女神との邂逅
「……ん?」
次にロゼが目を覚すとそこは何も無い真っ白な世界であった。先ほどまで居た筈の深緑の森とは打って変わり、辺り一面を見回しても自分以外の生物や植物、建物さえも存在しないどこまでも続く無の世界が目の前に広がっていた。
「何処だここ……? アタシはさっきまで森で戦っててそれで……あれッ!?」
その時、ロゼは自分の身体に起っているある異変に気が付いた。致命傷であった身体の傷が無くなっている事に、そして失った筈の右腕でその傷があった場所を触れている事に。更には体のあらゆる傷が癒えており、ロゼはますます今の状況が分からなくなり混乱する。
「傷がねぇ……腕も生えてる……一体どうなってやがんだ?」
「それは私が治療したからです」
その時、ロゼの背後から突然何者かの声が聞こえた。先ほど周辺を見回した時には誰もおらず気配すら感じなかった筈なのだがロゼは不意を突かれた様子で慌てて背後を振り返る。するとそこにいたのは神々しいオーラを放つ一人の女性であった。長くしなやかな金色の髪を伸ばし、空の様に澄んだ青い瞳、純白のドレスに身を包み、そして背中には白鳥の様な美しくも威厳のある翼が生えていた。
「ッ!!」
「驚くのも無理はありません。目の前の現実が信じられないのでしょう……」
女性の姿を見たロゼは眼を見開いて驚きの余り言葉も出ない様子であった。その様子を見た女性はやはりかと想定していたのか目を閉じて微笑む。
「ですが怖れる事はありません……私の名は……」
女性はそこまで言葉を紡ぐとゆっくりと目を開ける。だが不思議な事に目の前にいた筈のロゼの姿が無くなっており、今度は女性が困惑する。
「あれ? ……何処に行ったの?」
「ふんッ!」
その時、女性の背中に激痛が走る。何故なら女性が目を閉じている隙に背後に回り込んだロゼが背中に生えている翼を掴んで引っ張ったのだ。しかもそれは軽くではなく、かなり強めに引っ張った為に女性は驚きと痛みで悲鳴を上げる。
「痛だだだだだだだッ!? 痛いッ痛いッ痛いッ!!? ちょっと何すんのよッ!?」
翼を掴む手を振り解いた女性は涙目になりながらロゼに詰め寄る。先程までのお淑やかな言動は消え失せており完全にロゼに対する怒りに満ちていた。
「いやぁ〜その翼、本物なのかなと思って」
「本物に決まってるでしょ!? ほらッ!!」
女性は背を向けると翼を広げてバサバサと動かす。それを見たロゼも納得する様に「おぉ〜」と声を漏らした。
「全く! ……いきなり翼を引っ張るなんて……」
女性は掴まれた部分をさすりながらボソボソとロゼに対する愚痴を吐き、それと同時に翼に生える羽を綺麗に整える。どうやらよほど翼を大切にしているのだろう、一本一本丁寧に整えていた。
「で、ここ何処? アンタ誰?」
「今それを説明しようとしてたんでしょうがッ!!」
そんな女性を裏腹に腕を組みながら尋ねるぶっきらぼうなロゼの態度に女性はいい加減ブチギレた。そして自分を落ち着かせる為にロゼから少し離れた位置まで移動し、深呼吸をすると小声で「大丈夫よ私。落ち着いて行きなさい」と自分を鼓舞した。そして完全に落ち着きを取り戻した女性はロゼの前に戻って来ると「ごほんッ」と咳払いしてから語り始める。
「私の名はフィルス。生と死を司る女神フィルスよ。そしてここは審判の間……人間の魂は死後、全てここに送られて私の判断によって天国か地獄に送られるのよ」
その説明を聞いたロゼはハッと息を飲み、何処か察した様子で自身の両手を見つめる。
「……なるほどな。それじゃやっぱりアタシは……」
「そう……あなたは死んだのよ。あのモンスターに殺されてね」
改めて聞かされたその事実にロゼは目を閉じると無念を感じているのだろう、拳を強く握り締めて震わせる。しかしその拳はすぐに開かれた。
「そうか……それなら仕方ねぇよな」
「あら? 意外と素直ね。もっと動揺するかと思ったのに……思い残す事とかはないの?」
予想に反して事実をすぐに受け入れたロゼに意外さを感じる。フィリスはこれまで何億、何兆もの数え切れない数の人間に死を宣告してきた。その中でもモンスターや他人に殺された多くの人間は気が動転したり錯乱状態になったりと人によって様々な反応を見せるが、ロゼの様にすぐに現実を受け入れる者は珍しかった。
「旅を始めた時からずっと覚悟してたからな。それにそれに思い残しは無い……と言えば嘘になるが、死んじまった以上もうどうしようも無いからな」
「へえ、あなた結構潔いじゃない」
「まぁね……。ところで一つ尋ねたいんだが、アンタは今の世界の状況とかは分かるのか?」
「そりゃ分かるわよ。女神ですもん」
「それなら聞きたいんだけどよ、アタシと一緒にいたあの坊主は無事か?」
様々な思い残す事のうち、ロゼが一番気になっている事がそれであった。リクは果たして村まで逃げ帰る事ができたのか、今はそれだけが気がかりであった。
「一緒にいた子?ちょっと待ってね……」
フィルスは自分の前に右手を差し出すと何も無い筈の空間から鏡を出現させる。それは魔法とは明らかに異なる力であり、それを見たロゼは目の前にいるフィルスが本当に女神であるのだと再認識する。
「え〜と……何処にいるのかしら……。あ! いたいた! あなたと一緒にいた子なら今、森の中を走ってるわよ。もうすぐ村に着くし、あのモンスターもまだあなたの死体の側に居るからもう安泰じゃないかしら?」
そう言うとフィリスは持っていた鏡を手放した。すると空中でフワフワと浮遊し、そのまま跡形もなく消えてしまう。
「そうか……。ん? ちょっと待ってくれ、奴はまだアタシの所にいるのか? 結構時間は経ってる筈だぞ?」
ロゼはリクの無事を聞いて安堵する。しかし直ぐにある矛盾に気が付いた。ブルームーンタイガーがロゼを殺してから既に数十分が経過している筈であり、空腹で飢えている筈のブルームーンタイガーが未だに同じ場所に留まり続けているとは考え難かったのだ。
「あぁ、そういえば言い忘れてたけど、この空間と下界とでは時間軸にかなり大きな差があるのよ。そうね……下界での一秒はここでは一時間くらいの差かしら?つまり元の世界ではあなたが死んでからまだ一秒も経ってないのよ」
「なるほどね。そういう事か」
それを聞いてロゼは納得する。それと同時にブルームーンタイガーが自分の遺体をまだ捕食していないのだと知り何処となく安堵した。
「それで、アタシはこれからどうなるんだ? まさかとは思うけど地獄に行くなんて事ないよな?」
無駄話も終わり、いよいよ本題に入る。フィルスは先ほど自分が天国か地獄に送るのを判断すると言っていた。すなわち今ここでその結果が言い渡されると言う事である。ロゼ自身、地獄行きだけは絶対に無いという自信はあったが万が一の可能性もあると少し不安も強かった。
「安心しなさい。生前のあなたの行いは全て確認させて貰ったわ。審議の結果はもちろん天国行きよ」
「……それを聞いて安心したぜ。それならさっさと天国に連れて行ってくれよ」
フィルスの言葉にロゼはホッと肩を下ろした。そして長話をしていつまでもここに居るのは相手にも悪いと思い、足早にこの場から去ろうとする。だがロゼがその話を持ち掛けた瞬間、フィルスの顔色が次第に青くなり、更には冷汗を掻き出して明らかに動揺し始めた。
「あ〜……それなんだけどね……ちょっと問題があって……」
「問題? 一体どうしたってんだい」
「うん。実はあなたがここに来るちょっと前にね……」
ーー○ーー
ロゼが審判の間へやって来る数時間前。フィルスは普段通りに死者の生前の行いを審査して天国と地獄のどちらかに送る仕事をこなしていた。
「ではあなたの魂に祝福があらんことを……」
そしてたった今、また一人の人間を天国に送り終えたフィルスは深い溜息を吐くと何処からともなく現れたデスクに深々と座り込む。
「ハァ〜しんど〜……やっぱ高貴な女神様を演じるのって辛いわ〜」
フィルスは仕事上、神の威厳を保つ為になるべく清楚な女性を装えと他の神に言われていた為に本来の自分を偽ってこのようなキャラを演じているのだが、実際は面倒で仕方なかったのだ。
「でもまぁ仕事だし我慢しないとね。さてと次は……」
フィルスは机の上に手をかざす。すると一枚の紙と丸い水晶の様な球体が現れ、そのうちの紙だけを手に取るとそこに書かれている事を目に通す。そこには審査を受ける者のこれまでの生涯が詳細に書かれており、それを読む事でフィルスは審査しているのだ。
「……へぇ。なかなか面白い人生送ってるわね。この娘……なんで旅なんかしてたのかしら?」
紙に書かれていたその者の生涯を読み進めているとあまり見る事のない珍しい人生だった為、フィルスは興味を抱いた。と言うのも仕事中は他の娯楽に一切触れる事ができない為にここへやって来る者との話だけがフィルスにとって唯一の楽しみであったのだ。
「色々と面白い話が聞けそうね……でもその前にちょっと休憩しよ〜っと♪」
手に持っていた紙を再び机の上に置いたフィルスは足元の引き出しの中からスナック菓子とペットボトルに入っている炭酸飲料を取り出した。先ほども説明したが神は仕事の最中に一切の娯楽を禁じられている。即ちたった今フィルスの取っている行動は規則違反という訳なのだがフィルス自身は一切悪びれている様子はなかった。
「え〜と……コップは何処だっけな?」
引き出しの更に奥を探ろうとフィルスは頭を机の下の潜り込ませゴソゴソと探し始め、その際に頭を机にゴンとぶつけてしまい「いてっ」と声を漏らした。するとその衝撃で机の上に置いてあった水晶が徐々にゴロゴロと動き始め、机の端へ転がって行く。
「あったあった……あぁ!!?」
机の下から顔を出したフィルスはここでその事にようやく気が付く。しかし水晶はもはや机から落ちる一歩手前であり、慌てて手を伸ばすも虚しく水晶は机から落下するとその真下にあるゴミ箱の中へと入ってしまった。
「……ど、どうしよう……!!」
フィルスの顔が徐々に青ざめる。何故ならよりにもよって自身の不注意で最悪の事態を招いてしまったのだ。
「あの娘の『魂』落としちゃったぁぁぁぁぁ!!!」
何も無い真っ白な空間にフィルスの絶叫がこだました。




