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 駅前で交通量調査をやっている。アルバイトの青年の前を通りかかると、数取器がカチッと鳴らされ、その瞬間、私は数字になる。多分、人間じゃなく。データを構成するただの一要素に成り下がる。

 交番の前にさしかかる。入口横に立てられた「前日の交通事故死傷者(都内)」という看板は、大抵負傷者は何十人といても、死者はゼロである。だから、たまにその欄が「1」とかなっている日は、ああ昨日は一人死んだのか、と横目で看板を見ながら漠然と思う。数字になってしまえば、人はその個を失うのだ。それが例え、命を落とした時でさえ。

 ――結局のところ行幸(みゆき)自身にも、交通量調査で自分が数字にされたことを悲しむ資格はないのである。


 グレンチェックのワンピース、長く伸ばしてコテで巻いた髪。

 行幸の見た目は、言ってみれば量産型女子大生だった。

 大勢の同じような服を着た女の子の中に埋もれて、センスを問われることすらない無難な恰好。やはりそこに個はないように、行幸には思えた。

 抜け出したかったのだろうか。こんな、数字に絡めとられた世界から、それに染まった自分から。


 二十歳の誕生日に、行幸は髪を切った。

 男の子でもこれくらいの人いるよね、という短さまで切った。

 美容院を出るとそのまま服を買いに行った。男物の服を買うことにはかなりの度胸を要した。

 でも「変身」を終えた自分の姿を鏡に映して、行幸は心底から満足した。行幸はあまり背が高い方ではなく、歳より幼く見られるので、こんな恰好は見映えがせず寧ろ滑稽に映るかと思ったが、無表情に見られがちな顔立ちのお陰か、意外と様になっているのだった。

 ずっと前から決めていたことのような気も、衝動的に行動に走った結果のような気もする。どちらでもいいが、とにかく、勇気を振り絞ってよかったと。

 髪を切って男の子の恰好をしたからといって、自分が自分でなくなるわけではなかった。行幸を見た人が、行幸が男なのか女なのか一瞬判別に迷っていることを感じ取っても、枕元にポムポムプリンのぬいぐるみは置いたままだし、そのベッドで寝て、いつもと同じ朝が来て、花壇の土いじりをする園芸クラブのおばちゃんにおはようと言って大学に行くし、スマホの乙女ゲームもやめられない。

 根本は何も変わっていないけれど、この恰好が自分を守ってくれるような気がした。生身の自分では怖くて戦えない行幸のための装備。変わったこと、珍しいことをしている意志の強さに見せかけて、ある程度強烈なキャラクター設定を自分につけることで、逆に生きやすさを模索しているのかもしれない。だって、少なくともメンズコーナーで買ったこのコーチジャケットを羽織っている今この間だけは、自分というものが確立されていて、顔のない数字でいることから抜け出せる気がするから。

 こんなの、ずるいかもしれない。内面を変える気もないのに外見だけいじるなんて。

 歪んでる。相当。

 行幸は鏡の前で無理矢理ニヤリと笑った。こんなバタバタあがいている自分を、嘲笑してやりたかったから。


「あれっ、行幸髪切ったの?……っていうか、服の感じとかも……なんか全体的に、雰囲気変えてきたねえ」

「変身」を遂げた行幸を見て、万葉(かずは)はすぐに声を掛けてくれた。

「せっかくこんなに髪短くしたからね。服もこういう系統着ることにした」

「いーじゃんいーじゃん!なんか新鮮でいいよ!」

「……いいよそういうの。ただ物珍しいって思ってるでしょ、本当は」

「……まあ正直ちょっと、びっくりした、かな……」

「普通の恰好してたって私は浮いてるし。それならいっそ徹底的に浮いてやろうと思って」

「またあ。なんでそういう寂しいこと言うかなー」

はは、と笑った万葉は、1ミリも表情筋を動かさないままの行幸の頭にぽんと手を置いた。行幸は黙ったまま、自分の手を万葉のあいている方の手に重ねる。

「わわ、急に何」

「……万葉って手大きいなあって。結構私と差あるんだね、ほら」

「もうー、言わないでよ、これでも結構気にしてるんだからっ」

顔を赤らめた万葉に怒られた。万葉は背も高くスタイルがいい。私なんかよりもよっぽどこういう恰好が似合うんだろうな、と行幸はぼんやり思う。

 万葉とは、一年前大学に入学して、この映画研究会に入って出会った。サークルに入っても、なかなか周囲と話せずにいた行幸と対照的に、万葉は最初から誰とでも物怖じせずに話せるタイプのようだった。

「あれっ、まだ話してなかったよねー?何ちゃんだっけ?」

「……伊東(いとう)行幸」

「行幸、ね!あ、私は(くら)(かけ)万葉でーす!よろしくっ」

「……」

「……ぶっ」

「え、何、急に吹き出して……」

「いや、ごめんごめん、はは、行幸って超マイペース!めっちゃ面白い!」

行幸が黙っていたのは、たしかに人と会話するのが苦手だからというのもあるが、あまりに呆気に取られていたからである。行幸には、自分は周囲からとっつきにくいと思われているだろうなという自覚があった。その行幸に普通に話しかけてきた。

 この子、なんかすごいな。

 そう思ってから、なんとなく万葉を頼ってしまって、彼女の後ろにいて守られるようになっている。実際、万葉はこんな性格の行幸の面倒を見て、かばってくれることもしばしばなのだ。ほんと万葉は行幸の保護者だね~、とサークル内でも評判である。

 それでも万葉には、行幸がコミュ障で愛想がなくとも、決して弱かったり頼りないわけではないことがちゃんと分かっていた。だって、ちゃんと自分を持っている人間でなければ――

「それじゃ行幸、私はこの辺で。3限、今日こそ出席取る気がするんだよね~」

「あ、うん」

サー室のドアを開けて出て行きかけた万葉が、ふと足を止めて振り返る。

「?」

「でも行幸、そのかっこ、似合ってるって思ったのはほんとだから」

万葉を見上げる行幸の瞳は、万葉をその中に入れ、輝きに細かく揺れていた。


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