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切ない銀杏並木(第1章 15の春から)

作者: 三枝一裕

第1章  15の春


やわらかく穏やかな陽が幾重かの破線となって

片山神社のイチョウの古木から洩れている。

名古屋市東区東芳野 都市部にしては緑に恵まれた環境だ。


名鉄瀬戸線の尼ケ坂駅を降りると南側に大きな公園。

その東にうっそうとした芳野ケ森に片山神社は鎮座し

それらと直交するように「尼ケ坂」「坊ケ坂」と名前がついた

2本の坂が南に向かって真っ直ぐに延びている。

   

いかにも由緒が有りそうな地名を横目に 閑静な住宅街を

赤い4両編成の電車は軽やかに滑り去り 徐々に小さな点になっていく。

と同時に一斉に黒い制服に身を包んだ高校生の一団が駅から溢れ出す。


神社の古木には雀の巣が在るらしい。

その黒い一団の通過に合わせて威嚇で

けたたましく鳴き始める。


その喧騒に肩をたたかれ ふと自分が寝不足だった事に気付き 

改めて視線を上げ 背筋を伸ばして一団の進行方向を見た。

ちょうど体育館の大きな縦長の乳白色硝子越しに朝陽のシルエットが眩しい。


俺は その一団の後方を歩いている。

歩くのが遅い訳ではないが なんとなく気後れしていると言うか

遠慮しがちな性格でもあったせいか なぜか後方を歩いている。


これが期待に胸を膨らませての登校風景なのかなと

漠然とした自問自答を繰り返しながら。


そんなにドラマチックな高校生活を期待していた訳でもないが 

普通 だなア

と客観的にこの光景を分析していた。


足音が控えめになる坂道を昇り始めて3分程で

古めかしい西門にたどり着く。


両側に かなり風化したコンクリート製の門柱が立ち 

いかにも重そうな鉄製の扉は周囲にその威厳さを 

これでもか と誇示している。


門柱に埋め込められエンボス加工された

ブロンズ色のアンティークな銘板には

「名古屋市立工芸高等学校 西門」 と長々と記してある。

それを再確認すると少しだけ早足になった俺は西門を通過し

体育館の南側から下駄箱のある ほの暗い事務局裏に向かった。


その当時俺は 自分自身を「カズ」と呼んでいた。


自分には有りがちな普通といえば普通の名前がちゃんとあった。

しかしこの名前が嫌いで嫌いで仕方なかった。

ダサくて古臭くて何の工夫の痕跡すら感じられない そんな名前だった。

時代劇のお殿様とかに登場しそうなレトロな名前が恥ずかしかったのだ。


その当時 音楽に目覚め 夢中になっていたのが オフコース だった。

当然といえば当然だが 小田和正 に陶酔していた俺だった。その小田とは

透明感溢れた歌声に都会的で上質な曲調。


大人の世界を醸し出すアーティスト。

それにちなんでか自分を カズ と呼びたかったのだ。

しかしこの事は誰にも言ってない。

いや ダサくて言えなかったと言った方が正しい表現かもしれない。

などと意味不明な事を考えながら歩いていくと 

ほの暗い下駄箱群の前に立っていた。


この下駄箱がまとめて置いてある場所は体育館と校舎を結ぶ

2階の渡り廊下の下階に位置していた。


年中無休で暗い場所なのだ。夏は芳野ケ丘を駆け抜ける爽やかな風で

リゾート気分をタダで味わえる快適な場所なのだが

冬ともなると北風小僧ご一行様が集団移動し下手すると

遭難しそうな場所へと変貌する。


濃い赤サビにまみれた鉄製の下駄箱は暗黒の世界で 

より一層周囲に溶け込んでいた。

何クラスかの下駄箱が並んでいる中から「インテ1」と

表記のある鉄の塊から自分の番号を探した。


所々扉が折れ曲がったり無くなったりしている。

この鉄の塊が長年ここの生徒たちと格闘したんだなと 

自分なりに解釈しその歴史に感じ入り 

物言わぬ鉄の塊に敬意を表す俺だった。


自分の番号である 13 をすぐさま見つけ出し扉を引く。

鈍く響く金属音と同時に重く冷たい感触が指先に記憶として残った。



下駄箱から真新しい赤いビニール製の光沢ある上履きを手短に取り出した。

新入りの上履きと瀕死の扉とのコントラストがやけに新鮮で目に鮮やかだ。

1年生は赤色の上履きだった これは学校の指定色なのだが男子生徒に

とって今までの「男の子は黒色」「女の子は赤色」といった人生観を

脳天から否定される色だったから大変。

慣れるまでに相当な時間を要していた。


上履きだけではなかった 体操服にも赤が指定されている。 

2年生が青色 3年生が緑色と学年色となっていて 

一目で何年生かが遠目にも判ってしまうから大変だ。


留年でもしようものなら目立って仕方がないのだ。俺も入学 間もなくして

義務教育とは違う厳しい世界を垣間見て 

「留年だけは絶対にしないぞ」 と密かに誓ったものだった。


この古めかしい校舎は竣工してから 一体何年経っているんだろうか 

どうせ3年間の高校生活を過ごすのなら 

新しい方が良いに決まっているのが世の常だが俺にとっては 

その古ささえ ささやかな愛着や敬意の対象だったのかもしれない。


さて「インテ1」の教室は4階の中央付近に在った。

この4階の中央付近というのが後に 特に女子生徒にとって

「軽い悲劇の現場」になろうとは 今は知る由も無かった。


北側に続く廊下の中央付近から階段方向に向きを変えた。

迷彩色に変色した サビた手すりにインコーナーの床だけが

削れて低くなっていて歩きにくい 

そんな階段を 「インテ1」目指して駆け上がっていった。



「インテ1」とはインテリア科の1年を指すのであるが 

あえて省略することもないと 俺は感じていた。


上りにくい階段を一気に駆け上がり4階の階段の近くに

「インテ1」の表示を上目遣いに確認すると 

硝子音と共に開く引き戸をゆっくりと開けた。


硝子扉の向こうはパノラマの世界だった。


逆光の中に整然とした白いビル群 

斜め右には校舎の銀杏並木の大木が新芽をたたえている 

その延長線上に名古屋のシンボルである

テレビ塔が銀色にきらめいている。


「なんて贅沢な風景なんだろう」。


俺の自宅の窓からは600メートル級の猿投山と

三国山ぐらいしか見えない

名古屋に隣接する瀬戸市の中学を卒業した俺は 

いわゆる田舎の子だった。

だから この風景を何回見ても その都度新鮮な視覚に息を飲むのであった。


都心にせよ大自然にせよ 人の心に語りかけてくる風景ときたら狂人を凡人

にしたり凡人を詩人にしたりする魔力を持っているらしい。


事実 俺もこの風景に影響され 何篇かの詩を作り それらに曲をあてがって

アーティストの真似事をしていたりする。それもこの風景のマジックらしい。


詩といっても一定の形式にとらわれず 

思いのままに書き綴っただけの幼稚な代物だったし

文法なんかは まったく駄目で小学校以来 

国語の授業などは嫌いでどうにもならなかった。


国語の授業ともなると教科書でパラパラ漫画を作ったり

著者紹介の写真にヒゲやメガネを書き加える平凡で平均的な

子供だったから国語力は簡単に想像がつくのである。


また 読書の習慣も皆無で高校に入学するまでに読んだ本ときたら 

小学5年の時に親が無理やり買い与えた「曲がった時計」

と中学2年の時に図書館で借りた「江戸川乱歩の人間豹」。

悲しいかな 本当にただそれだけなのだ。


そして結果的に高校時代に読んだ本 いや 借りた本が

「悲しみよこんにちは」だけであった。

その本を借りた理由が不純であったという オマケ付。


その理由だが 自分が図書委員をしている時に 

チョット可愛いテニス部の憧れの女子生徒が借りていった本だったのだ。


彼女がどんな思いでこの本を

読んだのか そして なにげに話題を合わせたい下心からなのだが 

所詮動機が不純だったから 表紙と3ページぐらい読んだ辺りで

睡魔に襲われた。

そのままの状態で返却日を迎えて沈没。

「いゃー あの時 睡魔に襲われなかったら完璧読破したよなぁー」

と誰に向かっての言い訳なのか解らない おバカな 俺だった。


よく ありがちな 文系とは程遠い 典型的な オチャラケ系の少年だった。


さらに言うなら文学とか小説が苦手な決定的な理由は独特の言い回しだった。

「○○なのであった」とか「○○かもしれないのだ」なんて表現 

会話の中でしないやんか。とツッコミを入れたくなるし 

何より細かい心情や風景の描写が自己満足の世界でクドクドしていて

読んでいるだけで眠くなるのだ。


あぁ それなのに 何十年か経て「こんな文章書いてる俺って何者なんだ」




教室からの風景で これだけの回想ができるなんて やっぱ このパノラマは

凄い魔力を湛えているに違いない。俺は改めて確信したのだった。



ふと我に返り 視線を手前にやると教室にはクラスメイトが数人いた。

俺は遅れがちに おはよう と首を少し前に出しながら小声で挨拶をした。

まだ クラス全員の顔と名前を覚えきれていないのも 

センスのいい風景のせいなのかもしれない。

時間の経過とともに入ってくる生徒たちを右目で意識しながら

ここ数ヶ月の出来事を思い返していた。

このインテリア科は公立高校で屈指の人気を誇っていて 

最終的に受験した時の競争率は 2.3倍となっていて愛知県下1位だった。


だから受験前は不安で不安で眠れない日々が続いていた。

悪い夢にうなされる事もたびたびあって 

早く終わってほしいと真剣に神頼みをしていた。


そんな事も手伝ってか受験当日は余計な力みも無く 

無事に合格してしまったのだ。


同じ校舎で受験したはずなのにどの教室だったか周囲にどんな受験生がいたのか 

まったく思い出せないぐらい 放心状態に近いものがあった。


半分以上の受験生が不合格となり その後の人生に少なからず

影響したことを考えたら「もっと気合を入れないと申し訳ないと」

思いつつもこの競争に勝ち残り

その後の人生で挫折しそうなシーンで何度もこのことを思い出しては

救われた事を ありがたいと感じるのだった。

少し複雑な心境にとまどいつつ。



競争社会への第一歩としては 少し手厳しい洗礼だったのかもしれないが

自信という大きな財産として 今でも大切に心の奥底に しまってある。


そんなことを左右に揺れるフワフワした思考回路で巡らせつつ

早朝の通学電車の疲れに まだ身体が慣れていないのに改めて気付いた。

「ふー 眠い 眠すぎる。。。」


「何でインテリア科なのか。」


俺は小学校高学年の頃に心に決めていた職業が有った。建築の仕事だった。

その頃 雑誌か何かで見かけた ユートピア計画 に目が釘付けになった。

21世紀の住宅や人類は こうなる 的な記事だったと思うが海底都市や

宇宙都市がイラストで掲載されていて 自分も 

こんな夢に溢れた計画に携わってみたいと強く思った。そういえば

その頃の文集の中で

「将来は建築設計の仕事がしたいと思います。」的な作文を書いている。

その頃からの強い憧れや夢が 今でも自分を支え続けているのかも知れない。


そして このクラスの生徒は当然のことではあるが全員がインテリアを勉強

しに通学してくる仲間なのだ。そして1学年で40人しか募集しない関係で

3年間クラス換えがないのだ。


これが「吉と出るか凶と出るか」正に 神のみぞ知る。


ふと 教室に入ってくる生徒を眠気まなこで見ている俺の目に一人の

目立った女子生徒が飛び込んできた。


大きな目と長いまつげにショートヘアー 細身で小柄な女の子だった。

そのインパクトは尋常ではない。

「こんな可愛い子 同じクラスにいたっけー」


入学して何日か経つのに その少女に気付いていなかったなんて

損した気分になった。たぶん「緊張や疲れによる注意力散漫で気付かなかったんだ」と

自分勝手に解説している 俺だった。


「あの子と絶対に仲良くなりたい。」


その少女の名前は「N美」。


そして そのN美が在学中だけでなく 卒業後数十年もかけがえのない存在になろうとは

本人たちを含め 誰も想像していなかった。


自分の机から見渡す風景が少し変化し その瞬間から 少しだけ大人に憧れを持ち

ほんの少しだけ背筋を伸ばした 俺 だった。

どこにでも いそうな平凡で平均的な 少年。


そう ただの 15歳の少年だった。


やわらかだと思い込んでいた朝の陽射しが 色を変え 少し胸騒ぎを覚える。


人に語りかけてくる銀杏並木が 軽い目眩と共に一瞬であるが遠くに感じた。


4月の朝の出来事。


そして2人とも真新しい制服での 「15の春」だった。


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