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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「友情」は悩ましい
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8.幕間(2)

 同じ頃。

 しんと静まり返った寮内のひと隅、人目に付きにくい東屋では、三名の男女が静かな語らいを続けていた。


「それにしても驚いたよなあ。ルーデン女に嫌がらせを仕掛けたやつらが、みんな自滅(・・)しちまうなんて」


 小声ながらも、驚きも露わにそう告げるのはジーノである。

 彼は固い床に胡坐をかき、相棒である長剣を磨きながら、肩をすくめた。


「虫と人喰い樹と炎とかまいたちがぶつかりあって、飴になっちまうなんて。いやあ、なんか小咄みたいな、よくできた話だよなぁ」

「――できすぎだ」


 と、横の椅子で聖水を小瓶に移し替えていたラウルが、冷えた声で呟く。


「まさかおまえ、あれが本当に『偶然嫌がらせが相殺された結果』だとでも思っているのか?」

「へ? 割と本気で思ってるけど」

「……脳筋め」


 ラウルは小瓶を抱えたまま、呆れたように友人を見下ろした。


「……内容を見るに、嫌がらせを仕掛けた学生たちは、召喚陣をあらかじめ控え室に描き込んでいたのだと思いますが、……普通、攻撃対象を定義した陣が、それ以外に向かって威力を発揮することはありえません」


 向かいの椅子で、夜の庭をぼんやりと眺めていたクロエも、ラウルの醸す冷え冷えとした雰囲気を察知し、おずおずと解説を加える。


 ジーノが「え、そうなの?」と目を見開くと、彼女はこくりと頷いた。


「はい。なので……その、もしかしたらルーデンからいらした候補生は、……ものすごい聖力の持ち主なのかもしれません。他人の描いた聖陣を、あっさりと書き換えられてしまうほどの……」

「え、でも陣って聖力を図像化したものなんだから、べつに聖力が無くても書き換えくらいはできんだろ?」

「阿呆。一の聖力を図像化するのに、どれだけ複雑な聖言と図が必要だと思っている。聖力を注ぎ込んで術式を改変させるほうが、莫大な労力は必要だがまだ現実的だ。一瞬で他人の術式を解読し描き替えられるほど陣に精通していたら、それは教皇の域、いや、もはや神の領域に片足を突っ込んでいるぞ」


 ところが、その領域にしゃらっと両足を突っ込んでいる人物が、この学院にやって来ているのである。

 そんなこととは露知らぬ三人は、神妙な面持ちで会話を続けた。


「だいたい、単純に術がぶつかり合って返されたとして、虫がどうして飴をまとう? しかもどうして、こじゃれたラッピングを施されて、ぴったり術者の人数分返ってくるんだ? 『偶然術が相殺された』のなんかではなく、明らかに、そのルーデン女がやり返したんだろうが」

「こじゃれたラッピングを施されてたのか……知らなかった」

「すぐに、反撃の姿すら気取らせない凄腕の候補生として噂が立って、開会式の間だってずっと『ルーデンからの留学生はどこだ』って、みんなそわそわしてたじゃないですか。特に、明日を控えた聖女候補の子たちは、すごくピリピリしていて……」

「同じく、聖術師候補生もな」


 なんでも、開会式で配布された資料によれば、ルーデンからの候補生は、聖女、聖剣士、聖術師の全部門にエントリーしているらしい。

 そのため、主に聖力量が試される聖女や聖術師候補生は、特に警戒を強めているのであった。


 ジーノは、「でもさ」と、鼻の頭に皺を寄せた。


「開会式でちらっと見たけど、本人は全然冴えない感じだったじゃん。なんかちっさくて、陰気でさ。あんなんが、ほんとに候補生を四組も返り討ちにしたんかねえ?」


 彼は手入れの終わった長剣を月光にかざし、「それに」と、不意に背後を振り返った。


「どんなライバルがいようと、トリニテート入りするのは俺たち三人だ。――そうでしょ? グイド大導師(せんせい)


 視線の先には、ひとりの男が佇んでいた。


 年の頃は四十半ばくらいか。

 隙のない立ち姿に鋭い眼光。

 灰色の短髪が印象的な顔は、厳めしい表情に彩られ、がっしりとした体躯は、彼が剣士であった頃を思わせる。


 身に付けているのは、学院所属の導師――つまり教師らしく、院紋の刺繍が施された法衣。

 しかし同時に、大枢機卿にのみ許される緋色の肩掛け布をも身にまとっていた。


 つまり彼こそは、先の聖鼎杯にて聖剣士に内定したものの、トリニテート自体が成立しなかった結果、平民の出自でありながら枢機卿の地位に据えられた男――グイドである。


 遅ればせながらその存在に気付いたクロエとラウルは、ジーノの腕を引っ張りながら、すっとその場に立ち上がった。


 宗教国家アウレリアにおいて、枢機卿の地位は絶対。

 しかもこの三人からすれば、貴族の権力闘争の駒として、下町の貧民として、妾の子として抑圧された人生を送らざるをえなかったところに、学院という新たな可能性を示してくれた、人生の恩人である。

 必然、三人がグイドを見上げる目には、静かな敬意が籠もった。


「聖女候補クロエ、聖剣士候補生ジーノ、そして僕、聖術師候補生ラウル。明日からの聖鼎杯本番を前に、大導師のお言葉を頂けるとお聞きし、この場に馳せ参じました」


 代表して、ラウルが告げる。

 そう、彼らは、グイドからの呼び出しもあって、この東屋へと集っていたのだ。


 三人が真摯な眼差しを向けると、グイドは表情を変えぬまま、静かに口を開いた。


「堅苦しい挨拶は抜きでいい。今宵は、おまえたち三人に、改めて確認しにきただけだ」

「確認……とは?」

「トリニテート入りの、覚悟を」


 ゆっくりと話すグイドの声は、重く暗い。

 だが、ラウルとジーノは、思いもかけぬことを聞かれたといわんばかりに、目を見開いて互いを見やった。


「覚悟もなにも……。トリニテートになれれば、下町出身の俺でも、一生贅沢な暮らしができる。それだけを目指して学院に来たってのに、いったいなんで覚悟なんかが必要なんだ……あ、いえ、必要なんですか?」

「同感です。トリニテートとなれば、穀潰しでしかない下級貴族の三男でも、教皇に次ぐ地位をもって政治に関与できる。その夢のような話のどこに、覚悟が必要だと?」


 少年二人の声には、疑問の形を借りた自負心に満ちている。


「贅沢と権力――しかしそれと引き換えに、トリニテートは世俗との一切のかかわりを絶たれる。親とも、友人ともだ。……おまえたちは若い。それらを切り捨て、一生教会の奥深くに籠る覚悟が、本当にできるというのか?」


 グイドが静かに説明すると、彼らはそれを一笑に付した。


「もちろん! 下町のダチなんてつるんで悪さするだけだし、いつまでも豚をバラすしか能のない親なんて、こっちから願い下げだし……あいえ、ですし」

「僕がトリニテート入りしたら、家族は権力の蜜を吸うことしか考えなくなるでしょうし、醜く足掻く彼らとの縁を切れるのなら、それは本望というものです。それに――」


 ラウルはちらりと、傍らのジーノやクロエに視線を向ける。


「友人ということならば、同じくトリニテートとなる彼らがいれば、私はそれで充分です」


 氷の聖術師のいつになくまっすぐな物言いに、ジーノは驚いたように瞠目し、それからへへっと鼻を擦った。


「俺も同じです!」

「――……だそうだが、クロエ?」


 しかし、クロエだけは、ぎゅっと手を握り合わせて沈黙している。

 グイドが水を向けると、彼女はようやく、言葉を喉から絞り出すようにして告げた。


「……私も、そう、思います」

「クロエ?」


 様子のおかしいクロエに、ラウルが眉を寄せた。


「クロエは、僕たちとともにトリニテート入りしたくないのか?」

「いえ! そんな! ……そんなことは。ただ……」


 ぱっと顔を上げて即座に否定するが、しかし彼女はすぐに俯いてしまう。


「トリニテートになった後のことというより、なる前というか……その……私なんかが、聖女様になれるのかと……自信が、無くて――」

「なに言ってんだよ!」


 その呟きは、ジーノによって遮られた。


「歌うだけで植物を成長させられる力なんて、初代の聖女にも匹敵するくらいじゃないか! それに、相手が俺みたいな貧民だろうが、性格ブスな正妻の子だろうが、どんな相手にも優しくできるクロエが聖女にふさわしくないってんなら、ほかの誰がふさわしいんだよ」

「そうだな」


 ラウルも、肩をすくめて同意する。


「僕なら、侮辱してきた相手を片っ端から氷漬けにしてやるところだが、クロエはあの女に嫌がらせを仕掛けられても、表情すら動かさない。それを弱さと受け取り侮る輩もいるが――僕は、器の大きさだと思う」

「ジーノくん……ラウルくん……」


 力強く言われ、クロエが瞳を揺らした。

 さらにそこに、黙って話を聞いていたグイドまでもが、諭すようにして言葉を重ねた。


「――実際のところ、おまえの植物との相性、そして成長を促す力は、聖女たるにふさわしいと学院側も見ている。親ルーデンの人間ですら、おまえを聖女筆頭候補とみなして警戒し、付け焼刃の対抗馬を送り込んでくるほどだ。おまえは、それを誇るべきだろう」

「……先生は、ルーデンからの候補生の能力をどのようにお考えですか?」


 ぽつりと問うと、グイドは口を閉ざし、しばし考えるそぶりをする。

 それから唇を歪め、


「わからん」


 意外な言葉を口にした。


「わからない、のですか……?」

「あの留学生の後見人はチェルソ枢機卿で、卿は、彼女を凄まじい聖力の持ち主だと説明して今回の聖鼎杯にねじ込んでいる。が、俺の見たところ、彼女に聖力保持者特有の気配はなかった。最初は卿が権力闘争のために、虚偽の申請をしたのかと思ったが、……昼の騒動は、状況から考えて明らかに彼女の仕業だ。とすれば、彼女にはやはり、膨大な聖力があると考えるべきだろう」

「つまり……彼女は聖力を要しないほどの武術の達人か、そうでなければ、先生の目を欺きおおせるほどに、聖力のコントロールに長けた人間、ということですか……?」


 ラウルが怪訝そうな声で確認すると、グイドは慎重に、


「いずれにせよ、最大の警戒をもって臨むべき相手だということは確かだろう」


 とだけ答えた。


 クロエの、あどけない濃緑の瞳が戸惑いに揺れる。

 それを見ていたグイドは、「だが」と、深みのある声で続けた。


「それでも、クロエ。おまえこそが、聖女筆頭候補だ。おまえたちはこの俺が見つけ出し、三年以上にもわたって鍛え上げた、自慢の生徒なのだから」

「先生……」


 きっぱりとした物言いに、クロエも顔を上げる。

 彼女は一瞬だけ、まるで縋るような表情で、制服のポケットに手を伸ばしかけたが――ふと拳を握ると、ゆっくりと頷いた。


「――……はい。先生が見出してくださった私たちですから、なんとしても、トリニテートに入ってみせます」

「クロエ」


 言い切ってみせた少女に、少年たちは喜色を浮かべる。

 グイドもまた、じっくりと彼女を見渡して、その顔に先ほどまでにはなかった覚悟が浮かんでいるのを見て取ると、満足そうに頷いた。


「……期待している」


 その後、彼らはいくつかの会話を交わすと、静かに東屋を離れた。

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