第十一話 大切な誰かを
元々、ジルベールが乗っていた船は怪鳥の襲撃による損耗があったものの、船室に被害はなかったので寝床や食事の場として使われていた。
清潔に洗濯されたシーツが張られたベッドに全身をくまなく清め拭かれたディナリスが寝かされる。
その間、彼女は一度も目を覚ましていない。
寝顔を眺めるジルベールは安堵しながらも自分のために身を削ってくれた彼女に深く感謝していた。
「ありがとう。
きっと私だけでは巣を脱出できても、ここまで辿り着けなかった。
少しは腕に自信があったのだが、やはり王宮の庭で稽古しているだけでは実際の戦闘では通用しないな」
眠るディナリスにその声は届かないが、構わずジルベールは語りかけ続けていた。
そこにドアをノックしてレプラが入室してきた。
「ジルベール様……よくぞご無事で!」
「ああ。心配かけたな」
感極まった表情のレプラに対してジルベールは落ち着いたものだった。
その事にレプラは違和感を覚えた。
「なにか……感じ変わりました?」
「それはこちらのセリフだ。
どいつもこいつも俺を珍しいものを見るように……
元王族だろうが、何日も野宿してモンスターと戦ってしていれば薄汚れるに決まっているだろう」
「いやそうではなくて……まあ、良いです。
それにしてもディナリスはよくやってくれました。
彼女がいなければと考えるとゾッとします」
「ああ。返し切れないほどの恩ができてしまった。
つくづく俺なんかには過ぎたるものだよ。
ディナリスは……」
自虐気味に苦笑するジルベール。
そんな彼を元気付けようとレプラは少し声のトーンを明るくして気安く喋りかける。
「大丈夫ですよ。
彼女はジルベール様をお慕いしてついて来ているのですし。
自分にしかできない役目を果たせて本望でしょう。
目が覚めたら労いのつもりでキスの一つでもしてあげれば良いですよ」
「そうだな。いっぱいしなくちゃいけないな」
「そうですとも。ガッツリと…………え?」
キス、という単語に慌てふためくジルベールの姿をレプラは予想していた。
だが、彼の反応は余裕あるものだった。
「……まさか、この何日かの間にディナリスと」
「いちいち神妙そうな顔をしないでくれ。
俺だってもうすぐ19だぞ。
女を抱いてなにが悪い」
「……抱く、というのは、スキンシップとしてのハグとか抱擁とかではなく————」
「まわりくどいな! 子作りをしたのだ!
いや……まあ、できないように彼女が計らってくれたが……」
「まあ」
わざとらしくレプラは自らの口を両手で覆う。
一方ジルベールは自白した事を早くも後悔していた。
姉であり、側近であり、最も長い時間を側にいてくれたレプラ。
そんな彼女に性事情を知られるのは気まずい以外にの何物でもない。
ジルベールの繊細な男心をレプラは見抜きながら、ほくそ笑み、拍手をした。
「ジルベール様。童貞の御卒業おめでとう御座います」
「誰が童貞だ! 一応妻帯者だったんだぞ!
アリバイ作り程度ではあるが、子作りだってした事がある」
「でも、あのクソ生意気な勘違い娘のフランチェスカの事ですから大した奉仕もしてもらえなかったでしょう」
「まぁ、それは…………」
大正解である。
建前上、夫婦であるジルベールとフランチェスカは少ないながらも関係を持っていのだが、彼女は嗜好に合わない夫に尽くすことは一切せず天井のシミを数えていた。
ジルベールも女遊びを知らず、また興味もなかったため技巧が磨かれることもなく、二人の情事は淡白でつまらないものだった。
その事が夫婦関係が冷め切ったものにしていく悪循環を続けていた。
満たされない思春期を送ったジルベールの元に颯爽と降臨したディナリスは真摯な愛情と経験で培った技を以って、彼に献身的に尽くした。
それは酒を飲んだことない少年に火酒を一気飲みさせるようなものである。
(女を抱く事があんなに素晴らしいものだなんて知らなかったよ……
あの気高く強いディナリスがあんな優しく丁寧に尽くしてくれるのも衝撃的だったし、こっちが何かすればちゃんと反応を返してくれるから気分良かったし、姿も仕草も声も表情も……全部可愛かったなぁ)
濃密な夜を思い出して鼻の下を伸ばすジルベール。
当然、レプラが見逃すはずもない。
「どうやら彼女の虜のようですね」
「……怒っているのか?
心配をかけていたのに不謹慎だと」
不安そうなジルベールをレプラは笑い飛ばす。
「まさか。むしろ大きなケーキでも焼いてあげたい気分ですね。
ようやくちゃんと好きな相手と結ばれたんですから。
好いているんでしょう?
ディナリスのこと」
ジルベールは照れ臭そうに頭をかきながらも首を縦に振った。
「ディナリスは素敵な女性だ。
自分の身を呈して俺のことを守ってくれる。
命だけでなく、心も。
俺が自分勝手に心押しつぶされそうになっていても強引に引っ張り出すみたいに救ってくれた。
そして、俺のことを全部受け止めてくれた」
「私にはできなかったことですね」
「え……いや、お前は……」
自嘲気味に笑うレプラ。
慌てて弁明しようとするジルベールをレプラは遮るように言葉をかける。
「私はねえ様ですので、それで良いんです。
今更、妻や恋人、もしくは愛人なんかに成り下がりたくないですよ。
良いじゃないですか、ディナリス。
私も彼女のことは気に入っていますよ。
あなたを心底気にかけているみたいですから」
レプラの本音だった。
彼女もまたジルベールの幸せを願い、そのために身命を捧げる事を厭わない人間である。
しかし、彼との男女の関係を求めているわけではなかったし、嘘の愛情で誑かすような真似をしたいとは思わなかった。
自分の手の届かないところを埋めてくれるディナリスの愛情をありがたく感じていた。
おかげで私はねえさまでいられる。
レプラは心の内で呟くと、弟を慈しむような目でジルベールを見つめ、その背中を叩く。
「大事にしてあげなさい。
彼女も、あなた自身の気持ちも」
ジルベールは振り向きもせず「ああ」とだけ返して、ディナリスの寝顔を見守りつづけた。