16.「普通」の剣技(2)
ほかの候補生たちが皆、いわれのある名剣を振りかざしている中で、小柄な少女がちょこんと包丁を握りしめている様は、大層異様であり、場違いでもあった。
「ちょ……っ、な、なんでここで出刃包丁というチョイスだったのですか!?」
「いっそ武器からかけ離れたものを用意してもよかったが、昨日のケースを見るに、下手に武器を封じるとあいつは予想外の方策に打って出るだろう。伝説の剣とは桁違いに威力で劣り、だが辛うじて武器とみなされる、そのぎりぎりのラインを狙った結果だ」
ルーカスが力強く答えたその瞬間、舞台で異変が起こった。
――きしゃああああああああっ!
二体のヒュドラの内、雌と思しき一回り小さな個体が、鋭く威嚇音を放ち、一斉に首を伸ばしたのだ。
「ぅわ……――っ!」
「ひいっ!」
同時に吐き出された毒の炎に、候補生たちが悲鳴を上げる。
身をよじって躱しつつも、幾人かは攻撃を受けてしまい、じゅっと焼けた肌を押さえながら獣のような叫びを響かせた。
「くそ……っ、この、化け物め……っ」
「八つ裂きにしてやる……!」
気性の荒い候補生たちは、それでもなお果敢に攻め続けるが、斬り落としたそばから二つの頭が再生し、しかも落ちた頭は毒を撒き散らしながら床をのたうつ。
数は圧倒的に剣士たちのほうが多いはずなのに、蹂躙されているのは彼らの側であった。
聖剣士筆頭候補と言われるジーノは、まだ動きを見せない。
剣を緩く握り、視線だけは鋭く間合いを図っているようである。
ほかの候補生たちも、想像以上に厄介なヒュドラの性質に手こずり、攻める者と、様子見にまわる者とが半々、といったところか。
そんな中にあってエルマはといえば、出刃包丁を片手に握ったまま、所在無げに佇んでいた。
「よ……よし! さすがに出刃包丁じゃ、どうにもならないわよね……!」
「間合いを図る技能があるぶん、現状の不利さをよく理解しているようだな」
魔獣相手に身動きが取れないでいる候補生に、通常なら焦燥や苛立ちを浮かべるべき場面。
しかしルーカスたちは喜色を露わにした。
「これで……負ける!」
時折ヒュドラの側から放たれる攻撃は、さすがに躱しているようだ。
このままいけば、エルマはぱっとしないまま試合を終えるだろう。
両名はぐっと拳を握った。
「うおおおお! ルローケン流が奥義、悪即斬剣!」
「はああああ! グインダーマ流が秘技、烈長縄常夜剣!」
傍らでは、候補生たちが次々と奥義名やら流派やらを叫びながら、猛攻を続けている。
めいめいが好き勝手叫び、かつあっけなくなく薙ぎ払われる様子は、多少滑稽ですらあった。
が、それを見たエルマが、
「――…………」
ちらっと顔をあげ、少しときめいたような雰囲気を醸しはじめたので、ルーカスたちは思わず手すり越しに身を乗り出した。
「普通じゃない! 奥義名を叫んで必殺技を繰り出す姿は、まったく普通ではないぞ!」
「惑わされないで!」
叫びが届いたわけではないだろうが、エルマは出刃包丁にちらりと視線を落とし、なにやら諦めたように姿勢を戻したので、二人はほっと胸を撫で下ろした。
「さすがに出刃包丁では必殺技もなにもないですものね……!」
「いい仕事をしたな、出刃包丁……!」
ちょうどその時、ヒュドラ二体が一斉に咆哮し、獰猛な頭を四方八方に振り乱して一斉に毒液を飛ばした。
それまでの毒吐きが児戯に見えるほどの、苛烈極まる攻撃。観客席や控えの間すれすれまで迫るヒュドラの毒液に、人々は恐怖のどよめきを上げる。
「ぐぁ……っ!」
「うわああああああああっ!」
肌を焼かれた候補生たちの凄まじい絶叫に、ルーカスたちもまた一瞬顔を強張らせたが、少女がひらりと身を躱した様を見て、ほっと息を漏らした。
複数の頭から飛んでくる毒液を、完全に回避しおおせた候補生は、わずか二人。
エルマと――おもむろに剣を握り直した、ジーノであった。
「……ようやく外野が減ったぜ」
呻き声を上げ、救護班に回収されていくライバルたちを尻目に、ジーノはくいと口の端すら持ち上げて嘯く。
敵を前にみっともなく撤退してゆくのは、日頃彼のことを、貧民だの、みすぼらしいだのと罵っている級友たちだ。
ジーノはそんな彼らを、軽蔑しきったような目で見送ると、次に顔を引き締めた。
それから、まるで投擲の準備をするように、剣を握った右手を肩ごと後ろに引き――その姿勢のまま、目にも留まらぬ速さで、ヒュドラの一体に向かって駆け出した!
「あいつ、無茶な――!」
観客がざわめく。
が、ジーノは揶揄すら許さぬ速さで牙を躱し、毒を刃で弾き返し、一気にヒュドラへと肉迫する。
牙を突き立てんと、鎌首を上げた十以上の頭すべてを、腕の一振りで薙ぎ払い、それらが頭を再生させる前に、一層接近。
さらには、ぐわっと唸りを上げて追いかけてきた五つの頭を、屈みながらぶつけ合わせ、その隙をついて、うねる蛇躯に守られた、ヒュドラの最奥へと手を掛けた。
「ヒュドラは頭を切り落としても再生する――核となる邪頭を潰さない限りはな」
にっと笑って、彼はまるで熟れた果実にナイフを入れでもするかのように、軽々と剣を突き刺した。
「ど真ん中に……聖力の塊を食らいな!」
ぱあああああああっ!
その瞬間、目も開けていられないような閃光が炸裂した。
耳を聾する末期の叫びとともに、ヒュドラの輪郭が消し飛ぶ。
ざら、と、砂が崩れるような音が響き――その次に人々が瞼を持ち上げたときには、ヒュドラの姿そのものが、消えていた。
「……まずは、一体」
ジーノは、ぺろりと舌で唇を舐めて呟く。
一瞬の沈黙ののち、観客席から一斉に歓声が溢れた。
「うおおおおお! すげええええええ!」
「さすがは筆頭候補生! やはりトリニテートは彼よ! 彼以外にありえないわ!」
見れば、すっかりエルマ教信徒となったクロエもさすがに頬を紅潮させ、友人であるラウルも、喜びを隠せないように微笑んでいる。
イレーネもまた、舞台と観客席の双方に素早く視線を走らせ、興奮のためかぎゅっと胸元を押さえた。
「聖力で丸ごと吹き飛ばしたか……それほどの威力の得物を完全に操るとは、さすがだな」
優れた武技を見慣れたルーカスもまた、「ほう」と感嘆の溜息を漏らす。
が、目の前でそれを見ていたはずのエルマは、ちらりとも感動したそぶりを見せないので、ルーカスは不思議に思い、目を凝らした。
(さすがに度肝を抜かれて、硬直しているのか……?)
だが、それともなにかが違う。
ルーカスはまじまじと彼女を観察し、ふと、あることに気付いた。
(なにやら……怒っている?)
眼鏡で素顔は見えないが、どことなく、ジーノに対してつんと顔を上げて佇む様は、彼女が怒りを湛えているかのようにも見えた。
「……あんまりです」
周囲の喧騒に紛れて、ぼそっと、彼女が低く呟く。
(え……――?)
その真意が掴めず、ルーカスが眉を顰めていると、エルマはくるりとこちらに向き直った。
「イレーネ、そして、殿……用務員殿」
声を張り上げ、こちらに真っすぐ呼びかける。
イレーネとルーカスが、ずっとやきもきしながら見守っていたことを、もちろん彼女は気付いていたようだ。
「私の剣を出刃包丁にすり替えたそのお気持ち、しかと理解いたしました」
ついでに、彼らが小細工を弄したことも、もちろんしっかりと気付いていたらしい。
ただ、エルマはそれだけを言い切ると、再びヒュドラへと向き直ってしまったので、ルーカスたちは、発言の意図を、すっかり取り損ねてしまった。
「エルマ……?」
「な、なぜそこで、おもむろにヒュドラに近付いていくの……!?」
ついでに、エルマがなぜか残ったヒュドラへと歩み寄っていったので、彼らは混乱した。
特に、興奮して観戦しつつも、ヒュドラが毒を吐くたびにびくりと肩を震わせていたイレーネは、手すりにかじりつくようにして身を乗り出した。
「ちょ……ちょっと待って、エルマ! まさかヒュドラと戦う気じゃないわよね! ねえ、あなた、戦わないって言ったわよね!?」
「戦いません」
「じゃあなんでそっちへ行くのよ……! 早く、……早く、こっちに戻ってきなさいよ! 危ないわ、それは単なる包丁なのよ!? 棄権しなさいよ!」
背を向けたまま言い捨てるエルマに、イレーネがますます語気を強める。
だが、イレーネが再び叫ぶよりも早く、それは起こった。
――ぐあああああああっ!
目の前で番いを失ったヒュドラが、大地を震わすような咆哮を上げ――ひときわ大きな蛇頭の、その獰猛な咢を開き、襲い掛かってきたのである。
毒の炎を吐くときとは段違いの物々しさに、観客が思わず息を呑む。
これまでの攻撃は、しょせん牽制でしかなかったのだと突きつけるような、それは害意に満ちた動きであった。
風を切り、瞬きすら許さず、その巨大な口で餌食を貪る――。
絶対なる捕食者の、あまりに素早い動き。
観客に恐怖と動揺が広がったのは、だから、少女が呑み込まれてから、ひと呼吸を置いた後だった。
「――……く、食われた……」
ぽつりと、誰かの喉から引き攣った呟きが漏れる。
それを皮切りに、闘技場は蜂の巣をひっくり返したような大騒ぎになった。
「お、女の子が食われたぞ……!」
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