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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「友情」は悩ましい
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14.「力」正位置

「『力』、正位置」


 贅を凝らした、けれどどこか退廃的な空気の漂う居室に、ひっそりとした女性の声が響いた。

 優雅にタロットをめくったハイデマリーは、「あらまあ」というように片眉を上げる。


 彼女は白い指先でつっとそのカードをなぞると、意味深に微笑んだ。


「素敵な贈り物をしたのね、エルマ?」

「……どういう意味だ?」


 覗き込んでいたクレメンスは、目を凝らしながら尋ねる。


 白い衣装をまとった女性が、穏やかに微笑みながら、素手でライオンの口を閉じようとしている絵。

 残念ながら占いの類に明るくないクレメンスは、カードの意味も、呟きの真意も理解できなかったのである。


 ハイデマリーは優しく頷くと、ゆっくりと口を開いた。


「これはね、『力』と呼ばれているカードよ。ただし意味するのは、暴力や膂力のような物理的な力ではないわ。荒ぶる精神や、本能の比喩とされるライオンを、素手で手なずける――そういった、本来制御不可能なものと向き合い、支配下に置くという意味合いなの」


 だから、正位置での意味は、強固な意志、自制、勇気、実行力。

 逆位置だと、引っ込み思案、人任せ、優柔不断といった意味になる。


 そこまでをわかりやく説明すると、ハイデマリーは「力」のカードを拾い上げ、キスを落とした。


「そして、『周囲に与えたもの』でこのカードが出たということは、エルマが誰かに、勇気や強固な意志を与えた、ということ。親としては誇らしいわね」

「そんな……」


 たかだか占いで、ばからしい。

 クレメンスは咄嗟に言いかけたが、しかしそれは音として紡がれることはなかった。


 なぜなら、それよりも早く、ほかの囚人たちが口々に声を上げたからである。


「なに言ってんのよ、エルマを教育したのはほとんどこのあたしよ。誇りに思うのは、真っ先にあたしであるべきだわ。他人に強固な意志を与えるだなんて、洗脳の十八番だもの。きっとあたしの洗脳技術を活かしたに違いないわ」

「なに言ってるんだか。ライオンは制御不可能なものの象徴でしょ? きっと僕の授けた医療科学技術を駆使して、本来制御不可能な生命体を支配下に置いた、そういうことだと僕は思うね」

「……いや。やはり、『力』だと、いうのだから、純粋に、俺仕込みの、建築物を粉砕する、馬力を、披露したという、可能性も……」


 順に、リーゼル、ホルスト、イザークである。

 イザークは即座に「いやだから、物理的な力じゃないって言ってるでしょ」と周囲に突っ込まれていた。


 ちなみに、モーガンやギルベルトも、内心では「自分の教育の成果だな」と思っていることがわかる表情を浮かべている。


「はいはい。わたくしなんかよりもずっと優れた教師であり親である、皆のおかげだわ」


 ハイデマリーが肩をすくめ、拗ねたように告げてみせると、リーゼルがちょっと考えたのち、鼻を鳴らした。


「……ま、あんたも、あたしの次くらいには影響力のある母親だと、思ってはいるけどね」


 この二人はなにかと張り合う傾向にあるが、リーゼルは元家庭教師だった過去もあり、人を否定するだけ、といったことはしないのである。


「影響力っていうか、なに? あんたのそれは、まんま支配力、って感じよね。それも魔性方向に振り切った」


 とはいえ、どうしても素直な褒め言葉を口にするところまではいかないらしい。

 リーゼルが褒めているのか貶しているのかわからない評価をすると、ホルストが横からばっさりと言い切った。


「魔性方向、というよりはまんま魔性だよね。マリーが歌えばたちまち、動物でも植物でも、ありとあらゆる生き物が爆発的に成長したり、興奮状態になるだなんて」

「あら、そんなにおかしなことかしら。普通、歌というのは、体にも心にも影響を及ぼすものなのよ。それに、歌で興奮を掻き立てるのは娼婦の本分だわ」

「あらゆる生き物を奴隷のように従えることもですか」


 ハイデマリーが言い返せば、穏やかにモーガンが反論する。彼は窓から庭園を一瞥すると、やれやれといったように首を振った。


「【色欲】に歌っていただくと、庭の草花が一斉に成長するのはありがたいことですが、いささか『一斉すぎる』のが難点です。東の庭はもう少し遊びを大切に、と思っていたのに、まるで定規で引いたような直線的な造形になってしまいました」


 そう。

 あらゆる命を誘惑し、成長と服従を誘いかける彼女の歌声は、結果的にいつも、過剰に統率の取れ過ぎた生命群を作り上げてしまうのである。


 それを周囲から説明されたクレメンスは、静かに顔を強張らせた。


 この監獄、既に常軌を逸した能力の持ち主ばかりとは理解していたが、まさかこの女までもとは。


(いや……ほかの者どもは医学知識にマインドコントロール、膂力、交渉力といった、人間の持ち得る能力のあくまで延長だが、この女に限っては――明らかに、人の範囲を逸脱しておらぬか……?)


 いつも男たちに囲まれながら、居室の最奥で守られているかに見える、美貌の女。

 華奢で、穏やかで、この場にいる誰よりも物理的には弱いはずなのに、決して勝てないと思わせるような、なにか迫力がある。


 元娼婦、とは聞いていても、その前の出自がどうであったかをクレメンスは知らない。

 高級娼婦であればあるほど、元は貴族の娘であったりするので、もしかしたら目の前の女も、それなりの身分の持ち主だったのかもしれない。


 クレメンスはそっと目を細めた。


「まったく……あなたの適性は歌姫というより、セイレーンか魔王かといったところですよ」


 と、その横では、よほど庭のことを根に持っているのか、モーガンがまだ溜息をついている。

 紅茶と、それを愉しむ優雅な時間を愛する彼は、庭の手入れもまた愛しているのである。


 それを聞いたハイデマリーは、ちょっと拗ねたように唇を尖らせた。


「失礼な人ねえ。これでもわたくし、聖女と呼ばれたこともあってよ?」

「【色欲】が聖女! 傑作ね」

「そんなあからさまな当てこすり、初めて聞いたよ」


 ジョークと取られ、一笑に付されてしまった、発言。


「…………」


 しかし、クレメンスは――過去に司教の座に就いていたこともあった男は、目の前のハイデマリーを、まじまじと見つめた。


「さて、わたくしのことより、エルマだわ。次のカード――『周囲から与えられるもの』は……あら、まあ」


 美貌の娼婦は、優雅な手つきで次のタロットをめくり、軽く眉を顰めていた。




***




 聖女の部を終え、再び迎えた夜。

 この日もまた、翌日に備えて静まり返る学院の一角、敷地の外れにある備品小屋で、こっそりと扉を叩くものがあった。


「先生。入りますよ」


 癖のある黒髪に、やんちゃそうな性格を窺わせる顔立ち。

 若いながらしっかり鍛えた体に長剣を帯びた少年――ジーノである。


 彼は暗がりに目を慣らすように、きょろきょろと周囲を見回しながら小屋に踏み入った。


 ――シュッ……!


 途端に、鋭く空を切る音が響く。

 ジーノは考えるよりも早く後ろに跳びのき、目の前の空間を薙ぎ払っていったものを理解すると、ひゅうと口笛を吹いた。


「刃に触れずとも、風圧だけで鉄の柱を切り裂く。これが噂の、聖剣士グイドの風剣ですか」

「……正確には、聖剣士崩れ、だな」


 低く、グイドが呟く。

 すると、大量の備品を収めた棚の鉄柱が、ようやく自らが切られたことを理解したとでもいうように、ぐらりと断面を見せながら斜めに滑り落ちようとする。


 ジーノは慌てて断面を握り合わせ、棚の倒壊を防いだ。


「ってか重! え、待って、これどうすりゃいいんですか、先生!?」

「考えていなかった。とりあえずそのまま握っとけ」

「ええええ!?」


 意外にずさんな発言に、ジーノが思わず叫びを上げる。

 が、グイドは「嘘だ。これをやろう」と告げて、補強用の木材と布を放り投げた。


「もともとその辺りの錆が気になっていたんだ。用務員に本格的な修理をさせるから、ひとまずこれで固定しておけ」

「えっと……。俺、もしかしてそのために呼ばれたんですか?」

「そしてもうひとつ。これもおまえにやろう」


 グイドは相変わらず淡々と、とある物を投げてよこす。

 ジーノはその正体を理解すると、鉄柱すら手放して、それを両手で受け取った。


「先生、だってこれは……!」


 一瞬遅れて、支えを失った備品棚が丸ごと倒壊する。

 だが、いったいどう切ればそうなるのか、鉄柱と天板、備品は滑るように床に落ち、埃を巻き上げたものの、ほとんど音を立てなかった。


 小窓から青褪めた月光だけが差し込む、暗い備品庫。

 埃が月の光を弾いてあえかな軌跡を描くその中で、ひときわ神聖な、淡い光を湛えたそれ。


 グイドが寄越したのは、彼の強さの源泉であり、相棒とも言える聖なる長剣――風剣であった。


 軽くなった右手に視線を落としたグイドは、それから真っ直ぐにジーノを見据えた。


「おまえにやる。だから、明日。おまえはなんとしても勝て」

「…………」


 ジーノは困ったように口をつぐみ、頭を掻いた。


「……いや、めちゃくちゃ光栄ですけど、でも別に、これ無しでも戦えるというか……」

「聖剣士候補生の中にはあのルーデンの少女もいる。今日のあれが聖力とは断じられんが、そうだとしたら凄まじい聖力量だ。おまえの剣技を認めてはいる。だが、込められる聖力量にあれほどの差があれば、かなり厳しい戦いになるだろう」


 聖剣士とは、聖力を剣に込めて戦う者の頂点だ。

 込められる聖力が多い者、そして力を込めた剣で優れた技量を持つ者がトリニテートの一員となれる。


 ジーノは同世代で随一の剣術を操るとはいえ、持つ聖力は「下町の少年が辛うじて持ち合わせていた」というにふさわしい、ささやかな量だ。

 だが、元より聖力のたっぷり籠った聖剣を使えば、それを補える。


 万全を期すべし、と重ねて告げる師に、ジーノは渋々と言った様子で、自らの剣と風剣とを差し替えた。


「……でも、普段は安い剣で鍛えてるから、かえってうまく握れないかもしれませんよ?」

「そいつはこれでも伝説級の聖剣だ。持ち主の意に添い、自在に形や重さを変えられる。念じれば、いつもの感覚で剣を振るえるだろう」


 グイドは、ジーノたちがトリニテート入りするためなら手段を選ばないのだろう。

 実直そうに見える黒の瞳は、今や硬質な意志の光だけをくっきりと浮かべていた。


 それを見て取ったジーノは、腰に下げた鞘から風剣を抜き、月の光にかざしてみせた。


「……俺がトリニテートになれば、下町初の快挙っすよね」


 ぽつんと、呟く。

 無言でこちらを見たグイドを、ジーノはしっかりと見つめ返した。


「トリニテートを出した地域は、聖人の名を冠されるって聞きました。……俺が聖剣士になれば、あのしみったれたクソみたいな町も、『豚臭いスラム』とか『貧民の巣』とかじゃなくて、もっとかっこいい、きれいな名前で呼ばれるんですよね?」

「……ああ」

「聖女に内定したクロエや、きっと聖術師に決まるだろうラウルのやつとも、並び立つのにふさわしい……ひとかどの人間、ってやつに、俺もなれるんですよね?」


 グイドは一瞬押し黙った。

 そこに付け込むのは容易だったが、肩書きなど無くとも、あの二人は既にジーノのことを認めていると知っていたから――生徒を導く導師として、不要な自己卑下を窘めるべきか悩んだためだ。


 だが、朗らかな言動とは裏腹に、ジーノが己の出自について強いコンプレックスを隠し持っていることも、グイドはまた知っていた。

 この手の問題は、どれだけ周囲が言葉を重ねようと、本人が納得しない限り解決しないのだ。


 結局、グイドは静かに頷くに留めた。


「ああ、そうだな」

「なら、やります」


 ジーノの返答に、もう躊躇いはなかった。


「先生の剣と――聖力を借りて、必ず聖剣士の座を獲ってみせます。あいつらの友人だと、胸を張って言える身分を、俺は手に入れる」


 年の割に大きな手が剣を掴むと、鍛え抜かれた聖剣は、呼応するかのように淡く光を漂わせた。

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[気になる点] 【聖女】と【魔族】のサラブレッドという、、、
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