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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「愛」はもどかしい
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31.シャバの「愛」はもどかしい(1)

 収穫祭当日、秋空はどこまでも澄み渡り、町では至る所で人々の陽気な歌声が響いていた。


 日頃は禁欲的にぶどうを作りつづける彼らも、この日ばかりは早摘みぶどうで仕込んだワインで酔っぱらい、周囲と情熱的なハグや踊りを交わす。


 畑に至る農道には、豊穣を表す秋の花が咲き乱れ、町の中央に押し寄せる女性たちも、花や木の実をあしらった冠を被っていた。

 教会と噴水の設えられた領地の中央広場には、多くの露店とそれを目指す人々でごった返し、フレンツェルはこの日、ささやかながらも、辺境の土地に許された最大の盛り上がりを見せるのであった。


 ――いや。


 こと今年の収穫祭については、「ささやかながら」との描写では到底収まらない賑わいを見せる一画があった。


 領主の肝煎りで、急遽市に出店を構えることになったエーリヒたちのいる場所がそれである。


 エーリヒといえば、不幸にも魔蛾に襲われ、実りの多くを腐らせてしまった家の主だ。

 彼の一家は、皆一様に顔つきこそ厳めしいが、義理堅い性格と丁寧なぶどう作りで周囲からも一目置かれており、そんな彼らが災害に接したということで、人々は同情も露わに、冬を越すための食料やワインを分けてやるつもりで、続々とエーリヒが出したという露店のもとへと押しかけていた。


 恐らくは、失ったぶどうの代わりに、妻がこしらえた内職の品でも販売するのだろうから、ここはひとつ援助の意味も込めて、品物を買ってやらなくては――と、そんな思いで。


 が、実際のところ、店の前に佇むエーリヒの表情はこれまでにないほど輝いている。

 彼の家族も、自分より先にやって来ていた彼の友人たちも、沈鬱な雰囲気を漂わせるどころか、むしろ強い興奮をまとわせていたので、後から来た領民たちは不思議そうに顔を見合わせた。


 不思議といえば、この店の作り自体が不思議である。


 まず、「露店」というには違和感があるほど、全体を巨大な布で覆われている。

 間取りも随分広いようで、横幅だけで周囲の店の五軒分、高さに関しては、教会の尖塔にも及びそうなほどであった。


 中でなにが売られているのかは、布の外からではわからない。ただ、相当分厚いのだろう布越しにでも、ときおり「おおおおお……!」とか「うわああああ……!」といった、どよめきや歓声が聞こえてくるので、人々はますます首を傾げた。


 そして、なぜか得意顔のエーリヒが促すままに――同情すべき相手から、意味深に微笑まれるとはどういうことだろう――天幕とも呼べそうなその布をめくり、


「――……!?」


 人々はそこで絶句した。


 布の内側、薄暗い空間の中にあったのは、あまりに異様な光景であった。


 まず視界に飛び込んでくるのは、熱気を漂わせ、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた観客。

 きっちり張られたロープの外周に、ほとんど腹を食い込ませるように一心に中央の、一段高くなったあたりを見つめている。

 普段あまり見たことのない顔であることから察するに、どうやら、日ごろフレンツェルを辺境の土地と馬鹿にしてくるわりに、祭りのときだけ冷やかしにくる観光客たちのようだった。


 観光客が、見物に乏しいフレンツェルの露店ごときに集まっているというのは、なんとも不思議なことである。


 さて、彼らが食い入るように見つめる先――「舞台」とも呼ぶべきスペースには、なぜか簡素な寝台が置かれ、その上に天井から取り込んだ陽光がまっすぐに降り注いでいる。

 嫌が応でも注目せざるをえないその場所では、今、老いさらばえ、お世辞にも美人とはいいがたい老女と、メイド服に身を包んだ、眼鏡姿の冴えない少女が立っていた。

 たしか老女のほうは名をベルタと言い、偏屈で意地が悪く、ここら一帯でも評判の悪い、落ちぶれた商家の未亡人だ。


「――それでは、こちらのヨーナス様特製ミドリムシを使用した酵素ジュースを、よくご覧ください」


 メイド服の少女は、そのぱっとしない外見からは想像もつかない、凛と美しい声で告げる。

 そうして、


「こちらを数口、ベルタ様に含んでいただき――はい、種もしかけもございませんよ――、次に、この通り、彼女に寝台に横たわっていただきます。……三、二、一――」

「ああああああっ!」


 次の瞬間、少女が老女の身体に手をかざし、激しく全身を叩きはじめた。

 老女が凄まじい絶叫を上げるので、後から入ってきた領民たちはぎょっとして肩を揺らす。


 なんだここは。

 老女に虐待を加え、それを見て愉しむ、おぞましいショーでもしているのか――


 だがその疑念は、


「あああ感じる……! 大いなる宇宙の息吹、その厳しく壮大なる風の旅の果てに迎えられた母の腕の力強さにも似た愛と温もりと約束の地に枝を張り優しき木漏れ日を落とす巨木の脈動に寄り添う小動物たちの奏でる生命(いのち)の賛歌がlpをうyskもいあdsぽじゅkpwq……!」

「ベルタさんのチャクラが開いたあああああ!」


 当の本人の生き生きとした叫びと、周囲のどよめきによって吹き飛ばされた。


「…………!? …………!? …………っ!!??」


 が、疑念が吹き飛ばされて生まれた思考空間の余裕には、それ以上の疑問が次々と湧き上がる。


 いったいなにが起こった、チャクラとはなんだ、なぜ観衆たちはこんなにも熱狂している。

 そしてもうひとつ。


「ど……っ、どちら様ですかあああああああ!?」


 がばっと寝台から身を起こしたベルタが、豊かな栗色の髪と、輝かんばかりの肌をした妖艶な女性に早変わりしていることに、彼らは絶叫した。


 肌は張りがありながらも、その瞳は確かな経験に裏打ちされた、しっとりと潤むような光を帯び、艶めかしい。

 まさに熟女の貫禄を漂わせる美魔女に、その場にいた多くの男性がごくりと喉を鳴らした。


 これはいったいなんだ。

 大道芸――人の外見を変える曲芸か、はたまた集団に幻覚を見せる手品なのか。


 しかし、舞台で繰り広げられる「ショー」は、それだけにとどまらなかった。


「さて、ご喝采。ベルタ・マイスナー様は見事体内に溜めていらしたアーマを排出し、トリ・ドーシャの調和を取り戻すことによって、新たなる、そして本来の彼女の姿を取り戻しました。美しきベルタ様に、ふさわしい新たな装いを!」

「きゃああっ! なんて素敵なドレス!」


 眼鏡姿の侍女がさっと腕を振った途端、曲芸師も真っ青の素早さで、ベルタの衣装がたちまちすり替わる。

 古びた薄墨のドレスの代わりに出現したのは、遠目からも美しい絹のドレスで、背や二の腕の辺りは透かし編みされ、ベルタの妖艶さを、下品にならないぎりぎりの大胆さでもって演出していた。


 その繊細な意匠、斬新なデザイン、なにより布それ自体の美しさに、女性陣が一様に溜め息を漏らす。 いったいどんな高品質の糸を使っているのか、布は虹色がかった不思議な艶を湛え、角度によって微妙に色彩を変えながら、見る者を飽かず誘惑するのであった。


「お美しいベルタ様に、祝福あれ!」


 侍女がさっと片手を上げると、隅に控えていた領主の息子・ケヴィンが――なぜか領主親子はこのテントの片隅に佇んでいたのだ――素早く右腕を掲げ、ぶんぶんと何かを振り回す。


 細く強靭な糸に括りつけられたそれは、どうやらオカリナのような形をしているようだが、不思議となんの音も聞こえない。


 首を傾げそうになったその瞬間、


 ――ばさばさばさ……っ!


 頭上から突如として唸るような羽ばたきが聞こえ、視線を向けた人々はぎょっと息を呑んだ。


「な、なんだ……!? 蝶……!?」


 そこには、透き通るような翅をもった美しい虫が、群れを成していたのだ。


 ぶどう畑を守ってきた彼らは、羽音からとっさに魔蛾を連想して身構えるが、しかし優雅に宙を舞うそれらからは、彼らの知る魔蛾のおぞましさなど欠片も感じられない。


 翡翠色をした翅は陽光を透かしてきらめき、時折ふわりと舞う鱗粉は、まるで金の粉のように光り輝きながら穏やかに人々に降り注ぐ。

 本物の蝶であっても、これだけの群れとなれば本能的に恐怖を抱こうものだが、目の前のそれらは恐ろしく統制の取れた穏やかな動きをしているせいか、はたまた、純粋に美しいせいか、観衆はただぽかんと口を開けて、その奇跡の光景に見惚れた。


「なんて、美しい……」

「まるで、天からの使徒がベルタさんを祝福しているみたいだわ……」


 薄暗い空間、密集した観客。

 一か所に集中する陽光(スポットライト)に、突如として変身した美女、奇跡すら感じさせる華麗な蝶の舞。


 絶妙に組み合わさったそれらの要素は、観客たちの冷静な思考力を容易に奪い、代わりに興奮と熱狂とを埋め込んだ。


「こんな見事なショー、見たことねえぞ……!」

「ああ、毎年楽しみにしてた王都からの大道芸すら、これに比べりゃ子どもの遊びだぜ……!」


 人々は周囲に引きずられ合いながら、徐々に感情のボルテージを高めていく。

 とそこで、舞台の中央にいた侍女が、おもむろに眼鏡のブリッジを押し上げた。


「それでは只今より籠を回させていただきますので、皆さまのお気持ちを込めていただけますと幸いに存じます」


 彼女は思わせぶりな間を置いてから、いたずらっぽく付け加えた。


「もしまた、籠の中身がこぼれるほどのお気持ちを込めていただけましたなら、僭越ながら、もっともお気持ちの強かったそのお一方を、バタフライ・全身デトックスコースにご招待させていただきましょう。もちろん男性も有効です」

「うおおおおおお!」

「あなた、払って! さあ払うのよ! ほら! ポケットの中身まで全部出して!」

「おい、てめえら! 俺の家まで走って、有り金全部持ってこい!! さあ! 今すぐにだ!!」


 人々は目の色を変えて財布のひもを緩めはじめた。

 観衆が籠に叩きつけんばかりの勢いでチップを払う図など、もちろん誰にとっても初めてのことだった。


 しかし、その異様さに、後から入ってきた領民たちもまるで思い至ることがなく、気付けば彼らも懐を漁りはじめていた。


 と、最前列を回されただけの籠が、早くもその中身を溢れさせてしまった時点で、舞台上の侍女がまた口を開く。


「皆様の熱いお気持ち、痛み入ります。本当でしたら、皆さまに感謝の気持ちを込めデトックスを施したいところですが、なにぶんこの人数。その願いは到底叶いません。ですので――」


 頭上から差し込む陽光に、侍女の眼鏡がきらりと光った。


「本日限り特別に、このヨーナス様特製『ミドリムシ酵素 ※パウダータイプ』を販売させていただきます」

「うおおお!」


 人々が絶叫した。


「限定五十名様です」

「うおおおおお!」

「今から三十分のみ、特別に二十パーセントのディスカウント」

「うおおおおおおお!!」

「お買い上げの方の中から抽選で、特別にバタフライ・シルクのマダム・バタフライ・ドレスをプレゼントさせていただきます。こちらは限定五名様」

「うおおおおおおおおおお!!!」


 もはや人々は狂乱の渦に叩き込まれつつあった。


 血相を変え、狂ったように全身から金目のものを取り出しては、「お買い求めの方の列はこちらです」と指し示された方向へと突進していく。


 友人や恋人すらをも押し合い、殺気だった形相で金を支払わんとする人々の頭上には、熱気からなるきのこ雲が形成されようとしていた。


「皆さま! どったんばったん騒がず一列に並んでくださいませ!」

「そこ! 線から前には出ないでくれ! 押さない・駆けない・ファビュラスに並ぶのが鉄則だぞ!」


 よほど事前に入念にシミュレーションを重ねたのか、フレンツェル姉弟が素早く人々に指示を飛ばし、列を整える。

 ヨーナスもまた、厳めしい顔で「最後尾はこちら」の看板を掲げている。


 五分もせぬうちに「バタフライシリーズ」と名付けられたそれらの美容グッズは完売し、場内は歓喜に沸く勝者と、地面に蹲り涙を流す敗者とに二分された。


「――凄まじい光景だな……」


 騒ぎが一段落したのを見計らって、天幕の外からそろりと布をめくったルーカスは、そんな引き攣った呟きを漏らす。


「朝九つの鐘と同時に始めて、これでもう三回目のショーだというのに、盛り上がりは収まるどころかますます加速しているようだ」

「初回から三連続で参加している『お客様』もいますものね……。よほどミドリムシコスメ、およびシルクコスチュームが欲しいのですわ。あ、エルマが今、くだんの観客に四回目の最前列優先券を渡しましたね」


 ルーカスと同じく、天幕の中を覗き見していたイレーネは、首を振りながら嘆息した。


「あの子なりの慈悲なのでしょうけれど、むしろこの泥沼のように人を引きずり込み、金を搾り取る恐るべきショーからは、解放してやるのが優しさのような気もいたしますわ……」

「同感だ」


 ルーカスも首肯する。


 そう、ミドリムシを主成分としたコスメティック・マーケット――略してコメケ――は、魔蛾によって被害を受けたエーリヒを救済するために、エルマが発案したものだったのだ。


 コンセプトは、「魔蛾とともに幸せになろう」。

 魔蛾のことを禍をもたらした敵とみなすのではなく、そこから立ち直るための足掛かりとして捉えなおし、ぶどうの収穫で得られるはずだった、いや、それ以上の儲けや幸福を手に入れようといったものだ。


 具体的には、魔蛾を使ったデトックス・ショーと魔蛾グッズの物販を組み合わせることによって、購買意欲にダイレクトアタックをかます試みである。


 が、ルーカスからすれば、エルマは「魔蛾と」幸せになるというよりは、「魔蛾で」幸せになっているように思われる。


 魔蛾を使った実験によってミドリムシの解毒性をさらに強化し、超音波を発する笛をケヴィンに与えることで完全に群れを操り、果てには魔蛾が番って産んだ幼虫までをも動員してせっせと繭玉を作らせる――

 その搾取ぶりは実に徹底しており、使用人や奴隷の所持にさほど抵抗のないルーカスたち王侯貴族ですら冷や汗が浮かぶほどだ。


 一応、枝を腐らせた卵も「保護」して幼虫に育て、それらを茹でずして絹糸を取り出す方法も編み出したあたり――どうやら、イレーネあたりがやたら「虫を茹でないで!」と叫んでいたのを真に受けたようだ――、害虫すら殺さぬ慈悲深さ、と言えなくもないのだが、永遠に搾取され続ける人生、いや蛾生を強いるというのは、もしかしてそちらの方が残酷なのではないのか。


 が、ケヴィンの証言では、「むしろ魔蛾も、嬉々として搾取されに行っているようです」とのことなので、当事者同士としてはそれで問題ないのかもしれない。


 ルーカスは「幸せとはなんだろう」という哲学的な問いを、この日も胸に抱かずにはいられなかった。


「エルマに魅入られた者たちの、これが末路か……」


 なんとなくうすら寒いものを覚えて、ぼそっと呟く。

 イレーネがなんとも言えない顔で重々しく頷くと、そこに物販を終えたエルマとフレンツェル一家がやってきた。


 一家はさすがに疲労の表情を浮かべはじめていたが、エルマは淡々と、天幕の前での入場整理を担当していたエーリヒたちを労うと、麻袋に移し替えた収益金を差し出した。


「お納めくださいませ、エーリヒ様。こちらが一回目から三回目までのショーで得た、皆さまからの『お気持ち』でございます」

「お……おう……!」


 受け取るエーリヒの腕が震える。


 農家として、生活の多くを物々交換に近い形で賄ってきた彼としては、これだけの大金に触れるのは初めてのことだ。

 麻袋はかなり大ぶりで、中身も紐が閉められないほどにたっぷりと収まっている。

 これがすべて小銅貨だとしても、結構な金額だ。


 さぞ心地よい重みがするのだろうなと思いながら受け取り、


「――――!?」


 エーリヒは、想像をはるかに上回る重量に、たまらず袋を取り落とした。

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