序章
私はその日、初めて――
「あの、僕に何か御用でしょうか?」
「え……と、いえ、すいません…! 珍しい色をしていたものですから、つい…」
「色?」
「ああ何でもないんです、気にしないでください…!」
「は、はぁ」
怪しそうな目をするのも無理はない。
相手からすれば私は、気が付けば自分をじっと見つめていた、それも理由をはぐらかすような人間なのだ。
自然。自然である。
けれども彼は、そんな状況下にありながらも??
私は返答に迷った結果、
「えっと――お、お隣、空いてますか?」
「ええ、何も問題は――と、なるほど。他が全部埋まってしまっていたのですね。気が付かず、申し訳ありません」
「そそ、そうなんです…! ごめんなさい!」
「謝る必要は……」
と、言いながらチラと見やった周囲は、彼の発言した通りに老夫婦や若いカップルたちが軒並み座りつくしてしまっていた。
平日昼過ぎの総合病院前広場だと言うのに、また随分な込みようである。
彼は片方の手で私を促しながら、ベンチに広げていた画材を、端に寄った自分の方へと手繰り寄せる。
そうして出来た丁度一人分のスペースに、軽く会釈なんかもしながら腰掛けると、いつから溜まっていたのか分からないくらいに盛大な溜息が零れた。
「――とてもいい景色だとは思いませんか?」
ふと、彼が尋ねて来た。
え、と固まる私に、
「つい深く吐いてしまうような呼吸には、十二分なお薬だと僕は思うんです」
「あ、あはは……お恥ずかしいと言うか、お見苦しいところを…すいません、ちょっと色々ありまして」
「いいえ、僕のことはお気になさらず」
優しく微笑むと、彼はまたカンバスに向き合い筆を執る。
掛けられていたスケブには、見事なカーネーションの花が咲いていた。
しかし、だ。
「この公園――どこにもカーネーションは咲いてませんよね。それに、時期でもありませんし」
「おや、聡明な方でしたか。ええ、その通りですよ。僕はここに咲いている花を描いているのではありません。いえ――ここに咲いている、もう一つの花々を描いているのです」
また奇妙なことを言う。
重ねて疑問符を浮かべる私に、彼は「笑わないなら」と前置いた。
何故だかとても気になってしまった私は、コクコクと頷き彼の言葉を待った。
曰く。
人を見ると、その人に”花”を視てしまう、と。
そんな話を聞いた瞬間、私は自身の心臓が大きく弾む感覚を覚えた。
人に花を?
それは、まるで――
「そう言えば貴女も先程、何か言いかけていた様子でしたが? 確か、色がどうとか」
「あ――と、それは…」
「ええ、無理強いは決していたしません。いたしませんが、良ければお聞かせ願いたい。これはあくまで感覚と言うか、直感のような曖昧なものなのですが、貴女は、どうにも僕と何か似たような何かを知っているような気がして」
優しく、言葉通り決して強制しない口ぶり。
そんな彼の態度と無変化ぶりに、私は――初対面の、それも歳だってあまり離れていなさそうな男の子に、そう思えてしまうのは不思議だった。
彼の言葉に、そこか安心感を抱いていたのだ。
私は口を開いた。
生まれてこの方、母以外の誰にも打ち明けたことのない、それを。
「私――私も、人を見ると別の何かを“視る”んです。あなたの花ほど具体的なものではない、抽象的で、けれども何より分かり易い”色”として」
「色、ですか」
「はい」
ただ、それもずっと見えているという訳でもなく。
そればらば、ある意味私は幸せものだった。あの人はあれだ、これだ、と区別線引きが出来るということは、自分の中で一種の肯定になる。
しかし私は、何の悪戯か、目の前の対象が何か喋った時、行った時、何か大きな変化があった時――ひいては、感情に揺れがあった時に、よくそれを視る。
それ以外の時も視えているには視えているのだけれど、薄っすらぼんやり、不確かなものだ。
だから、ずっと視えているのではなく断片的なものだから、相手の心が透けて視えていると言って間違いではないのだ。
AからBの動作、言動に移行する際に大きく色の変化があった場合、それはAとBに明確な差があるということ、つまりはまったく別物だということが分かるのだから。
その言葉の是非、簡単に言えば嘘か真かが、手に取るように分かってしまう。
「なるほど。では、そんな貴女の言う”珍しい色”というのは?」
「正しくは、私が今まで一度も視たことがない色ですが。あぁいえ、これもちょっと違うかな……うーん、何て言ったら良いのでしょう」
「それは益々以って気になる話ですね。差し支えなければ、お聞かせ願っても?」
「構いません。あなたは――」
初めて――色のない男の子に出会った。