遺書
何度謝り続ければいいのだろう。
どれほどのお金を払えばいいのだろう。
何十年経てば終わるのだろう。
何をしたって未来永劫変わらないというのに。
しかし、最近になってようやくわかってきたようだ。
相手には話が通じないということに。
「これで最後」を繰り返し、過去を掘り返しては約束を破っていく。
こちらが落ち着いて話そうにも、感情的になって暴れ出す。
仕方なく折れて「これで最後」と言うと、相手はその時だけ従順に頷く。
茶番はうんざりだ。
もう交渉の席につく必要はない。
支離滅裂な相手にかまってこちらが得することがあるだろうか。
相手は自らの利益になる時だけ近づいて「親交を深めたい」だの「好き」だの心にもない軽い言葉を振り撒いて荒らしていく。
もはや文化的テロだ。
多元的な観点から捉えようにも、各方面で害をもたらしてくるのだから、総称して相手を疫病塵と呼ぶしかないだろう。
疫病塵は一切の関係を断ち切りたいと一部の人間は言っている。
彼等は大人なのだ。
そして誇り高いのだ。
喜ばしくもあるが、嘆かわしくもある。
我々は寛大さと誇りを利用され続けたのだ。
甘さを捨てなければ、何も変わらない。
悲しいことに、大口だけ叩いてまったく行動せずに見守っている情けない連中が多い。
言行一致が貫けない者は恥だ。
強がるなら度胸を見せろ。
意思は行動で示せ。
疫病塵を煽るだけでは調子にのるばかりだ。
本気で行動するならば、一切を掃除しなければならない。
不可逆とは相手を根絶やしにしてこそ成立するのだから。
誇りを怒りに変えて疫病塵を一掃しなければ、明るい未来は訪れない。