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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「友情」は悩ましい
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5.「普通」のお返し(4)

「――……!?」


 咄嗟に戦闘モードに意識を切り替えたルーカスが、素早く部屋を見回す。


「…………! 避けろ! 頭上と右、双方向から来るぞ!」


 瞬時に状況を把握した彼は鋭く叫んだが、イレーネはいまだ展開に付いていけないように慌てて天井を見やり、そして、「ひっ」と声を上げた。


「な……っ、なにこれ……っ」


 アウレリアらしい繊細な彫刻が施されていたはずの天井。

 そこが、まるでぐにゃりと溶けたように渦を描いていたのである。

 渦を取り囲むように、複雑な紋様が光を発し、その円に囲まれた渦の中心では、なにか黒色の塊――おびただしい数の虫が、出口を求めて蠢いていた。


「え……っ? な、なにこれ、いや……っ」


 一方、斜め右の壁にも同様の穴が開き、そこからは明らかに有毒とわかる蔦性の植物が、おぞましい粘液を垂らしながらこちらへと触手を伸ばしている。


 にわかに緊迫した事態に、脳が理解を拒む。

 完全に硬直したイレーネは、しかし、ルーカスとエルマ――ただし二人とも冴えない眼鏡姿である――が前に立ったことで、わずかに落ち着きを取り戻した。


「な……なんですの、これ……っ」

「たぶん、攻撃生物の召喚陣だ。アウレリア学院の候補生から我々(ルーデン)への、手荒な歓迎といったところだろうな。……ここで剣を使うのは、さすがにまずいか」


 ルーカスは攻撃をさして脅威には感じていないようだが、用務員に扮した身で剣を取り出していいか、わずかに躊躇いを滲ませる。


 その間にも、今度は左側の壁、そして床までもが淡い光を発して、ぐにゃりと形を変えはじめた。

 渦巻く中心にはそれぞれ、明らかに物騒な炎、そしてごうっと唸りを上げる風の気配がある。


 おそらくは、人を攻撃する炎や、かまいたちの召喚術――。

 これにはさすがのルーカスも、表情を険しいものにした。


「頭上からは毒虫、右の壁からは人喰い樹、左の壁からは灼熱の炎に、床からはかまいたち。やれやれ、俺たちは人気者だな」


 ルーカスは皮肉気に呟くが、さすがに四方向からの攻撃となると分が悪い。

 舌打ちしながら、まずは護身用として通じる程度の短剣を取り出そうとしたところ――


「ちょっと失礼」


 涼やかな声が響いた。

 エルマである。


 彼女は淡々とした足取りで左の壁に向かうと、ぐにゃりと波打つ白い壁を見つめ、それから、いつの間にか手にしていた羽根ペンでさらさらと壁になにかを書き付けた。

 ついで、床にも同様のことを行う。


「エ……エルマ……?」

「なにを……?」


 取り残された二人が怪訝そうに声をかけた次の瞬間、それは起こった。


 ――ゴ……ッ!


「きゃあっ!」

「…………!」


 部屋中に、目も開けていられないほどの熱風が吹き渡り――次に目を開いたときには、虫の大群も、おぞましい蔦性植物の姿も消え失せていたのである。


「――……え?」


 あまりにあっけない展開に、イレーネはぽかんとしてしまう。


 もしや、先ほどまで自分の目に見えていたものは、幻だったのだろうか。


「エルマ、あなたいったい――」


 なにを、と問いかけて、エルマの姿が見えないことに気付く。

 イレーネはぎょっとして周囲を見回したが、その次の瞬間には、


「ただいま戻りました」


 背後から涼やかな声が聞こえたので、思わずその場でぴょんと飛び跳ねそうになった。


「エ、エルマ! あなた、いったいなにを……!? というか、戻りましたって……え? 今この場から出かけて帰ってきたってこと? え?」


 混乱のままに両手を頭に突っ込んでいると、彼女より幾分かはエルマの動きを捉えられたらしいルーカスが、やけに低い声で尋ねた。


「おまえ……。他の候補生の控え室に侵入して、なにをしてきた……? いや、その前に、壁や床に向かってなにをしていたんだ……?」

「ああ、それはですね――」


 エルマは眼鏡を光らせて答えようとするが、しかしそれが告げられる前に、あちこちの控え室から絶叫が響き渡った。


「ぎゃあああああっ! な、なんだ、この虫入り飴はあああああっ!」

「いつの間に口に突っ込まれたああああ!?」

「うおおおおお! 俺の毒虫ちゃんたちが、こんな姿にいいいいっ!」

「きゃあああっ! あたくしが育てた人喰い樹がああああっ!」


 どうやら、「手荒な歓迎」の仕掛け人たちの悲鳴のようである。

 彼らの叫び声をBGMにしながら、エルマはしゃらっと言い放った。


「私たちを歓迎してくださった四組の方々に、虫入り飴を作って『お返し』をしてまいりました」

「…………は?」


 意味を取り損ねて聞き返したルーカスたちに、エルマは丁寧に言い換えた。


「毒虫に、人喰い樹に、炎に、かまいたち。つまり、中身と樹液と熱源と刃物。折よく材料がそろっていましたので、かまいたちに人喰い樹を裂いてもらって樹液を取り、そこに虫を入れ、炎に熱してもらって、飴を作ったのです」

「…………」


 言っていることはわかるが、言っていることがわからない。

 ルーカスは、己の表情筋がひくりと引き攣るのを感じた。


「いやおまえ……なぜこの局面で虫入り飴の展開になるんだ……」

「え? だって、頂き物をしたら、それらの一部でちょっとしたプレゼントを拵えてお返しするって、いたって普通の行動ですよね?」


 いやそんな、「大量に苺を頂いたのでジャムにしてお裾分けしました」みたいに言われても。

 絶句するルーカスをよそに、エルマは懐からすっと包みを取り出すと、それを朗らかにイレーネへと差し出した。


「よろしければ、どうぞ。特別大きく艶やかに仕上がったものです」

「いらんわ!」


 こじゃれたラッピングを施された虫飴を、イレーネは裂帛の気合いで断った。


「ていうか、そうじゃないでしょ!? 殿下の質問の意図は、なんであなたが、床や壁をちょっといじっただけで、凄そうな攻撃の数々を無力化――っていうか虫飴化できたのかってことでしょ!?」


 ついでにルーカスに代わりそのツッコミを解説すると、エルマは不思議そうに小首を傾げる。


「え? 左の壁と床の陣は発動前の状態でしたので、攻撃対象を書き換えただけですが」


 これには、硬直していたルーカスがなんとか己を再起動し、牙を剥いた。


「なぜ導師でもない、聖力もないおまえが、聖術陣を書き換えられてしまうんだ!」

「え……? 聖力が無くとも、術式を解読できれば問題ないわけですから、古代アウル語が読めれば陣の書き換えくらい、常人でもできますよね?」

「常人に術式や古代語が解読できるか!」


 術式は、アウレリア国立学院の学生たちが数年がかりで会得するものであり、かつ新規式の解読ともなれば、大陸でも一握りの大枢機卿が、その人生を捧げて取り組むほどである。


「そもそも、聖力保持者でもなければ目視できない陣を、どうやっておまえは察知したというんだ!」

「それはほら、陣は聖水で描かれているので、聖水の発するごく微量の熱によって変動する気流を察知すれば――」

「どうやったら気流を察知できるのよ!?」

「え、できませんか、普通?」


 小首を傾げて答えるエルマに、ルーカスもイレーネも、もう返す言葉がない。


 アウレリア入国早々、どんよりと死んだ魚の目になりはじめた二人をよそに、エルマはなぜか、ちょっと誇らしげに眼鏡を光らせた。


「あとですね、……私、さっそくお二人からのアドバイスを活かしてみたのですが、いかがでしょうか」


 なんのことだかわからない。

 半眼で見つめ返すと、エルマは褒められるのを待つ生徒のように、胸に片手を当てた。


「目立たぬよう――つまり周囲から目視されぬよう、最善を尽くしました」

「目にも止まらぬスピードでことを済ませろって意味じゃないからーーーー!」


 己の忠言が、かえって事態を悪化させていたことを悟り、イレーネは絶叫した。


 陣を改変し、攻撃同士を相殺し、犯人を突き止め、やり返す、それだけでも異様なことなのに、それを相手に視認されないほどの速さで済ませるなど。


 状況的に、エルマがやり返したのだという事実は、誰の目にも明らかなだけに――これではむしろ、底知れない凄みを知らしめただけだ。


 エルマは、眼鏡越しにも嬉しそう、とわかる雰囲気で微笑んでいる。


「お二人のお陰で、私の『普通』への道のりが(はかど)ります。いつも適切な助言、本当にありがとうございます」


 そう言って頭を下げるエルマを前に、ルーカスたち二人は、無言で天井を見上げた。


 ――ちげえよ。


 天井付近にわずかに漂う煙が、なんだか目に沁みるように思えた。

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