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無題    作者: 村上ガラ
1/2

①  痒み  (前編)

京都アニメーションの凄惨な事件につきまして、犠牲になられた方へのご冥福をお祈りすると共に、遺族の方々、負傷された方々、そして事件でお心を痛めた大勢のファンの皆様へ、心からお見舞い申しあげます。




本作品はわたくしのただの空想です。事件とは何らかかわりのあるものではございません。




が、作中に火、ガソリンに関する記述があります。


事件でお心を痛められた方々、どうぞご注意いただきまして、場合によってはお避けくださいますようお願い申し上げます。

「あ」

 ある日医師の一人がしたその変化を見つけた。

「あ」ほかの医師もそれを見た。

「あ。これはどうしようもないね」チームリーダーが言った。

「これは仕方ないですね」看護師長も賛同した。

 医師たちはすぐに処置にかかった。


 通り魔的犯行で突然罪もない人々が命を奪われる事件が発生したのは2か月前だった。

 容疑者である佐藤は路上で十数人の人を刺しその半数の人が命を落とした。凄惨な事件だった。

 だが、天もお見逃しではなかった。

 佐藤は現場からオートバイで逃げる際、転倒し、漏れたガソリンに引火し全身やけどを負った。

 そのさまはニュース映像で何度も流れた。佐藤の体にはガソリンがまともにかかったようでズボンが燃え落ち膝から下の皮膚がずるむけているさまがはっきり映っていた。


 佐藤は生死の境をさまよっていることがニュースで流れた。


「死ねよあんな奴!」という声。それよりも多かったのは、

「死なせるなよ、死に逃げなんて許せない!生かして生かして反省させないと!」

 そんな声が巷でとびかった。


 医師団は体表面の30パーセントの皮膚に熱傷を起こしながら生命を維持している佐藤の不気味な生命力に驚きを隠せなかった。

 医者というものはただ命を助けることだけを考える。どんな凶悪犯でも善人でも同じ。命を最優先。それだけだった。

 感染症を防ぐことが第一義とされ、体力温存のため麻酔で眠らせたが、世間はその発表にも食いついてきた。

「麻酔で眠らせるなんて!もっと苦しませろ!悪魔なんかに痛みを忘れさせるな!」


 世間は佐藤の治療にあたっている医師団のメンバーが誰なのかも簡単に突き止めることができた。

 佐藤の入院する病院にはひっきりなしに

「殺せ!」

「もっと苦しめろ!」

 などの脅しが届いていた。そしてそれらが、やがて佐藤の治療にあたる医師の家庭にまでとどくようになるのに時間はかからなかった。


 医師たちに迷いが生じたかもしれない。家族に危害が及びかねないことを恐れたかもしれない。この悪魔のような人間のために。

 否。医師というものはそんな日和見ではないはずだ。私はもちろんそう信じている。


「あ」

 そんなある日医師の一人がその変化を見つけた。

「あ」ほかの医師もそれを見た。

「あ。これはどうしようもないね」チームリーダーが言った。

「これは仕方ないですね」看護師長も賛同した。

 医師たちはすぐに処置にかかった。



 翌日病院は佐藤の治療の経過を発表した。

 相変わらず意識は戻っていないが、両足のやけどから壊死が始まったのでひざから下を切断した、と。


 家に引きこもっていた佐藤の治療チームの看護師の息子は学校へ行けるようになった。


 しばらくたったある日。

「あ」

「あ」

「あ。これはどうしようもないね」

「これは仕方ないね」


 翌日、病院は佐藤の治療経過を発表した。

 佐藤の両手の指の熱傷から壊死が始まったので命を最優先するため両手を肘から切断、と。


 チームの中のある医師の妻は日常の買い物に出かけられるようになった。


 佐藤はそれからも意識が混濁したまま、体のあちこちで壊死を起こしそのたびに少しづつその部分を失った。

 だが、それは治療として致し方ないことで、また熱傷部分を取り除いたことで、体表面積に対しての皮膚の割合が増え、生命維持に必要な皮膚からの酸素の供給、つまり皮膚呼吸の必要量が確保できたので、やがて佐藤は意識を取り戻した。



 ――――痒い…………。

 佐藤は目覚めて目の動かせる範囲を見渡した。数人の人影が見えた。

 ――――お前ら殺してやる。

 そう思った佐藤だが、もう殺そうにも指を動かすことすらできなかった。


「佐藤さん、聞こえる?」

 佐藤はうっすらと見える片目をあけ、声を出そうとしたが出なかった。

「ああ、佐藤さん。気の毒だけど声帯は熱傷がひどかったから摘出したよ」

 佐藤はその声の主にとびかかろうとした。が、体が動かない。

「あ、佐藤さん、気の毒だけど、腕、切断したんで一人で起き上がるのは無理なんだよ。人間、体のバランスをとるのに腕ってとっても重要でね。まあ、徐々にね、わかってくると思うけど。それから包帯でふさがってる右目も、視力が戻るかどうかはまだわからないよ」

 そういうとその声の主は佐藤の半分だけ残された視界から消えていった。

「佐藤さん、それじゃ腸をきれいにしましょうね」

 別の声の主が視界に入り自分に何かをしているのを佐藤は感じた。

 ――――やめろ、やめてくれ!

 いくら叫んでも声にはならなかった。

「佐藤さん、今からお食事ですけど、熱傷がひどくて経口での栄養摂取は難しいということで、胃ろうを造設しました。佐藤さんの場合、これからずーっと胃ろうで栄養摂取ってことになりますから。肺炎を防ぐためですよ。何も心配しないでくださいね」


 ――――痒い,痒い痒い痒い痒い痒い……………。

 それは痛みよりも人間をさいなむ感覚だ。

 おそらく周りにいるものは佐藤が痒みに苦しむことをわかっているのだ。それは切断した先の、そこにはない指の幻覚かもしれない。切断面の治癒に伴う感覚かもしれない。

 だが佐藤に声をかけようとも、痒みの個所をさすってやろうともしなかった。


 医師団は優秀だ。佐藤を生かすだろう。可能な限りの長寿を佐藤に与えるだろう。

 これから長い時間の中で、佐藤は、おそらく反省や後悔という人間らしさを取り戻すこともなく(もともと持っていないものをとりもどせるはずもない)、あれほどに憎んだ、佐藤が事件を起こす以前の『世間』がまだ自分を許容していたということ、あれほどに不満に思った肉親がそれでもまだ自分のことをおもんばかってくれていたことをかみしめながらそこにただ転がって生きていくのだ。


 ……………絶え間ない痒みとともに。















 ※医療行為については素人の空想の域を出ません。専門とされている方には常識はずれでご不快でしょうがご了承ください。






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