運命の夜
日が沈み辺りが静寂に包まれた頃、ロゼは森に隣接したとある小さな村の民宿で体を休めていた。部屋の中には少し埃が被った木製のシングルサイズのベッドが一つと、圧を加える度にギシギシと軋む音がする机と椅子が一つずつ置かれただけの寂れた部屋であったが野宿をするよりかは遥かにマシであった。
部屋に入ったロゼは刀をベッドの横に置いて羽織りを脱ぐとベッドの上に寝転がってしばらく目を閉じながらリラックスする。
その時、目を開けてふと隣を見ると自分の刀が目に入り、手を伸ばしてそれを掴み取った。赤い竜の鱗を象った鞘に柄には黒い柄糸が巻かれている。ロゼは刀を抜き今度は刀身をじっくりと眺めた。先端は乱れ込み帽子、刃は湾れ刃で造られており僅かな刃毀れも存在せず誰が見ても名刀と呼ぶであろう見事な刀であった。すると、それを見つめていたロゼの脳裏にある言葉が過ぎる。
『必ず……必ず元気な姿で帰ってきて下さいね!!』
その言葉はこの刀をある人物から受け取った際の記憶であり、ロゼ自身、刀を渡した人物とその言葉を今日まで一日たりとも忘れた事は無かった。
「……もう半年になるのか……元気にしてるかな」
そう呟くとロゼは刀を鞘に納めると再び目を閉じる。そしてそのまま眠りに就いた。
暫くして民宿の外から何やら大勢の人々が騒いでおり、その騒音でロゼは目を覚ました。最初は単に酔っ払いが外で騒いでいるのかと考えたが、声の質感的にそうではない様子に気付いたロゼはベッドから起き上がると羽織りと刀を身に付けて民宿の外へ出た。
すると村の広場に何やら大勢の村人が集まっておりロゼはそこへ近付いて行く。するとそこには右足が切断された樵の男が必死に痛みに耐えながら治療を受けており、周囲にいる村人たちも心配そうに樵を見つめている。するとロゼは事情を聞く為にすぐ隣にいた村人に声を掛けた。
「なぁ。いったい何があったんだい?」
「何でも森の中で馬鹿みたいに巨大なモンスターに襲われたらしい……」
話を詳しく聞くと、どうやら森の奥深くで木を切っていた樵が帰りの道中、巨大なモンスターに襲われたというのだ。この村の周辺には本来、大型のモンスターは生息しておらず森に現れたというモンスターも恐らくこことは違う土地からやって来たのであろう。
更に話を聞くと森全体が既に暗闇に包まれていた為にそのモンスターの全貌までは分からなかったが巨大な牙と鋭利な爪を持ち、その牙で樵の脚が噛み千切られだと言うのだ。そして噛み千切った方の脚を夢中で捕食している隙を突いて命からがら逃げ帰って来たとの事であり、既にその話は村中に知れ渡って大きな騒ぎとなっていた。
「皆の者、静まれぃ!!」
広場に嗄れた声が響き渡る。すると人込みの中からこの村の村長らしき老人が杖を突きながら現れると、人集りの中心に立つ。
「皆、集まっておるな……ではよく聞くのだ。皆ももう知っての通り、森に正体不明のモンスターが出現した。今ワシの倅がこの事態をギルドへ報告に向かっておる故、すぐさまハンター達が討伐に来てくれるであろう。それまで誰も森に入ってはならぬ!! よいな?」
その言葉にその場にいた全員が頷くと同時に安堵する。ロゼはハンターが来るのであれば自分の出る幕は無いと思い、民宿へ戻ろうと歩み出した。自身はあくまでも旅人でありハンターでも冒険者でも無い。それ故に下手にでしゃばって他人の仕事を奪うことは決してしない。それがロゼの信条であった。だが民宿の扉に手を掛けた瞬間、背後から大声で叫ぶ女性の声が響き渡った。
「すいません!! 誰かうちの子を見ませんでしたか!? 子どもがいないんです!!」
ロゼが振り返ると、そこには必死な形相で我が子を探す農婦が叫んでいた。すると旦那らしき男が慌てた様子でその農婦に駆け寄ると肩を掴んだ。
「おい、何があった!? リクがどうしたんだ!?」
「貴方!! リクが何処にもいないの!! さっきまでここに居た筈なのに!!」
「何だって!?」
どうやらリクという名の子供が行方不明になったらしく、農婦は半ばパニック状態に陥って思わず涙を流してしまう。すると騒ぎを聞きつけた村長がその夫婦の元へ歩み寄る。
「取り敢えず落ち着きなさい。リクはいつから居なくなったのだ?」
「はい……さっき村長さんがみんなの前で話を始めた頃にはもう……家に戻っているのかと家の中を全て探したんですが何処にも居なくて……」
「ふむ……取り敢えずここにいる全員で探してみるとしよう。何処かに隠れているだけやもしれん」
こうして村長と夫婦は村人全員の協力を仰ぎリクの捜索を開始した。しかし村の広場や各々の家、馬小屋の中や畑など村の隅々まで探したが、リクの姿は何処にも見られなかった。それから数分後、村中を捜索し終えた村人たちは再び広場に集まって各々の捜索報告をしていた。
「おかしい……こんなに探しても見付からないなんて……まさかあいつ、森の中に入ったんじゃ!?」
旦那の発した言葉に農婦と村長はまさかといった表情で旦那を見つめた。
「あいつ……最近、この森で産まれたばかりの仔馬の世話をしてたんだ。もしかしたらその仔馬が心配になって様子を見に行ったのかもしれない!」
「そんな……早く連れ戻さないと!!」
それを聞いた農婦は顔色が青くなり慌てて森へ向かおうとする。しかし旦那が農婦の手を掴んで引き留めた。
「待て!! 森の中にはモンスターが居るんだぞ!! 無防備なお前を行かせるわけには行かない!! 俺が行く!!」
旦那は護身用に自宅に置いてある斧を取りに行こうとするが、今度は村長が旦那を引き留める。
「いや待ちなされ! お主が行ったところで、もしモンスターと遭遇すればあの者と同じ様に……いや最悪食い殺されるやもしれん! ここはハンターたちの到着を待ってだな……」
「それでは遅すぎます!! こうしている間にも息子がモンスターに襲われているかも知れないんですよ!?」
村長はハンターの到着を待って彼らに捜索を任せるべきだと推奨する。だが旦那はいつ到着するかも分からないハンター達を待ってなどいられないと主張し、村長の静止を振り切ってでも森に向かおうとした。
「ならアタシが行くよ」
だがその時、三人の会話を黙って聞いていたロゼが子供の捜索に名乗り出ると三人の前に出た。だが夫婦と村長は初対面のロゼに対して疑問を抱く。
「失礼ですがあなたは……?」
「単なる流れ者の旅人さ。話は聞かせてもらったが、アタシがあんた達の息子を探しに行くよ」
「ですがハンターではない貴女を行かせるわけには……」
ロゼの提案に対して村長は初めて出会ったばかりで更にはハンターでもないロゼを行かせる訳にはいかないと引き留める。
「安心しな。こう見えて危険度1に指定されてるモンスターを何体も狩った事がある。それに時間がないんだろ? 今から行けば子供に追いつけるかも知れないがどうする?」
ロゼの言葉を受けて村長は一瞬考え込むが、事は一刻を争う事態である為にその決断は早かった。
「……分かりました、リクの捜索はあなたに任せます。さぁ、この方を森の入り口へ案内してあげなさい!」
「はい!」
村長の許可が下り、夫婦はロゼを連れて森の入り口へと案内する。そして入り口までやって来るとロゼはその異様な感覚をすぐさま感じ取った。森の中は真夜中である事に加えて、まるでその中に誘うかの様に風が入り口の中へと吹き込めていたのだ。
「ここから入って真っ直ぐ行った所に馬達が群生している開けた場所があります。本当に仔馬の様子を見に行ったなら息子はそこにいる筈です……」
「よし……じゃあ行ってくる」
ロゼは森の中へ向かって走り出そうとする。だがその時背後から「あのっ!」と農婦に呼び止められ、背後を振り返る。
「どうか息子をお願いします……!!」
そこには必死な形相で助けを懇願する夫婦がロゼに向かって頭を下げていた。それを見たロゼは二人に笑顔を見せる。
「あぁ、任せときな!」
二人にそう告げるとロゼは森の中へ入っていった。




