三日目
翌日、陽向は迷っていた。両親の死を実感してまだ一日。悲しみから立ち直れているはずもなく、動く気力などまるでない。しかし、世界を救わなければならないという遺言が残っている。適当にロボット掃除機の紙パック交換と吸引力強化を施すも、の相反する感情に挟まれていることには変わりない。そして、ようやく導き出した答えがきちんと葬儀をするということだ。そのために必要なもの、それは棺である。
本来であれば、警察を呼んで現場検証などをするのだろう。しかし、この町の秘密が詰め込まれているこの部屋に部外者など招けまい。いくら警察とは言え、万が一のことを考えると警察ですら呼べないのだ。
また、通販を利用してもよいのだが、数年間放置されていた遺骨を更に数日待たせるというのも陽向には心苦しかった。そして、恐ろしいのは暴徒だ。太陽の停止や消失に耐性のついた町民だが、天変地異となれば話は大きく変わる。世界の崩壊だのデマが蔓延り、町の中心部は阿鼻叫喚と化している。齢十数年の少女が、行くにしては危険すぎるのだ。
幸いにも、陽向の家は町の郊外。街灯もなく真っ暗などが功を奏しているのか暴徒も少なく、陽向は周囲を確認しながら外へと出た。
「まあ、大丈夫だよね……」
目的の葬儀屋は町の郊外にある。人の遺体が毎日運ばれる施設が町中にあるのは誰だって嫌だからだろうか。陽向は持ち運びに便利な小型タブレットで道を確認し町の葬儀屋へと向かった。最近は科学が発展してきたせいなのだろうか、世俗的な考えが広まっている。中には敬虔的な人もいるが、棺に個性を出したいという人もだいぶ増えていた。そのため、棺を買って装飾を施すというのは珍しくはない。
けれども、葬儀屋の職員からしてみれば陽向は異質だった。死期の近い老人が買うのが普通で、動けない場合は大人の代理人を立てるのだ。それに、通販もある。運ぶのが大変な棺を、十数歳と思しき少女が二人分も買う様は不思議な光景だった。
棺を買った陽向は、珍しいものを見るような顔をしている葬儀屋職員に見つめられながら葬儀屋で受け取った。そこで、陽向は一つの壁にあたった。どうやって運ぶのかだ。タクシーでも拾おうかと陽向は考えたが、トランクに入るものではない。
陽向が出した答えは、棺台に二台を載せて運ぶということだった。葬儀屋を出て、目立たないように町の外側を歩きながら帰路につく。
空が落ちて以降、天が明るくなったときはない。町の中心部であれば、街灯で埋め尽くされ明るい。しかし、家屋の少ない外側では数メートル先を見るのがやっとのことであった。
「特に何もなくてよかった」
陽向は少し軽はずみな声を出した。そして、後少しで家だというとき、閑散な通路に異音が近づいてきた。その異音はどんどん近づき、陽向は間一髪のところで避けるも、その異音の正体──車は停まる気配なく陽向の家に突っ込もうとしていた。
エンジントラブル、或いは運転手になにかあったのか。そんな心配をする間もなく大きな音を立て車は陽向の家に突っ込んだ。窓の割れる音、者が吹き飛ぶ音。様々な音が刹那の間に周囲へと響いた。元々年季の入っている陽向の家は比較的脆く、容易に壁には穴が空き壁の構造も丸見えである。
「……。お父さん!お母さん!」
物など壊れても新しく買えば良い。だが、遺体は代わりのものなどない。急いで家の中に入ろうとするが、車のドアが勢いよく開くと気圧されて陽向の足が止まった。車の中から出てきたのは、家を壊してしまって罪悪感を覚えた人物とはまるで違った若い男だ。身長は百八十センチメートルほどで、体格も大きく防寒のために厚着をしている。その男は車から降り終わると陽向の方を向いた。
「ああ?」
男は陽向の存在を訝しがるように睨んだ。
「何見てんだ?……それともここがお前ん家か?」
男は家と陽向を交互に見ながら推察する。その睥睨により、陽向の体は完全に固まってしまった。男は全く気にする素振りを見せずに家の中を見渡した。
「誰もいないな。独り暮らしか?」
そして男は気づいてしまった。家の奥にある、異質な物に。足元を気にすることなく家中を踏み荒らし、その異質な物──二人の遺骨を乗せたブルーシートを。近くでまじまじと遺骨を見つめた後、男は手を顔に当てて壮大に笑い始めた。
「死体遺棄は犯罪だぞクソガキ。俺も他人のこと言えた義理じゃないけどな。まあ、俺を通報したって無駄だぞ。警察は中心街の犯罪処理に追われててとてもじゃないがこんな郊外の事件なんか気にしてる余裕はない」
男は興味深そうに二人の頭蓋骨を手に取ると、そのまま床に向かって叩きつけた。そして剰え靴で勢いよく蹴り飛ばした。
「え……」
体が動かない以上、こうやって声を捻り出すのがやっとだった。存続を穢されて、虫唾が走る。すぐにでも止めさせなければならない。けれども、凡人の陽向にそんな勇気などあるはずもなかった。
「骨ってやっぱり硬いのな。で?お前は傍観してていいの?止めないってことはお前が殺ったの?」
大切な両親を殺すわけがない。そう何度も叫ぶが、全部心の中でだ。
「ち、ちがっ!」
辛うじて出た言葉がそれだった。しかし、体は一向に動かず立ち尽くすのみ。
「ま、どっちでもいいよ。どうせ世界は終わるんだからなぁ!」
男は勢いよく踏みつけると、小さな骨から聞きたくもない音が聞こえた。踏み荒らされた影響でどちらの骨かすらわからない。そして、その骨は二つに割れていた。
「ふぅ……。つまんな」
突如として骨への執着を止めた男は、再び陽向の方を睨んだ。
「やっぱり反応がある生きてる方が楽しいな」
そうして男は陽向へと近づき腹部に拳を入れた。陽向は一瞬呼吸ができなくなったかのような感覚になり声を出す間もなく転がった。しかし、苦悶の表情を浮かべることで精一杯だ。一方の男は殴ったことで気分を良くして陽向へと近づいた。
殺される。陽向自身も、陽向の両親も、そしてこの世界も。それだけは嫌だと強く思う。しかし、非力な陽向では敵いっこない。
「なら……」
陽向が服から取り出したのは、小型のタブレットだ。急いで操作すると、家の中から男に向かって突進してくるものがあった。
「なんだぁ?」
男は音に気を取られた。そして、その物体は男に当たると体を登っていく。大きな体格でなかったら登れなかっただろう。男がてんやわんやしている間に、その物体は男の頭髪部まで動くと大きな音を立てて吸引し始めた。
「いいった!なんだこれ……」
必死に男は除けようとする。しかし、その尋常ではない吸引力のせいで髪の毛が絡まり痛みが生じて本気で振り切れないのだ。
陽向がタブレットで動かしたもの、それは改良したてのロボット掃除機であった。圧倒的な吸引力で髪の毛を吸引し離さないため男は悶絶する他ないのだ。
しかし、そのまま警察が来るのを待てるわけではない。バッテリーもそれほど多くはないのだ。それに、振り切れてしまうかもしれない。陽向、両親、そしてこの世界を守るためには、ある方法が必要だった。
「殺さないと……」
人殺しなど、世界を救うヒーローにはあるまじき行為だ。それに、男は家の中を荒らし陽向の両親を無碍に扱ったが、人殺しまではしていないしする気もない。陽向の過剰防衛他ならない。さすがの陽向も躊躇し、呼吸が早くなる。しかし、事態は待ってはくれない。男は頭頂部を壁に叩きつけることによりロボット掃除機を壊そうとしているのだ。男の力ならそのうち壊してしまうだろう。
「はやく……やんないと……」
陽向の顔は真っ赤に染まり、汗の量も尋常ではない。男が藻掻いている間に台所に包丁を取りに行った。そして、その包丁を男に構えた。
しかし、男はロボット掃除機を叩きつけているうちに抜け出すことに成功していた。急いでタブレットを取り出すと、吸引部が壊れただけということだった。安堵している間もなく男は陽向の目の前まで来ていた。
「よくもやったなクソガキめ」
男の目は、今まさに宿敵を殺そうとする者の目だった。そして勢いよく顔面を殴りつける。腹部を殴られたときとは力の入れ具合が違い、今回は本気で殺しに来ている目だった。
そして、最悪なことに包丁を落としてしまった。手元にあるのはひび割れたタブレットのみだ。
「安心しろ。すぐに死なれちゃ楽しくないからな。刃物は使わないでやる」
そう言った男は何の躊躇もなく腹部を蹴りつける。声にもならぬ声をあげても男は先程と違い気分を良くはしない。常に怒り狂っていた。
必死で這いつくばり逃げ出そうとする陽向を、男は蹴り飛ばす。
「やっぱり殺そうかな」
陽向は血まみれでとても動けた様子ではない。そのため、男は包丁を取ろうと周囲を探ったのだろう。その瞬間。音を立てながら再びロボット掃除機が男に突進してきた。そして、陽向はタブレットを血まみれの指で操作した。
その瞬間、ロボット掃除機に入っていたゴミが勢いよく噴出したのだ。本来なら一瞬の足止めにしかならないものも、今回は違う。
「ぐっ……は」
男は急いで激痛のする腹部を確認する。男の腹部には、包丁が刺さっていたのだ。吸引とは違い、取れば良いというものでもない。男が蹲っている間に陽向は果物ナイフを台所から持ち出した。
「世界を救うには……犠牲が必要なんだ……」
言わされているような発言をすると、陽向はその果物ナイフを男の首元へと突き刺した。血が噴出し、すぐに男は動かなくなった。
「はぁ……はぁ……」
改めて陽向は自分が犯したことを実感した。そして、無言で家の奥にあるあの部屋へと向かった。
部屋の奥に掛けられた宇宙服という異質な服に全身を包むと、陽向は廊下に火を放った。棺には入れられなかったが、これが今陽向にできる精一杯の葬式である。軽く合掌をすると、部屋に戻り内鍵を締める。そして、覚悟を決めた。
「世界を救うヒーローか……。やっぱりなれなかったよお父さん」
二度と戻れぬ世界を二度見することなく、陽向は世界の外側へと出た。