第三章7 『怒りの果てに』
レインの憤怒の吐露を受ける度に、ユーキの中の怒りは増していく。まるで、何か別の理由があるかのように、ユーキの意志とは無関係に目の前の青年に対する怒りが募る。
――なんだ、急に怒りが込み上げて。確かに怒ってるけど、ここまで怒ることか? こんなのまるで、
殺意ではないか。その単語が脳裏に過ぎった瞬間、ユーキの心中に宿る怒りはその本質を変えていく。
殺意に変わった感情がユーキの自制心と競り合う。これがただの怒りならば、自制心が勝っていただろう。しかし、殺意となれば、話は別だ。
ユーキは震えた手を腰に差した柄にかける。ギチギチと音が鳴る程、力の入った拳。殺意を全面に押し出した顔面。その全てがレインを敵視していることを表していた。
「うう……んう……うおぉぉ!」
堪えていた殺意が自制心を押し勝ち、叫びとなって表面に浮き上がる。
飢えた猛獣の枷が外れたかのように、せき止められていた水を抑えるものがなくなったかのように、ユーキの心の中は一瞬で殺意に埋め尽くされる。
そのドス黒い感情に背中を押され、ユーキはレインに飛びかかる。
「魔装ぉぉ!」
飛びかかると同時にユーキは魔剣を両手で振り下ろす。それと同時にユーキは燃え盛る業火に包まれる。
己を包む業火のお陰か、怒りで我を失っているからか、ユーキの距離を詰める速度はこれまでとは比にならなかった。
その速度にレインは剣を抜き、横にして防ぐことしかできなかった。
「お前、怒りに呑まれたなァ! これ以上は身が持たねェぞ!」
「ぐるぁぁ!」
ユーキの様子にレインでさえ心配する。だが、それに返ってきた返答は声なき声だった。
ユーキを包む炎は増していき、魔剣にかかる重みをまた増していく。増していく重みに、ついにレインが膝を突く。
「それ以上は……ってェ、おい!」
俯き、重みに耐えていたレインだったが、もう一度声をかける為、顔を上げる。その時、目に映った光景に絶句した。
魔剣の柄を握る腕がなかったのだ。つまり、いつからか、レインはユーキの力の残滓と競り合っていたということだ。
なら、握っていたであろうはずの者はどこに? その疑問が沸く前に答えはレインの目に映っていた。
魔剣の柄から手を離したユーキは、そのまま着地、そして低姿勢を取る。その様はまさに獣のようだった。
低姿勢の状態からユーキは両手を地に突き、レインの腹を両足で蹴り上げる。上からの重量に抑えられていたレインは為す術もなく、斜め上方向に飛んでいく。
「ぐはァっ!」
レインはヒビを生みながら壁に衝突。だが、まだ力が働いているのか、落下することはなかった。
衝突による衝撃の余韻がまだ終えない最中、レインの視界にあるものが映る。
先程までユーキを包んでいた炎は灼々と燃え盛る紅炎だった。しかし、今、レインの視界に映る炎は水のような静寂を持ちながら、確かに燃えている青炎だった。
初めて見る炎の色に驚きを隠せないレインだが、そんな感情の余韻が消える前にユーキがレインに剣を振り翳す。
「うおぉぉ!」
一撃一撃が決め手となる程の攻撃を二度も受けたレインにユーキの剣を防ぐ術はない。下へ振り下ろされる魔剣に従うようにレインは地に衝突する。
ユーキはレインを叩き落とした勢いのまま、一回転。そして、落下したレインにトドメの一撃を送る為、身を包む青炎を爆発させ、魔剣を構えながら、真下へ飛ぶ。
レインは動かぬ腕を無理やり動かし、細剣を横に構え、最後の足掻きに徹する。
青炎と殺意に包まれたユーキの魔剣と震える腕で持ち上げられた細剣。競り合いの際にどちらが折れるかなど考える意味もない。
その結末を向かえる瞬間、つまり両者の剣が交える時、その声は響いた。
「それ以上は止めておい方がいいと思うよ、ユーキ君」
声と同時に風の壁がユーキとレインの間を隔てる。間隙を吹き荒れた風はユーキを包み込み、地に優しく下ろす。
包み込んでいた風が消えるとユーキは脱力したようにその場に倒れ込む。
――どう……なった? って、あれはロア……ノス……
ぼやける視界の中で自身の主の姿を見たのを最後にユーキの意識はなくなった。
ユーキの意識消沈後、先程まで戦闘が行われていた場にはボロボロのレインと悠長に立つロアノスがいた。
力を振り絞って上げられたレインの腕は風が吹き荒れた時点で脱力していた。
「うちの使用人が迷惑をかけたようだね。一応聞くが、大丈夫かい?」
「その声に……気配、……ロアノス様かァ?」
容態を聞く必要のない程、脱力しているレインに対してロアノスは問いかける。レインはそれには答えず、質問の主に本人確認を取る。
「ご名答。そこまで判断できるなら大丈夫か。だが、体は使い物にならなそうだね」
「その通りだァ。……できれば肩を貸してもらえるとありがてェ」
恐らく目上の相手だろうロアノスに対しても言葉遣いは一切変えずに話を進めるレイン。
ロアノスがその点において寛大であるからか、相手に関係なく基本崩すことがないのか、それとも、ユーキ同様シルヴァの関係者である為に怒りの対象だからか、それは誰にも分からない。
だが、肩を借りられるということは少なくとも最後は選択肢から除外されるだろうか。
「その話し方、君のその物怖じしない態度は尊敬するよ」
「ロアノス様の性格上、こっちの方が良いだろ?」
「まあ、そうだね。君の心境も分かるが、その接し方は私にとっては嬉しいものだ。さあ、これぐらい話せば少しは回復したかな?」
ユーキに対してこの問いかけをすれば、かなり答えはノーだろう。しかし、今回の返答者は本場の騎士。レインは少し震えながらも腕を支えに立ち上がる。
「早く、そこのやつ連れて部屋に戻ろう」
レインは地に伏せるユーキを指しながら言う。ロアノスは「そうだね」と、ユーキを担ぎ上げるとレインと共に部屋を後にした。
✣ ✣ ✣
ベッドに眠るユーキの瞼が微かに動く。そして、次第に意識が覚醒していく。
この目覚めは日差しや呼び掛けなどの外的要因ではなく、自己回復がある程度完了した証だ。
「……ここは、俺の部屋?」
「あっ、目覚めたのね! 昨夜ロアノスに担がれてた時は本当に驚いたんだから!」
目が覚めるとシルヴァが隣にいるという既視感極まりない光景を眺めながら、現在の自身の状況を把握したユーキ。
レインとの戦闘は昨日の出来事。今は窓から入る光から見て、昼頃といったところだろう。つまり、約十二時間程眠っていたということだ。昨日、休まるか、と嘆いた部屋で。
「この前もこんなことあったな。何度もごめんな――って痛っ!」
看病をしてくれていたシルヴァに応える為に上体を起こそうとしたユーキ。すると、身体中に激痛が走る。筋肉痛などそんな生易しいものではなく、身体中の全ての器官に亀裂が入ったような、そんな痛みだった。
ベッドに逆戻りしたユーキは自分を挟んでシルヴァの反対側にもう一人人物がいたことに気付く。
「ロアノスから聞いた状況と君の様子から鑑みて、君はいわゆる暴走、というものをしたんだろうね」
シルヴァと向かい合っていたのは金髪のサイドテールが目立つ少女――エアだった。
エアから出た“暴走”という単語を聞いてもユーキはピンとこない。その単語の意味などを知らない訳ではなく、その状態に覚えがない為だ。
ユーキには殺意が芽生えからの昨夜の記憶がない。最後の方にロアノスを視認した記憶もあったが、それも曖昧なものだった。
結果的にユーキは説明を頼む意を込めた視線を送るしかなかった。
「生物っていうのは基本無意識に力を抑えてるもんなんだ。自分が痛手を負う可能性があるからね。ただ、昨夜の君は違う。これは私の推測だけど、君の何らかの感情を魔剣が増幅させたんだと思う」
エアの説明を聞き、ユーキは現在の身体の痛みの原因に合点がいく。
昨夜、自分が覚えた感情。そんなものは一つしかないに決まっている。
「殺意だな。いや、ちゃんと言うなら怒りだけど」
「君がそう言うならそうなんだろうね。恐らく、君の怒りが増幅されて殺意に変わったんだろう」
「えっと、つまり、今のユーキがこうなったのは殺意に任せて暴れ回ったからってこと?」
現在までの経緯が三人間の中で明白になる。そして、最後のシルヴァのまとめにエアが頷き、これが確定となる。
原因が解明されたところでシルヴァが首を傾げてユーキに問いかけてくる。
「ねえ、ユーキ。昨日何があったの? 殺意を持つなんてただごとじゃないでしょ?」
真っ直ぐな眼差しで聞いてくるシルヴァ。だが、それに答えられないユーキは目線を逸らすしかない。理由が理由だ。シルヴァが関係していることを本人には言えず、不自然な態度を取ってしまう。
見つめるシルヴァに逸らすユーキ。この二人の横着している時間に嫌気が差したのか、第三者が口を開く。
「これはロアノスから聞いたことだけど、ユーキが戦った相手はレインという騎士らしいよ。シルヴァ、これで分かったかな?」
エアの言葉を聞き、二人は驚く。
シルヴァはレインのことを知っているのだろう、ユーキの怪我の原因が分かった為、驚いている。
ユーキは自身が隠し通そうとした事実をあっさりとエアが言ってしまった為、驚いている。
レインが原因であることを知り、シルヴァは俯き、
「――ユーキがこうなったのは私の、せい……」
と呟く。その様子からは哀愁が漂い、怪我の当事者であるユーキはなんとも声をかけづらい。ユーキはシルヴァがこうなった原因であるエアを睨みつける。
エアに特に反省の色はなく、最初からこうなることが分かってやったようだ。
ユーキがシルヴァをどう慰めようか考えていると、シルヴァの胸の魔石が放つ緑光が増す。
「うちの子をこんなにしたのは――誰かな?」
緑光が晴れた時、姿を現したのは猫型精霊だった。登場と同時に父親のような威厳ある風格を漂わせながら台詞を吐く。
ユーキは目線でエアを指す。エアはそれを受け入れ、否定はしないし、擦り付けもしない。
「エアか……まあ、聞いてたから知ってるんだけどねー。さあ、どう償ってもらおうか」
「ダメっ、ラック! 今回に関しては私が全面的に悪いの! だから――」
ラックがエアに対して右掌を向ける。どうやら臨戦体勢のようだ。それを声を大にして止めるシルヴァ。
「ルア、僕が怒っているのはそこじゃない。君の気持ちを無視して、事実を明かしたことだよ」
「どうせ誰かが言うんでしょ? それなら今私が言ったところで結果は同じ、違うかな? ラック」
「僕が言いたいのは誰が、じゃないんだ。ただ今回の場合は君だっただけのこと」
「本当に今回は……」
自分の上で行われる言葉のラリーと散る火花。シルヴァはラックを止めるのを若干諦めている様子だ。
今にも風が吹き荒れそうな最中、それを阻むかのように部屋の扉が勢い良く開かれた。その奥から現れたのは金色の鎧を身に纏った大柄の男だった。




