初めての死
ロゼが森に入って数十分は経っただろうか。木々の間を駆け抜けていたロゼは木が全く生えていない広場の様な開けた場所に出た。ここが農婦の旦那が言っていた場所だと判断したロゼは周囲を見回すが、そこには人の姿はおろかここに住んでいる筈の馬たちの姿すら無かった。おそらく森に出現したモンスターの存在を察知して何処かへ逃げたのであろう。
「ここがそうだよな……けど誰も居ない……」
しかしそうなるとリクは何処へ行ったのであろうか。もしかすると既に村へ戻っていてロゼと入れ違いになった可能性もある。しかしそう決め付けるのは早いと判断したロゼはもう少し周囲を捜索しようと考えた。だが次の瞬間、ロゼは背後から鋭い殺気を感じ取り慌てて振り返る。するともう既にギラリと光る巨大な鋭い爪が目の前まで迫っており、咄嗟に右方向へ身を投げ出すと間一髪でそれを避けた。
「ッ!! あっぶねぇ……!」
避ける事は出来たが爪が掠めたのか血がツーと頬を伝う。そしてロゼに襲い掛かった何かは体の向きを整えて既にロゼを見つめていた。すると偶然にも雲に掛かっていた月が顔を見せ、月明かりが広場全体を灯す。
「なっ!? コイツは?!」
月明かりに照らされ、ようやく全貌が明らかとなったソレを見た瞬間、ロゼは驚愕する。
全長15メートルはあろう四足歩行で歩く巨体。月明かりによって輝く青と白の体毛。肉を裂くことに特化した造りの鋭い爪。そして口には二本の突出した鋭い牙を備えられている。その様な特徴を持つモンスターは一体しか存在せず、それと同時に現在考えられる最悪の敵であった。
「ブルームーンタイガー!?」
『ブルームーンタイガー』青月虎の異名を持つそのモンスターは危険度1に指定されている虎型のモンスターである。普段は樹海などの奥深くに生息しており滅多に人前に現れない事で有名なモンスターなのだが、おそらくこのブルームーンタイガーは生息していた森の餌を食い尽くしてしまい、この様な人の住む場所に近い森へと出てきてしまったのであろう。更に暫くの間、腹を満たす程の食事を取れていないのか通常時よりも苛立っており、ロゼを完全に獲物として捉えていた。
(不味いな……今の状況だと勝てないかも知れねぇ……)
ロゼは分が悪そうに空に輝く月を見上げた。何故ならブルームーンタイガーは月明かりの浴び具合よって自身の身体能力を大幅に上昇させる事が可能であり、それによっては危険度が2に上昇する場合があるのだ。現在の月明かりは満月ほどでは無いとは言え、空腹で苛立っている事を含めて考えるとロゼの目の前にいる個体は危険度2の強さを誇るであろう。
(ここで逃げたとしてもきっと何処までも追い掛けて来やがる……それにこのまま放って置いたら間違いなく村が危ない……仕方ねぇ、覚悟を決めるか!!)
どうあがいても逃げる事は許されない今の状況にロゼは覚悟を決めると刀を抜いて構える。するとそれに応えるようにブルームーンタイガーは姿勢を低く構えた。
「グルルルルルルゥゥゥ……ガゥッ!!!」
両者一歩も動かずに均衡状態が続いていたが、先に仕掛けたのはブルームーンタイガーだった。唸り声を上げて威嚇していたブルームーンタイガーは突然飛び掛かると爪でロゼを切り裂こうとする。それを刀で受け止めたロゼはそのまま受け流すと横腹に目掛けて刀を振るった。しかしその刃が届く事は無く、ブルームーンタイガーはもう片方の前脚で地面を蹴り上げると瞬時にロゼの背後に回り込む。
「速いッ!?」
咄嗟にガードを固めるが、その上から覆い被さる様に巨大な掌がロゼを襲う。まるで大型トラックに轢かれた様に吹き飛ばされたロゼはそのまま地面に転がり落ちた。
「ガハァッ!?」
体内にまるで臓器を直接殴られたかの様な鈍痛が走り、口から血を吐き出す。だがいつまでも倒れている訳にもいかず直ぐさま立ち上がると再び構えの姿勢をとる。
「ペッ……不味いな……予想以上に身体能力が強化されてやがる……ッ!!」
ロゼは口に溜まっていた血を吐き出すと次にどうするべきかを考える。ブルームーンタイガーの身体能力は想像以上に高く、生半可な攻撃では先程の様に避けられてしまうだろう。だがその時、ふと空を見上げたロゼはある事に気付く。
「よし……行くぞ」
そして何か名案を思い付いたのか突然走り出す。しかし向かう先はブルームーンタイガーでは無く逆方向の森の中であった。それを見たブルームーンタイガーもロゼを逃すまいとその後を追って森へ入って行く。
木々が入れ組んでいる森の中を颯爽と駆け抜けるロゼだったがある大木の前まで来ると体の向きを変えてブルームーンタイガーを待ち受ける。そして手の届く範囲まで近付いてきたブルームーンタイガーは右前脚の爪をロゼに向かって振るうが、ロゼは身を投げ出してそれを避けた。爪はそのままロゼの背後にあった大木を薙ぎ倒し、轟音を立てながら倒れる。
すると大木が倒れた影響によってそれに巻き付いていた無数の蔓が上から降り注ぐとブルームーンタイガーの胴体や脚に絡み付いた。そして絡み付く蔦から何とか抜け出そうと必死に身体を動かして暴れるが先程までの力を出せずにいた。何故なら森の中に入った事で月明かりが遮断され、ブルームーンタイガーは自ずと弱体化していたのだ。ロゼは最初からこれを狙っており、動けなくなっている事を確認するとニッと笑みを零した。
「そら、さっきのお返しだ!!」
動きが止まった瞬間、ロゼはブルームーンタイガーの側面に回り込むと刀で横腹を斬り裂いた。
「グルラアアアアアァァッ!!?」
斬り裂かれた傷口から大量の血液が噴出しブルームーンタイガーは森全体に響き渡る程の苦悶の咆哮を上げる。だがそれと同時に傷の痛みとロゼに対する怒りによって力が倍増し、一瞬であるが身体能力が先程と同等、若しくはそれ以上となり、巻き付いている蔓を生えている根元から引きちぎる。その際に上空から大量の木片が雨の様に周辺に降り注いだ。
「うわぁ!!」
「ッ!?」
その時、ロゼがいる位置からブルームーンタイガーを挟んだ反対側にある草叢から一人の少年と一頭の仔馬が声を上げながら飛び出した。その姿を見たロゼはすぐにその少年と仔馬が行方不明になった夫婦の子供、リクであると確信した。恐らくブルームーンタイガーを恐れてずっと怯えながら隠れていたところ、運悪く戦闘に巻き込まれてしまったのだ。
(こんな所に居たのか!? クソッ!! もっと離れた場所でやるべきだった!!)
予想外の事態にロゼは心の中で後悔する。するとリクと子馬の存在に気が付いたブルームーンタイガーは標的をロゼからその二人に変更して体の向きを変えた。恐らく一刻も早く空腹を満たしたいが為にロゼより無防備で捕食しやすい二人を狙ったのだろう。ロゼに背後から攻撃される可能性も十分あるが、それだけブルームーンタイガーには後が無かったのだ。
「グルルルルルルゥゥゥ……」
「あ……あぁ……!」
「ヤバイッ……!!」
既に獲物を自分から切り替えている事に気付いたロゼは地面を蹴って空中へ跳躍すると背中に目掛けて刀を振り上げるが、その刃が届く事は無かった。ロゼは空中で右足を何かに捕まれ、見るとブルームーンタイガーの長い尻尾がロゼの足に絡み付いていた。
「なッ!? (尻尾が……!?)」
尻尾に掴まれたロゼはそのまま地面に叩きつけられると無造作に放り投げられる。そして投げられた先に待ち構えていた大木に体を強く打ちつけると地面に転がり落ちた。
「ぐッ!! カハッ……!!」
二度も無防備なまま強い衝撃を受けた事で体内に直接ダメージが響き、口から血を吐くと同時に頭部からも血が流れる。それでも尚立ち上がろうとするロゼは近くに落ちていた刀を掴もうと右手を伸ばす。
「!? クソッ……動かねぇ!!」
しかし動かそうにも先程の衝撃で右腕の骨は砕けていた。そして、その間にもブルームーンタイガーはリクと仔馬との間をジリジリと詰めていた。リクは逃げ出そうにもあまりの恐怖で足が震えてその場から動けず、一方の仔馬はリクを守ろうと前に立って威嚇する。しかしそれはネズミがライオンに対して威嚇する事と同じ様に全く意味が無い行為であり、現にブルームーンタイガーはもう目と鼻の先まで近付いていた。
「い、いやだ……来ないで……!!」
「グルルルルルルゥゥゥ……ガゥッ!!!」
「うわああああぁぁぁあああッ!!!?」
ブルームーンタイガーは牙を尖らせると二人に飛び掛かり、リクは仔馬に抱きつきながら悲鳴を上げる。そして周囲に肉を抉る鈍い音が響き渡り、大量の血が地面に滴り落ちた。
「ッ……!!」
「!? お姉ちゃん!!」
だがその血はリクのものでは無く間一髪で飛び出して来たロゼのものだった。既に立ち上がるだけでも精一杯な筈のロゼだったが、折れていない左腕で刀を掴むとそれを杖代わりにして立ち上がり、最後の力を振り絞って走りだすとリクの身代わりとなって、折れた右腕をブルームーンタイガーに噛ませたのだった。
「……お前の眼……貰うぜ!!」
そしてゼロ距離まで近付けたチャンスを逃すまいとロゼは左手に持つ刀を突き立てるとブルームーンタイガーの右眼に刃を差し込んだ。それと同時に大量の血が噴出し、苦悶の咆哮を上げて暴れ回る。だがその際にロゼの右腕はそのまま噛み千切られ、腕の断面から大量の血が噴き出した。
「うぐッ……!!」
「お姉ちゃん!! 大丈夫!?」
ロゼは失った腕の傷を抑え、それと同時に激しい痛みでよろめくとその場に蹲る。その姿を見たリクはロゼの身を案じて寄り添った。
「はぁ……はぁ……坊主。ここから村までの帰り道は分かるか?」
「え……? うん、分かるよ……」
その言葉にリクは動揺しながらもそう答える。
「ならすぐにその馬を連れて村に戻れ……! そんで村の人達にすぐ村から避難する様に伝えなッ……!!」
「けどお姉ちゃんは……?」
ロゼはよろめきながらも立ち上がると和服の袖の一部を破り、失った腕に巻き付けて簡易ながら止血処置を施す。そしてブルームーンタイガーに向かって刀を構えた。
「アタシはここで時間を稼ぐ……アンタはその隙に行きな……!!」
ロゼの身体は最早戦える状態では無く、すぐに治療をしなければ命に関わるほど危険な状態であった。それでも尚、その瞳から闘志は消えておらず本気でブルームーンタイガーを倒す気でいた。しかし一方のリクは恐怖で気が動転しているのかロゼの和服を掴んで傍から離れようとしなかった。
「いやだよ……お姉ちゃんも一緒に逃げようよ!!」
「……今のアタシにはアンタを守りながら戦える自信が無い。それにこのままだと村にも、アンタの家族にも危険が及ぶ……分かるだろ?」
ダメージを負う前のロゼであればまだリクを守りながら戦えたかも知れない。しかし今の状態では例えサシで勝負したとしても勝てる可能性はほぼ皆無であることをロゼは理解していた。更にもしこの場でリクと共死してしまえばこの事態を知る者は一人も居なくなる。そうなれば間違い無くブルームーンタイガーは村へ侵攻し、何も知らない村人たちを襲うであろう。それだけはなんとしても避けなければならなかった。
「で、でも……」
だが説得をしても尚、リクはロゼの元から離れる事を渋る。余程ブルームーンタイガーに襲われた事が怖かったのだろう。だがその間にも暴れ回っていたブルームーンタイガーは落ち着きを取り戻しつつあった。
「坊主ッ!!」
すると痺れを切らしたロゼはリクを叱喝し、突然の事にリクは体をビクッっと震わせた。そしてロゼは地面に刀を刺すと屈んでリクの肩にそっと手を掛けた。
「いいか坊主……人生には何度か命をかけてやらなきゃいけない時がある……。今がその時なんだよ!! 今ここでアンタが行かなけりゃ奴は村人全員を喰い殺すぞ……!! それでもいいのか!?」
「い、いやだ……そんなのやだよ!!」
リクは怯えながらも力強くそう答えた。そしてその瞳の中に僅かな勇気を感じ取ったロゼは優しく微笑む。
「なら行け……振り返らずに真っ直ぐ走るんだ……。大丈夫……奴はアタシが必ず抑え込む。だから安心しろ」
「本当に?」
「あぁ本当さ。アタシは約束を守る女だからな」
ロゼは自慢げにそう言うとリクの背中をポンと押し、地面に刺していた刀を抜き取った。
「さぁ行きな! 途中で振り返るんじゃ無いよ!!」
「うん…!!」
リクは大きく頷くとそのまま仔馬を連れて村のある方角へと足早に去って行く。そしてその姿を見送ったロゼは改めてブルームーンタイガーに対して刀を構えた。するとブルームーンタイガーは片眼を失った事で既に怒りが頂点に達しているのかとてつもない殺気を放っている。
「グルルルルルルゥゥゥ……」
「そう怒るなよ。アンタは片眼、アタシは右腕を失ったんだ……まだアンタの方がマシだろ?……と言っても分からねぇか……」
ロゼはそう軽口を叩く。しかし実際は立っているのがやっとの状態であり既に視界もぼやけ始めていた。それでも戦う意思を失わなかったのは先程交わしたリクとの約束、そしてある人物との約束を守る為であった。
「さぁ、続きを始めようぜ……生憎だがアタシはたった今あの坊主と約束し……」
そこまで言葉を紡いだ瞬間、ロゼの体は空中へ吹き飛ばされた。そう……現実は決して甘いものでは無く、ロゼの話が終わる前にブルームーンタイガーは自身の爪を尖らせると下から上へ向かってロゼの身体を切り裂いたのだ。
「ッ……!! (話くらい……最後まで聞けっての……)」
そのまま後方へ吹き飛ばされたロゼは地面に落下すると次第に意識が朦朧とし始めた。先程、縦に切り裂かれた大きな傷口からは絶えず大量の血が溢れ出ており、傷が肺にまで達しているのか呼吸音がどこかヒューヒューと乾いた音を発し、命の灯火は今にも消えかかっていた。
だがその時、木々の隙間から顔をのぞかせる様に月明かりがロゼを照らす。そして最後の力を振り絞り左手で月を掴み取る様に伸ばすと最後に震える唇で言葉を紡いだ。
「……ごめん……な」
それは約束を交わしたリクに……リクの両親に……そしてロゼの帰りを待つ者へ対しての謝罪。これまで一度も約束を破った事のないロゼが自分の死によって最初で最後の約束を破ってしまった事への自責の念からくる言葉であった。
そして、その言葉を最期に空へ向かって伸ばしていた左手は地面にパタリと落ち、ロゼの20年に渡る短い人生はその幕を降ろした……。




