0.プロローグ
ジジ、と音を立てた蝋燭の上で、赤い火が小さく踊る。
手に持ったナイフの表面にも、ゆらりゆらりと炎の影がくねるのを、少女は飽かず見つめていた。
美しく磨かれた刃の表面に、彼女はそっと指を滑らせてみる。
愛撫するような手つきがそうさせるのか、刃はまるで玩具のように従順で、一筋たりともその白い指を傷つけはしなかった。
満足そうに口の端を持ち上げた少女は、しかし次に、静かに目を伏せる。
彼女は、寝台の脇の棚に伏せてあった書物を取り上げ、その一節を口ずさんだ。
本当はわざわざ読み返す必要もない。もう何度も読んで祈りを捧げてきた聖書だ。
しかし、今の彼女には、それはどうしても必要なものだったのだ。
「――……ごめんね」
少女は小さく呟き、それからゆっくりと周囲を見回した。
少女の手には似つかわしくないような、大ぶりの剣。
禍々しい赤い液体を湛えた小瓶。
そして――深い信仰を体現したかのような、擦りきれた聖書。
快活な少女として目されている彼女の部屋に、これらがひっそりと紛れているだなんて、世の人は思いもしないだろう。
「……あなたは、驚くかしら」
少女は自嘲気味に唇の端を歪めると、「それでも」と、覚悟を滲ませた口調で独白を続けた。
「それでも、譲れないのよ。……ごめんね、エルマ」
友人の名を口にした彼女は、すっと視線を上げると、きびきびとした動きで荷造りを再開させた。
元より、侍女寮には大した持ち込み物もない。
普段有能すぎる同僚に隠れがちではあるものの、彼女もまた、若手の侍女の中では五本の指に入る能力を持つのだ。
作業は、ものの数分で完了した。
聖書や小瓶を鞄の見えにくい場所にしまい込むと、少女は最後に、大ぶりの剣を握りしめる。
それに向かって誓うように、彼女は低く告げた。
「あなたを――引きずり落とす」
普段、猫のような印象を与える緑色の瞳には、今、苛烈さすら感じさせる強い意志が滲んでいた。
第3部始めました。
2巻発売日(8月4日ですよ!アピール!!)までは、連日20時に投稿できればと思います。
以降は隔日投稿となる予定ですが、見捨てずお付き合いいただけますと幸いです…!
なお、初日の今日は、欲張ってもう1話、この後投稿させていただきます。