
ジルベールはレプラからこの新大陸に関する情報を聞いている。
広さは中央大陸の4分の1程度。
気候は平野部は温暖で降水量も多い。
おかげで食糧や水の調達には不便しない。
人間という天敵がいないことからモンスターは繁栄を遂げている可能性が高い。
森の妖精以外に土の妖精がいる。
基本的に彼らは自分たちのテリトリーを侵されない限りは他種族と不干渉。
以上の点から、当面は自分達の生活の確立に向けてのみ力を振れば良いとジルベールは考えていた。
「城の建設計画は中止だ。
住居など木造で十分。
俺の住居は最優先でいいが、できる限り早く船で寝泊まりする人間を無くすんだ。
そうでなければ民も仮住まい気分が抜け切らんだろう」
「御意に。
木造でしたら半年もあれば全ての民にひとまずの住居は確保できるかと」
「それでも半年か。
この地の冬が厳しくないと願いたいが……」
渋い顔をするジルベール。
そこでシウネがおずおずと手をあげる。
「あのぉ……ジルベール様にご進言奉りたき事が————」
「いちいち堅苦しくするな。
俺はもう国王ではない。
今こうやってお前達の計画に口を出しているのも自分の快適な環境づくりのためなのだからな」
フン、と悪びれるジルベール。
シウネは彼の言葉に従い、普段の口調にて語り出す。
「ではではジルベール様。
私めによい考えがございます。
これを実行すれば、ふた月かからず全ての民に住居を充てる事が可能かと」
ひひっ、と引きつったような笑いを浮かべるシウネ。
下層階級出身の彼女はその突出した優秀さが評価され、ジルベールが設立した大学進学の奨励金受給者第一号となった。
以降も学術研究における様々な最年少記録を塗り替え、幅広い功績を挙げている。
王国発展の歩みを数十年繰り上げる逸材と称されていた。
一方で変わり者で有名であり、男所帯の研究室で寝泊まりし寝食を忘れ研究に没頭し、髪の毛はボサボサ、皺だらけの服を着て不敵な笑みを浮かべているものだから表舞台に立たせる時には上司たちが苦労しながら見目を整えさせることが常だった。
これだけ聞けば貧相で見目の悪い変人を想像してしまいそうになる。
が、シウネ・アンセイルは着飾る事を得意としないだけで素材は抜群の美女である。
金色がかった黒目がちの瞳で上目遣いで見つめられたジルベールはドキリとしてしまう。
昨夜もディナリスと夜を共にしていたが、若さゆえの昂りは節操なく彼を翻弄し続けている。
「どのような手段だ?
聞かせてくれ」
己の煩悩を振り払うように早口で尋ねるジルベール。
自信満々の表情で応えるシウネ。
「ハイ。レプラ様の指示でゼロから開拓することも視野に入れた準備をしてきましたから、この地に資源がありさえすれば王都の文明レベルを再現することも時間の問題です。
ただ、現状において我々は原始時代に戻ったようなものですからね。
開拓と街づくりが進み、生活が安定してくれば先に進めますが最初のうちはゆっくりとした歩みになるのは仕方ありません」
「わかっている。
今、拠点として作られている建物のほとんどが掘立て小屋であることから見て、建築資材の加工すら後回しになっているのだろう」
「まさにその通り!
いやぁ、改めて文明というのは積み重ねだな、と。
古代にすら存在していたものがない街づくりというのは数式定理の知識なしに数学の難問を解くようなもの。
使う数式をひとつひとつ証明し、確立せねばなりません」
婉曲で長々しい説明は政治決定の場では嫌われるものだがシウネが楽しそうに語るのでジルベールは続けさせた。
好きなものに夢中であるその姿は生来の美貌と同等かそれ以上にジルベールを愉しませるものだった。
「…………で、お待たせし過ぎてしまいましたが、結論を申します。
ジルベール様。船の解体許可をください。
五隻……いや、三隻いただければ解体して得た資材を元に街づくりの基盤となる施設とあなた様の館を作る事ができるでしょう」
シウネの思い切った提案にジルベールは驚きながらも瞬時にその主旨を理解した。
「なるほど。船に使われている木材は既に加工済みのものだ。
それを転用すればほとんど組み立てるだけで建物が作れる。
そうかそうか。たしかにこの船自体が城のようなものだからな。
木材だけではない。
錨に使っている鉄や帆に使っている布も原材料一から加工するとなれば大変な手間だが流用すればその工程を飛ばして街づくりを進められるというわけか」
「おっしゃる通り!
この計画は早い段階で考えてはいたのですが船を解体するとなるとジルベール様の許可を取らない事にはと思いまして……」
「何度も言うが俺はもう王ではないのだ。
自分たちで判断して進めれば良いだろう」
ジルベールが呆れ気味に言うと、ボソリとレプラが、
「その割にお考えがたくさんお有りのようですが」
と呟く。
ジルベールは居心地悪そうに頬杖をついて反論する。
「快適な隠居暮らしのために口出ししているだけだ。
開拓と街づくりは急務だからな。
俺だって働きたくはないがこれだけ大規模な事業の計画や構想を具体的に練ったことがある者はいないだろう。
拙くても誰かが声を上げねば政は進まん」
シウネはおぉ、と感嘆の声を漏らした。
ジルベールが国王であった頃はマスコミの偏向報道により史上最悪の愚王と揶揄されていたが、実の所、実行力に長け、迅速性とバランス感覚を両立した善政を行なっていた。
その事をシウネは知っている。
だが、実際に政務を行うジルベールを実際に見るのは初めてでその堂々たる振舞いと判断の速さに胸が掴まれる思いだった。
(流石のカリスマ性だなぁ。
レプラ様も優秀ではあるけれど、やっぱりジルベール様は指導者になるために生まれて来たようなお方ですねえ)
シウネは憧れの目でジルベールを見つめる。
するとレプラが柏手を打って発言する。
「じゃあ、頭脳はジルベール様とシウネにお任せするとして、私は手足を動かして参ります。
手始めに船の解体ですが」
「20隻。半数の船を解体して構わん」
ジルベールの指示にシウネが驚く。
「半数ですか!?
そんな事をしたらこの地から脱出できなくなりますよ!?
生活基盤が確立されたわけでもないのに」
「どの道、ここで自活できなければ詰みだ。
資材を早急に確保して街づくりの段階を進めるべきだ」
「たしかに合理的ですが……それでも脱出手段がないというのは人々の重圧になるのでは」
「どの道帰る場所などない。
ダールトンの治世が何年保つかは知らんが私の一派というだけで処刑は免れん。
それでも半数を残すのは漁業や外国への買い出し……それと子どもらのためだ」
「子ども?」
「少なくない人数がいるだろう。
彼らは親の都合で私について来させられた者たちだ。
彼らが大人になりこの地から故郷に戻りたいとなった時に船くらいは残してやらんとな」
ジルベールは自嘲気味に笑う。
そこにある想いを慈愛であると汲み取ったシウネは、彼が国王として過ごした三年の重みを感じた。
あの袋小路のような王国の状況で、少しでも国を次代に繋げようと頑張られていたお方でしたね…………
大胆でも捨て鉢な考えではない!
と、シウネは腹を括って従う事にした。
「分かりました。
人々の不安は開拓の進行を以って排しましょう。
あーっ、それとですね!
それだけの資材があれば建築面はさらに合理的に進める方法があります!」
「ほう。聞かせてもらおうか。
レプラは解体計画を進めてくれ。
どの船を残すかはお前の裁量に任せる」
レプラはクスリと笑みをこぼして「御意に」と応え退室した。
扉を閉めた後、彼女はポツリと呟く。
「結局、あなたはすべて人任せにできるほど無欲ではないのよ」
ジルベールは民想いの王であった。
だが裏を返せば傲慢な王であったとも言える。
自分の力次第で民の幸不幸が左右されると思っていたのだから。
本格的に彼が陣頭に立つ日も遠くないな、と嬉しいような悔しいような想いを募らせていた。