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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「愛」はもどかしい
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25.「普通」の虫退治(2)

 いつも通りの陰気な表情でやってきたヨーナスは、食堂に自分以外の人物――娘と息子が揃っていることにまず軽く瞠目し、それから、デボラの姿を完全に視界に入れると、ぎょっと肩を揺らした。


「――――!?」

「おはようございます。問われる前にお答えしておきますが、わたくしは、最近ダイエットに成功したあなたの娘、ブランニュー・デボラでございますわ」


 デボラが淡々と述べると、ヨーナスはまじまじと見つめ返してきたが、それでも領主の貫禄なのか、彼はやがて落ち着いた素振りで頷いた。


「……そうか」


 それから、ぽつりと付け足す。


「急にきれいになったから驚いた。エリーザに、似てきたな」


 劇的な変化に驚愕はしているようだが、必要以上に妻の面差しに惹き付けられている感じでもない。


 果たしてこれが「妻の反魂を願って魔道に手を染める」男の言動だろうかと、デボラとケヴィンは素早く困惑の視線を交わし合った。


「……父上」


 しばしの逡巡ののち、ケヴィンが切り出す。今度は彼から踏み込むことにしたようだ。

 ケヴィンは何気なさを装うように、自らもカトラリーを取って、パンにバターを塗るふりをしながら告げた。


「姉上をこのように変身させたのは、殿下に付き従っていた侍女の一人、エルマさ……エルマという者です。彼女はとても有能で、この数日で姉上に美容術を仕込んだほかにも、王都仕込みの様々な技術を駆使して、屋敷の仕事を手伝ってくれました」


 たとえば、と、ケヴィンは少しだけ間をおいてみせる。


「裏庭にあった、澱んだ池。あそこに湧いていた魔蟲もきれいに浚ってくれたのだとか」

「――…………」


 これには、先ほどよりも明確な反応があった。


「……なんだと?」

「ですから、池の魔蟲です。ご存知でしたか? あそこに湧いていた藻は、ただの藻ではなくて、虫で、しかも瘴気を帯びた――つまり魔蟲だったのだそうで。我が家には瘴弱の姉上もいるのに、これは由々しき事態。一匹残らず処理してもらって、本当によかった――ですよね?」

「…………」


 ヨーナスの厳格そうな顔が、わずかに強張った。

 動揺しているようにも見えるし、苛立っているようにも見える。


 隠し部屋の壁をくりぬいた小さな穴、およびカムフラージュに掛けられた肖像画の瞳の部分を通してやり取りを見守っていたルーカスは、壁に張り付いたまま、小声で漏らした。


「くそ、この穴からでは、さすがに細かな表情までは読めないな」

「エルマなら微表情を読めるのではありませんか?」


 すると、同じく壁に張り付いて、肖像画の指輪の辺りに相当する穴から覗き見ていたイレーネが、すかさず提案する。

 ルーカスは頷き、


「エルマ、おまえなら領主殿の微表情を読めるか?」


 視線を食堂に固定したまま問うてみたが、返事はなかった。


「エルマ?」


 不審に思い、背後を振り向いてみて、ルーカスたちは思わずぎょっとしてしまう。


「……おまえ、なにをしている」

「編み物ですが」


 隠し部屋の片隅、ソファとサイドボードの隙間にちょこんと佇んだエルマは、その立ち位置に見合わぬ豪快さで、レース編みを仕上げていた。

 彼女が腕と指先を動かすたびに、ぎゅんと糸が唸って、みるみる意匠が出現していく。


 怒涛の勢いで形成される、繊細かつ美麗なレースに、思わず両名が突っ込んだ。


「この状況下でなぜ編み物なんかをしているんだおまえは!」

「女性は待機時間などに、編み物をして時間をつぶすのが『普通』だとお聞きしまして。今朝方、魔蛾の繭から取ったばかりの糸なのですが、これがまた予想をはるかに上回る高品質だったもので、つい」

「これ待機時間じゃないし! むしろ真相に迫る正念場だし! っていうか結局ほんとに魔蛾の幼虫を茹でたのあなた!?」

「声が響きます、お静かに。おっと、差し迫った会話運びになってきたようです」


 結果、冷静に突っ込みを返される。

 ルーカスたちは、中途半端に叫びを封じられたもどかしさを抱きながらも、慌てて再度壁に張り付いた。


 食堂では、緊迫した空気の中、ケヴィンが声を張り上げはじめていた。


「――なぜ、そこで浮かぬ顔をするんだ。喜ばしいはずじゃないですか、父上。そうでしょう? 魔蟲はフレンツェル領の天敵。見つけたら即座に殺し、死骸を見つけたら縁起がいいと喜ぶ。そういうものではないですか」

「ケヴィン、別に私は――」

「それともなにか、喜べない事情がおありで? 瘴気を帯びた藻や魔蛾を、駆除するのではなく、まるで飼おうとでもするように接する――そんな、正気を疑うような行動の理由を、父上は説明できるのか!?」


 とうとう、ケヴィンは勢いよく踏み込んだ。


「気付かれていないとでも!? とんでもない! 父上の行動は、領民を、僕たちを、大いなる不安に陥れています。夜な夜な森の奥の沼に向かって、魔蛾を身に引き寄せているのでしょう? 屋敷の池に魔蟲の存在を許したのは、父上なのでしょう? いったいなにが目的なんだ! どうしてそんな、おぞましいことをするんです!」

「ケヴィン――」

「領民たちは、父上が母上の魂を取り戻すために、魔道に手を染め、神聖なぶどう畑を魔蟲に捧げようとしているのだと噂しています。そうなのですか? それが目的なのですか? あなたは――そんなにも、母上を愛しているのですか!?」


 血を吐くような叫びは、むしろ、そんなにも僕のことを恨んでいるのか、と聞こえた。


 感情が勝ち過ぎた弟を、デボラが視線で制する。

 しかし、彼女が差し水となるような言葉を口にするよりも早く、ヨーナスが低く告げた。


「――私が、領主としての(くびき)を外れるものか。噂に振り回されるな。すべて私がうまくやる。おまえは、父を信じ、ただ待っていればよい」


 それは、全面的に事態を請け負うというよりは、単に息子を遠ざけるセリフだ。

 案の定、かっとなったケヴィンは、ますます語調を荒げた。


「僕の質問にまったく答えていないじゃないか! 父上が沼で魔蛾を飼っているというのは事実なのか、事実ならそれはなぜなのか、僕はそれを聞いてるんだ! どうして答えてくれないんですか!?」

「だから――」

「それほどまでに、僕のことを信用できませんか!?」


 間髪を入れずに、ケヴィンが叫ぶ。

 怒声というよりは、血を吐くような、悲鳴。


 魔道に堕ちたかもしれない父への怒りより、それこそが、長らくケヴィンを苦しめてきたものの正体であった。


「ケヴィン――」

「あなたはいつも部屋に閉じこもっている! 僕や姉上のことなど見向きもしない! 僕が病気がちなのを言い訳に、屋敷の奥深くに追いやって、領主の仕事も心構えも教えず、会話すら交わさず、心の内を明かさない。それは、僕のことを次期領主に目するに値しないと、そう思っているからですか?」

「なにを――」

「それほどまでに、僕は、頼りない息子ですか!?」


 とうとう声を震わせて叫ばれ、ヨーナスは絶句した。


 デボラも目を見開いて弟を見ている。

 彼女は、生意気だった弟が、ここまでの苦悩を抱えているとは思ってもみなかったのだ。


 だが、病弱であることへの負い目――コンプレックス由来の毒を、全身に抱え込んでしまったその姿は、彼女自身大いに感じるところがあり、彼女は痛ましそうに目を細めた。


「ケヴィン……」


 寄り添うようなデボラの呟きに、ヨーナスがはっと我に返る。

 彼は息子になにかを言いかけたが、しかしすぐに口を引き結び、やがて首を振った。


「……おまえを、至らぬ子だと思ったことは一度もない。それは本当だ。魔蛾の件をおまえたちに話さなかったのも、おまえたちを信じていないからではない。どうか信じてくれ」

「信じてほしい、けれど、事情はやはり話せない、と?」

「……領主の指輪に恥じるような真似は、しない。神聖なるぶどう畑を、魔蛾の被害から守りたい――その気持ちに、嘘偽りがあるものか。どうか、信じてほしい」


 押し殺した声で、言葉を選びながら話すヨーナスに、姉弟は無言で視線を交わし合った。


 魔蛾を引き寄せていたことは否定しない。ただし領地を守りたい気持ちに偽りはない。

 ケヴィンたちのことを信用していないわけではない。けれど、事情は話せない――。


 あまりに曖昧で、あまりに矛盾に満ちた言い分だ。


 デボラは唇を噛み、弟に代わってどこから踏み込んでいくかを考える。

 しかし、彼女が口を開くことはとうとうなかった。


 追及を諦めたからではない。


 ――バンッ!


「旦那様!」


 下がらせたはずの使用人たちが、真っ青な顔で食堂に飛び込んできたからである。


 体当たりするような勢いで扉を開けた彼らは、早口でヨーナスに窮状を訴えた。


「大変でございます! 畑で魔蛾の卵が大量に見つかり、大騒ぎに……! 該当区画の民が、畑に火を放つ許可を求めて、続々と陳情に来ております!」

「なんだと――!?」

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