16.「普通」の探し物(4)
「ケヴィン! どうしてここへ?」
「……エルマ、さてはまたおまえが召喚したのか?」
「いいえ、私は特に」
ルーカスがつい半眼で問えば、エルマは首を振る。
ついでに、至極淡々と、
「屋敷からずっと、我々の後をつけていらっしゃいましたが、半マイルごとに息を切らして卒倒しそうになっていらしたので、内心気を揉んでおりました。無事に到着されてなによりです」
と付け足したものだから、ルーカスは天を仰いだ。
「突っ込みどころは! せめて! 一日ひとつまでにしてくれと! あれほど!」
やけくそになってぼやくが、エルマは首を傾げるだけである。
そして、勇ましくこの場に乗り込んできたケヴィンはというと、
「途中からしか聞こえなかったけど、姉上は、目を覚ましたほうがいいんじゃないのか。一介の侍女相手に一生そばにいろだなんて、手入れをしてもらっただかなんだか知らないけど、ずいぶん一日で骨抜きにされて――…………!?」
後ろ姿しか捉えていなかった姉の全貌を捉えて、ぎょっと目を剥いていた。
「ど……どちら様ですかあああああああっ!?」
「いやだわ、ケヴィン。あなたの姉、ブランニュー・デボラよ」
あまりのブランニューぶりに、本人認証が困難だったようである。
ケヴィンは言葉も忘れて、大きく目を見開いたまま、麗しく変貌した姉の頭からつま先まで、何度も視線を走らせた。
「な……そ……、……っ、で……えええええええええ……っ」
「なんでそんなに美しく、でもそれにしたって信じられない、だなんて言われても、エルマ様のお力としか答えようがないわ」
デボラは例の超解釈能力を披露しつつ、頬を染めてもじもじと答える。
それから、上目遣いでエルマの前で両手を組んでみせた。
「このように粗野で愚鈍な弟ですが、病弱で屋敷に閉じこもっていたがゆえの見識の狭さと、お目こぼしくださいませ。どうぞ身分のことなど云々せず、普通の弟分としてかわいがっていただけますと幸いですわぁ」
弟をかばうふりをしながら、ちゃっかり寛容な姉アピールである。
しかしエルマは、デボラの媚態には当然心動かされた様子はなく、淡々と「かしこまりました」と頷いた。
そして次の瞬間、ケヴィンの胸倉を目にも止まらぬスピードで掴みあげ、どすの利いた声で恫喝しだした。
「おう、ナマ言ってんじゃねえぞあ゛ぁああ!? てめえに許された返事はただひとつ『はい』だけだ、それ以外をほざくようならケツから手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞあ゛ぁあああん!?」
「はひぃいいいいい!?」
突然の暴挙に、ケヴィンが宙に浮いた両足をじたばたさせながら悲鳴を上げる。
これにはルーカスもイレーネもぎょっとして、慌ててエルマを取り押さえた。
「おい、なにをしている!」
「ちょっと、お尻からなにを入れるですって!?」
いや、一名の突っ込みには喜色が混ざった。
だがエルマは制止されたのを不思議そうに眉を寄せるだけである。
「いえ、デボラ様が普通にかわいがれと仰ったので……」
うっかり、監獄内でスタンダードの「かわいがり」を実行してしまったのだ。
ヴァルツァー監獄では、このように新入りは先輩囚人からきっちり仕込まれて、頂点に君臨する七人にけして失礼がないよう、徹底的に調教されるのが常である。
「肉体言語付きの、タイプ03のかわいがりのほうがよかったでしょうか……?」
「やめろ。絶対にやめろ」
ルーカスは頭を押さえて低く唸ったが、急に離されて尻もちをついたケヴィンは、それどころではなかった。
「ひ……っ、ひ……っく」
領主の跡取り息子、そして病弱な少年として、厳重に保護されてきた彼は、このようにワイルドな接触を取られたのは初めてだったのである。
ケヴィンはすっかり怖気づき、べそをかきながらエルマを見上げた。
「な……、なんなんだよ、おまえ……っ」
それでも、平民の、それも女相手に気圧されてはならぬと自分を鼓舞したのか、わずかに残った気力を掻き集め、ぎろりと涙目で睨みあげる。
彼は懐に手を差し入れると、次から次へとものを取り出し、エルマへと投げつけた。
「お……おまえ、何者なんだ! やっぱり魔性のなにかなんじゃないか! 失せろ! 失せろよ! フレンツェルから出ていけ! あ……姉上や僕を支配して、領を脅かそうたって、そうはさせないぞ……!」
銀の十字架、鉄の珠、にんにく、聖水、玉ねぎ。
少年なりに思い付いたのだろう退魔アイテムを、これでもかと取り出していく。
その中には、騎士団が実際に魔獣退治に使う聖水もあれば、俗信でしかないアイテムも多くまぎれていた。
エルマは器用にひょいひょいと避けながら、料理に使えそうなにんにくと玉ねぎの辺りだけちゃっかりと受け止める。
「乱暴な真似はおやめください。支配とはどういうことでしょうか」
「しらばっくれるな! 姉上の変貌ぶりは異常だ! おまえ、さては魔族の生き残りかなにかなんだろう!? 奇妙な術を掛けて、ぼ、僕のことも、脅して言うことを聞かせて、フレンツェルの領主一家は魔に乗っ取られたと……そう噂を立てて、民を不安に陥れるつもりなんだろうが!」
ケヴィンの主張はおよそ妄言の域を出なかったが、たったひとつだけ、この場の誰も知らない真実を言い当てていた。
が、もちろん誰の耳にも、彼の発言は不当な言いがかりとしか響かなかったので、ルーカスたちは険しい表情を浮かべた。
とうとう弾を切らしたケヴィンは、慌ててポケットをまさぐり、護身用に忍ばせていたナイフに行き当たる。
彼は無我夢中でそれを掴み、目をつぶったままエルマに投げつけた。
「消えろ! 魔性め!」
だが、相応の勢いで投擲したはずのナイフは、エルマを掠ることすらなく地に落ちる。
さっと腕を伸ばしたルーカスが、素早くナイフを叩き落としたからだった。
「……女に刃を向ける者があるか、馬鹿者め」
声はいつになく低く、剣呑な響きを帯びている。
いくらエルマが人外の域に差し掛かった予測不能生命体とはいっても、無実の女性を傷つけることは、彼の騎士道精神が許さないのであった。
「いつまで腰を抜かしている。立て。おまえが攻撃しようとした相手、おまえがやったことの重大さを、しかとその目で確かめろ。ついでにその妄言の根拠の無さもな」
「で……殿下! そんなことを言って、あなたがこの女を使役しているのではないんですか!? それとも殿下まで騙されているんですか!? その女は到底普通じゃない。さっきから、魔のものでもない限りありえない行動ばかりしているじゃないですか!」
ケヴィンがきゃんきゃん吠えると、ルーカスは少々視線を逸らした。
「……いやまあ、たしかにこいつは激しく人間の範疇外の行動価値観発言を見せるし、はっきり言ってその存在を同じ人類にくくっていいかは日々悩むところだが、とにかく女を傷つけるのはいかん。いけないはずなんだ」
「……殿下の発言のほうが、先ほどからよほど盛大に私の心を傷つけていますが」
ぼそっとしたエルマの申し出は無視され、残念ながら誰も拾ってはくれない。
唯一、信徒のデボラだけが眉を寄せ、「ケヴィン、あなた、なんて愚かなことを――」と弟を窘めようとしたが、
「それはこっちのセリフだ、姉上! こんな魔性に誑かされて、領民にどう噂されているのか、わかってないのか!?」
すぐさま遮られ、きゃんきゃんと噛みつかれた。
エルマはなにかに気付いたようにふと顔を上げると、デボラを視線で制し、ケヴィンの前に進み出た。
「あの、差し出がましいようですがケヴィン様――」
「黙れ、魔性! なれなれしく僕の名を呼ぶな! いいか、ころっと騙された姉上と僕は違う。僕は次期領主として、必ずおまえの魔手から家族と領民を守ってみせるんだからな!?」
「いえあの、そのお志はとてもご立派ですが、その声変りを済ませていない高い声で叫びつづけられますと、きんきん響いてですね」
「僕を愚弄するのか!? はっ、魔性の耳に障るというなら結構なことだ!」
「いえあの――」
だが、ケヴィンはすっかり興奮してしまい、喚くばかりで耳を貸さない。
ぱっと立ち上がって性懲りもなく退魔的アイテムを探り、とうとう母親の形見の銀の指輪を懐から引っ張り出すと、それをエルマに付きつけてみせた。
「発育が遅いと僕を侮ったことを後悔させてやる! これでも食らって、失せろ、魔性め!」
「いえあの、私は特に銀に対してなんの反応を示すものではないのですが、どちらかというとですね――」
エルマはケヴィンの背後をじっと見つめ、それから少しだけ首を傾げてみせた。
「あなた様の高いお声が、魔蛾を呼び寄せているようです」
「――…………は?」
一瞬だけ、沈黙が落ちる。
その隙を突くようにして、
――ざああああああ……っ
空が曇りはじめた。
いや違う、雲ではなく――大量の蟲が空を覆いはじめたのだ!