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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「友情」は悩ましい
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12.「普通」の歌声(4)

 クロエは、今目の前で起こっていることが理解できず、ぽかんと口を開けた。


 育成、などという言葉で片付けるにはあまりに凄まじい現象。

 突如として露わになった、少女の人外じみた美しさ。

 そのすべてが、理解の範疇を超えている。


 絶句していると、隣では我に返った侍女と、駆けつけた用務員とが、エルマなる候補生をがくがくと揺さぶりはじめた。


「エルマ……! あなたね、あなたね、あなたねえ……っ!」

「なにをどうしたら闘技場を割り砕く展開に……!」


 どうやら、彼らもまた滑らかに言葉が出てこない状態であるらしい。

 途切れ途切れに糾弾されると、エルマは少し戸惑ったような表情を浮かべた。


「え……? ほかの皆さまと同じように振舞っただけですが……」

「半壊した闘技場を見ても、あなたはなにも疑問を覚えないわけ!? 土を破り、石畳を砕き上げてにょきにょき植物が生えてきても!?」

「え……よく【暴食】の父も建物を全壊させていましたし、このくらいなら数時間くらいで改修できるかと。それに――」


 あろうことか、そこで彼女はクロエのほうに振り返り、ちょっと縋るような上目遣いで尋ねてきた。


「普通、心を込めて歌ったら、植物ってよく育つものですものね?」


 ないわ!


 クロエの心に、初めて「ツッコミ」という概念が芽生えた。


 が、彼女の性格と、そして見つめてくるエルマの瞳の、そのあまりの美しさに、クロエはおどおどとこう答えるに留めた。


「そ……っ、……そうです、か、ね……っ?」


 半泣きだった。

 自分は今、いったいなにに巻き込まれようとしているのだろう。


 ところがエルマは、そんなクロエの動揺をよそに、まじまじと鉢を覗き込んでくる。

 そうして、立派に成長したアローロの樹――エルマの歌声の流れ弾を受けて、さらに大きくなっていた――に、感嘆の溜息を漏らした。


「素晴らしいですね。ほかの雑草や植物を巻き込むことなく、ただアローロだけが立派に成長している。しかもこの枝ぶり、葉姿、幹の肌――小宇宙を構成する盆栽(BONSAI)の在り方に通ずる、有機的な世界観を感じます」

「ええっと……っ?」


 なにやら褒められているようだが、全体的になにを言われているのかさっぱりわからない。


「あの、でもこれ、私の歌声というよりは、その……あなたの霊薬と、歌声に反応しただけの……ような……っ」

「霊薬?」


 噛みながら辛うじて指摘すると、相手はきょとんと首を傾げた。

 ガラス瓶に入った、と補足すると、ようやく「ああ」と納得したようで、きょろきょろと地面に視線をさまよわせる。


 どうやら鞄にしまったはずの布鞄は、石畳が割り砕けた衝撃で、どこかへと跳ね飛ばされてしまったらしい。

 見れば、候補生たちの幾人かも、すっかり腰を抜かし、あるいは根に足を取られて、尻もちを突いてしまっている。


 とそこに、


「き……っ、きゃああああああっ!」


 甲高い悲鳴が響いたので、一同は素早く振り返った。

 見れば、複数の取り巻きに囲まれた派手な少女――クロエの異母姉、ルアーナだ――が、真っ青な顔をして、石畳の上で腰を抜かしている。


 いや、正確には、足を絡み取られて身動きが取れないでいるのだ。

 なにか四角い紙片から伸びる、蔓のようなものに。


「なんだあれは……?」

「蔓の形状を見るに、世界樹の一部のようですね。見たことがある気がします」


 眉を顰めたルーカスの独白を、エルマが淡々と拾う。


「神秘的な力を有するとかで、昔はその繊維で作った紙を契約書等に用いていたようですよ。乱獲が進んだ結果、絶滅危惧種に指定され、今では厳重に保護されながら、樹海の奥深くにだけ生息しているはずです」

「なぜそんなものがここに?」

「はて」


 エルマは首を傾げ掛けてから、「あ」と呟いた。

 ルアーナが尻もちを突いた、そのすぐ横には、先ほど軽く蓋をしただけの薬品瓶が転がっていた。

 瓶の中身はほぼ空になっており、――よく見れば、四角い紙きれのようなものは、ぐっしょりと濡れそぼっている。


 世界樹の繊維でできた書類が、薬液を浴びて異常成長し、一部元の姿を取り戻してしまったことは、誰の目にも明らかであった。


「さすがは【貪欲】のお兄様です」

「つまりあれは、世界樹から作られた違法の契約書ということか」


 紙片の隅からは、うねうねと世界樹の蔓が伸びて、青褪めるルアーナを拘束しようとしている。

 ルーカスは、そういえば今の自分は用務員だったことを思い出し、「失礼」と声を掛けて、素早く蔓を引きはがした。


「こちらは、闘技場管理の観点から、運営側にてお預かりします――……ん? 『売女病』?」

「ま……っ、待ちなさい……!」


 と、蔓の付け根、未だ紙片の形を残している部分に、不穏な単語が書き連ねられているのを見て、ルーカスは眉を寄せた。

 ルアーナの制止もよそに、その場で契約書の内容に目を通す。


「……これは、どういったことで?」


 弱きを守る騎士道精神から、つい低く問うと、ルアーナはぐっと息を呑んだ。


 その時点で、ようやく異常事態から我に返ったほかの用務員や主催者たちが、わらわらと舞台上へと集まりはじめている。

 中には、クロエを案じて駆けつけたラウルやジーノの姿もあった。


 彼らは、エルマの鉢に集まった植物たちに畏怖の視線を送ると、次いで、そのエルマたちに取り込まれているルアーナのことを見つめる。


 一斉に厳しい視線に晒され、パニックに陥ったらしいルアーナは、顔を引き攣らせると、自棄になったのか尻もちを突いたまま叫びはじめた。


「どうもこうも……っ、た、単なる事実を書いただけだわ……! そこの(メス)猫が、間違っても聖女なんかにならないようにね……!」

「……なんだと?」


 雌猫の言葉が、青褪めながら佇むクロエを指しているのだと理解すると、ラウルとジーノはさっと顔を強張らせた。

 だが、それでいよいよ、ルアーナの心のどこかが弾けてしまったらしい。

 彼女は目を血走らせると、口の端から唾を飛ばして罵った。


「雌猫! 雌猫よ、わたくしとお母様から、お父様を奪った汚らわしい売女の娘、クロエ! そんな娘が、わたくしと血が繋がっているというだけでもおぞましいのに、聖女になろうだなんて! でも……でも、神様はちゃんと見ておられた。だから、女狐はお父様に捨てられたし、あの女は恐ろしい病に掛ったのだわ。売女病にね!」

「売女病……?」


 喚くルアーナを厳しい目で見つめていた周囲が、最後の言葉で動揺を見せる。

 それほどまでにその病の名は、人々から嫌悪の念を引き出すものであったのだ。


 周囲の気勢が削がれたのを敏感に感じ取ったルアーナは、そこでますます語調を強めた。


「ええ、そうよ、売女病! ふしだらな娼婦に神が与えた罰、光を失う恐ろしい病! そんな病を得たあばずれの娘が聖女になることを、神は許されるのかしら? いいえ、許すはずがないわ! だからわたくしは、よき信徒として、国民として、クロエの不遜を止めようと策を講じた、――それがその契約書よ!」


 主張するうちに、彼女は自身の正しさを確信しはじめたらしい。

 振る舞いは徐々に堂々としたものに代わり、むしろクロエのほうが真っ青になっている。


 生徒や観客は、戸惑いを浮かべて両者を見つめた。


 おそらくルアーナは、聖女筆頭候補のクロエになんらかの不自由を課す契約を強いたのだ。

 それはいかにも卑劣で、違法の世界樹を用いたこと含め、候補生として恥ずべき振舞いである。


 だがしかし、クロエの母が、あのおぞましい病、天罰ともあだ名される売女病に掛かっていたのだとしたら――。


「ク……、クロエ……。本当なのか……!?」


 やがて、恐る恐るジーノが切り出す。

 涙目で拳を握りしめるクロエに、ジーノは怯んだように口を引き結んだが、ややあって、意を決したように声を張り上げた。


「――だとしても! 脅して人に言うことを聞かせようだなんて、そんな卑怯なこと、あるかよ! クロエは悪くない! 売女病に掛かったのは……あくまで母親で……」

「そうとも」


 ラウルも、力強く頷く。彼はクロエをかばうように立ちながら、その端正な顔で周囲を睥睨してみせた。


「母親の病とクロエは、あくまで切り離して考えられるべきだ。糺されるべき行いをしたのは、あくまでルアーナと、母親であって――」

「そうでしょうか?」


 だがそこに、涼やかで静かな声が響く。

 するりと耳に入り込んでくる声に、はっとして人々が振り向くと、そこには例の美貌の少女が、豊かな黒髪を肩に流しながら佇んでいた。


 彼女はつと横を向き、契約書を握っている冴えない用務員に、淡々と尋ねた。


「でん……用務員殿なら詳しいかと推察しお尋ねするのですが、ここで言う売女病とは、性病の一種ですか?」

「…………詳しいと思われるのは不本意ですが……ええ、実に不本意ですが、そうです」


 用務員は、なぜだかやたら前置きを強調してから、首肯する。


「手足が爛れ、視力が落ち、進行すると失明する病です。女性しか発症せず、癒術でも癒えにくいので、アウレリアではそう呼ばれ蔑視されています。あくまで一般知識として知っているというだけですが」

「なるほど」


 後半の強調表現はさらりと聞き流し、エルマは神妙な表情で頷いた。


「であれば――やはり最低、としか言いようがありませんね」


 その低く、断定するような口調に周囲が怯む。

 かっとなったジーノとラウルが、クロエの前に出ながらエルマに向かって叫んだ。


「どういう意味だよ!? クロエが悪いとでも言う気か!?」

「彼女に対する侮辱なら、我々も黙ってはいないぞ」

「え? いえ」


 だが、血気盛んな牽制はしゃらっといなされ、代わりに特大の爆弾が投下された。


「悪いのはクロエ様でもお母君でもなく、もちろんそのご夫君――いえ、お母君をやり捨てたというミジンコ糞野郎ですよね」

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