第1話 おはよう
「おはよ、秋月くん」
「おはよう、百合さん。お疲れ様」
「ありがと。はい、これお茶だけど。今日は何の絵?」
近くの自販機で買ったボトルを手渡す。
彼こと秋月智樹は、私の声に反応して筆を置いた。
「すいません、また。今日はそこの――」
彼が目線で指したそこには、花壇前に腰を降ろして、咲き誇る花々を見やる少年少女の姿。
スケブには、ゼラニウムの花が描かれている。
「右の子です。花言葉は”尊敬”とか”信頼”。子どもって、やっぱり純粋なんですね」
「無邪気って言うのかな。良くも悪くも、裏表がないんだろうね。羨ましいな」
などと話ながら、私は彼が空けてくれたスペースへと自然に座り込む。
初めて出会ってから二周目の土曜。
大学の講義終わりが主な通い方だったけれど、何もない今日は、気が向いたから散歩というわけだ。
大学二年の私からすれば、彼は二つ下の年齢。
現在彼は病気と闘っていて、いつも通院の後でこうして絵を描いているらしい。
見ず知らずの私に話してくれたのは何故だろう、と考える暇もないくらいに、彼は清々しい表情でそれを語った。
私はそれに追随することが出来ず、今に至る。
彼が再び筆を執るのを見届けると、私は今の社会にしても時代遅れな物を取り出して膝に置いた。
「パソコン、ですか。百合さん、若いのに”コア”は使わないんですね、珍しい」
彼が口にしたそれは、チョーカー型のARパソコンだ。
祖父母の代は流石に使わないが、父母くらいまでの人なら皆普通に使っている。
Choker of Augmented Reality を略して”CoAR”と表記されるそれを、いつからか誰からかが呼び始めたのだ。
「あれ一つでメールも通話も何でも出来るって言うんだから、慣れようとも思ったんだけどね。お父さんからのお下がりでずっとノートPCを使ってたものだから、実際のキーのような反発がないと、どうにも使い辛くて。こうして着けてはいるけど、電話くらいにした使わないかな」
「それはそれは。僕は色々あって使えないから、ちょっと密かに憧れてたりするんですよね。でも、うーん……僕もきっと、百合さんと同じな気がしますね。実際のそれに勝てるものはないって思っちゃう性質なんで」
と、そこまで語って。
彼は、それなら「何に使うのか」と問うて来た。
メール以上の長文を書く用途の、その理由。
私は、学業の傍らで小説を書いているのだ。
別段人気作品でもない、しかし少しはちゃんとした収入がある程度の作家。
「へぇ、小説家さんだったんですか。凄いです。僕は文字が苦手だから」
「認められてはいるから自信もあるんだけど、人気作家って訳ではないからねー。あ、でも、書店とかで見かけても読まないでね? 知り合いに見られるのって結構恥ずかしいんだから」
「広めてなんぼな気もしますけど。タイトルは?」
「それを言ったらおしまいじゃない」
「それも知らなきゃ探しようすら無いですって」
身も蓋もない返答に、彼は肩を落として苦く笑った。