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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「友情」は悩ましい
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23.「正義」逆位置(4)

「真っすぐに。釣り合うように。善意と誠意が、違わず噛み合うように――」


 ハイデマリーは楽しそうに嘯きながらくるりと「正義」のカードを回転しおえると、疲れたようにどさりとソファに背中を預けた。


「――ああ。タロットって、集中力がいるのよね。紅茶はまだなのかしら。【怠惰】ったら、あんまりのんびりしていては、夜が明けてしまうじゃないの」


 先ほど出ていったばかりのモーガンに対して、そんな無茶な独白を放つ。

 彼女は自身の膝に頬杖を突き、気だるげな表情で最後の一枚をめくると、「ああ」とぞんざいに頷いた。


「『太陽』。よかったわねえ、ハッピーエンド。めでたしめでたしだわ」


 最後に開かれた、十字の一番下のカードには、人の顔を持つ太陽と、青い腰布を巻いた裸の赤子の絵が描き込まれている。

 周囲には、色鮮やかな光の雫。タロットに疎い者であっても、輝かしく、喜ばしい札なのだと思わせるような、それは絵柄であった。


「これが最終結果と言ったな。どういう意味だ?」


 すっかり興味津々となったクレメンスが、札を覗きながら問うが、ハイデマリーは軽やかに肩をすくめるだけだ。


「どういうもなにも、見たままの意味よ。太陽。成功。祝福」


 そうして、彼女はすっと立ち上がると、優雅に裾を捌いて、部屋を去っていこうとするではないか。


「――なんだか、とても眠くなってきてしまったわ。占いは、ここまで。悪いけれど、【怠惰】とギルにはよろしく伝えておいて」

「はーい、おやすみー」

「紅茶は、代わりに、俺が、頂こう」


 女王の気まぐれは今に始まったことではないのか、ホルストやイザークは、こともなげにそれを受け入れ、彼女を見送る。


 が、クレメンスは、ハイデマリーの一連の行動に、強い疑問を抱かずにはいられなかった。

 よって彼は、するりと猫のように立ち去る彼女を追いかけ、廊下へと飛び出した。


「待たぬか」


 ハイデマリーはちらりと振り返るが、すぐに視線を戻し、そのまま歩きつづける。

 クレメンスはむきになり、そのほっそりとした二の腕を掴んで、強引に振り向かせた。


「待て。……聞きたいことがある」

「あらやだ、思わぬアプローチに胸が高鳴ってよ。わたくしにもポエムを捧げてくださるの?」


 笑みを含んだ声も表情も、いつもの彼女だ。人をおちょくって惑わすのも同じ。

 だが、今回ばかりはクレメンスも、その手に乗るわけにはいかなかった。


「望むなら書いて進ぜよう。だが報酬として、おまえの真実を頂戴したいものだ」

「……情熱的な方ね」


 ハイデマリーは優雅な笑みを崩さない。だが、声がごくわずかに、低くなった。


 ――あなたの真実をちょうだい。

 かつてハイデマリーが告げたセリフの意趣返しだと、理解したからだろう。


 途端に彼女がまといはじめた冷ややかな雰囲気に、クレメンスは無意識に唇を舐めた。

 脳裏では目まぐるしい勢いで言葉と記憶を手繰り寄せ、確実に相手の興味を引き付ける問いをひねり出す。


「――聖鼎杯。もしくは、トリニテートという言葉を、知っているか」

「…………」


 反応は、上々だった。


 無言でこちらを見返してきたその藍色の瞳を逃さぬよう、クレメンスはハイデマリーを見据えながら続けた。


「ちょうど今年、今頃にでも、聖鼎杯が行われているはずだ。直近では、三十年前だった」

「……それがどうかして?」

「当時私は司教の座に無かったが、それでも噂が耳に入るくらい、当時アウレリア界隈を騒がせた醜聞があった。トリニテートに内定していた三人のうち、聖女候補の娘が脱走(・・)した、と。表向きには、病死ということになっているが……な」

「…………」


 ハイデマリーはなにも言わない。

 クレメンスは、気にせず続けた。


「当時の聖女候補は、学院史上類を見ない聖力量の持ち主で、その能力の高さゆえに、わずか五歳で聖女候補生となり、彼女を見出した学院によって『保護』されていた。髪色などの詳しい情報は知らぬが……幼くして完璧に整った美貌と、覗き込むだけで自我が溶かされるような、深い双眸の持ち主だったと聞く」

「……そう」

「その聖女候補のほかに、優れた聖剣士候補と聖術師候補に恵まれたその年、三人はトリニテートの内定を得て、聖鼎杯はもはや消化試合に過ぎなかった。だがそれが行われる前夜――それまで従順だった五歳の聖女候補が、逃げた」


 無言で耳を傾けるハイデマリーに、クレメンスは元宰相らしく、端的に過去を語って聞かせた。


 聖女の逃亡に手を貸したのは、その瞳で自我を溶かされた聖剣士候補だった。

 彼は友人であった聖術師候補によって我に返り、自首。


 投獄も検討されたが、当代一の聖剣使いを手放せないと考えた教会は、名ばかりの枢機卿の地位を与え、学院に飼い殺しにすることによって償いを命じた。

 併せて、教会や学院への不信を避けるため、聖女の逃亡は、表向きには病による突然死として片付けた。


 脱走に関与しなかった聖術師候補生にだけは、そのまま聖術師の地位を与え、教会の奥深くにある聖地への入殿を許したものの、三人のうち二人までもがその座を手放したことにより、その年のトリニテートは不成立。


 それに対する神の怒りかのように、数年後アウレリアはルーデンの属国となる。

 亡国の危機に喘ぐアウレリアをよそに、幼い聖女候補の足取りは、杳として掴めなかった――。


「醜聞を疎んだ教会が積極的に語らなかったせいで、聖女候補についての情報は曖昧なものや、ばかばかしいものも多いが、共通して語られるエピソードは、こうだ。彼女が歌えばたちまち動植物が育ち、彼女が見つめれば、たちまちすべてが魅了され、膝をつく――」


 クレメンスは、灰色の瞳を鋭く細め、向き合う女の、その潤むような藍色の瞳を射抜いた。


「魔性にすら似た、その魅了の力。声に、瞳。そして……おそらくは年齢的にも。おまえ、さては――」

「あーら、【虚飾(クレ)】ちゃんったら、夢中になってなんの話?」


 とそのとき、クレメンスの背後から、ぽんと肩を叩く者があった。

 ほんのわずかにハスキーな、ハイデマリーとは異なる艶を帯びた声。


 リーゼルである。


 彼は、とっさに振り向いたクレメンスの頬を、肩に置いた人さし指でむにっと攻撃し、小首を傾げた。


「いつまでもその女の腕を掴んで口説いてると、【憤怒(ギル)】にすり潰されるか、あるいは本人からがっぽり巻き上げられるわよ」

「やあね、口説かれてなんかいないわ。年齢についてささやかな会話を交わしていただけよ」

「年齢? 無粋ねえ」


 リーゼルは鼻に皺を寄せて、クレメンスをハイデマリーから引きはがすと、しっしと犬を追い払うような仕草をした。


「遊びに不慣れなじじいは、これだから困るわ。女が部屋に帰りたがっていたら、速やかに道を開けて見送るのが男ってものよ」

「だが、その女は――」

「聞こえない?」


 クレメンスが身を乗り出すと、リーゼルもまた背を屈め、ぐっと声を低めて囁いた。


「引っ込め、つってんの」


 どすの利いた、声。

 それによる恐怖よりも、頭のどこかがキィンと引っ張られる感覚によって、クレメンスはその場で硬直した。


 リーゼルによる洗脳が、ここにきて効果を発現したのだ。


 やがて意識の消失した瞳で、ふら、と廊下を引き返しはじめたクレメンスを見届け、リーゼルはふんと鼻を鳴らした。


「ルーデン男なんて、たいがい無粋なものよねえ」

「――ありがとう、【嫉妬】。助かったわ」


 ハイデマリーが静かに笑んで礼を述べると、リーゼルは「いいえ」と肩をすくめた。


「礼には及ばないわ」

「あら、珍しく優しいこと」

「べつに。だって、クレちゃんを追い払ったのは、あんたのためなんかじゃないもの」


 目を瞬かせたハイデマリーの前で、リーゼルはすっと、一枚のカードを掲げてみせた。


 光の雫を撒く日輪と、裸の赤子が描かれた札。

 先ほどハイデマリーが開き、そのままにしてきた、『太陽』のタロットだ。


「ねえ、【色欲】。最終結果の、あんたの解釈をまだ聞いてないわ。ついでにあんたの過去とやらも。ぽっと出のじじいなんかよりも、まずあたしに(・・・・)……話してくれるわよね?」


 美しく化粧を施した琥珀色の瞳が、獲物を狙う猫のように、きらりと光った。

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