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シャバの「普通」は難しい  作者: 中村 颯希
シャバの「愛」はもどかしい
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8.「普通」のお手入れ(4)

 花はひしゃげ、のみならず、窓近くの棚に置いてあったイレーネの服や荷物は、ぐっしょりと水で濡れていた。

 もちろん、繊細な花冠は、破片にまみれ、無残に花びらを散らしてしまっていた。


「……ひどいわ」


 あからさまな悪意の形に、気の強いイレーネも青褪める。


 これほどまでに、しかも持ってきた衣服のすべてを濡らされてしまっては、すぐに外出することなどできない。

 乾いているのは、今着ている王城お仕着せのメイド服だけ。

 作業をした後で少々埃っぽいし、それ以上に、このまま町に出ては、悪目立ちしてしまうだろう。


 かろうじて、自然に倒れてしまった態を装っているようだが、イレーネを足止めしようとするその意図から、犯人が誰だかはわかる。


 デボラの仕業だ。


「信っじられない……。そこまでして、殿下と私のデートを阻みたいわけ? 全然恋人同士なんかじゃないっていうのに!」


 釣り目がちの翠色の瞳に、悔しさのあまり少し涙がにじむ。


 だが、デボラが犯人だというのは推測に過ぎないし、問い詰めたところで相手は強引にごまかすだけだろう。

 そもそも、身分差のことを考えれば、イレーネがデボラを弾劾するなんてできるはずもないのだ。


 イレーネはさっと目じりを拭い、強気な彼女らしくショックを怒りに変換してやり過ごすと、顔を真っ赤にしながら服を拾い集めた。


「最低! ああもう最低だわ! なにも祭りの日にこんなことしなくたっていいじゃないの」


 彼女は、ぎゅっと布を絞りながら、想いを言葉で発散しつづける。

 そうすることで、少しずつ心の平静を取り戻そうとしていた。


「いくら私のことが気に食わないからって、あんまりだわ。そう思わない、エルマ?」


 だが、返事がない。


 怪訝に思って顔を上げたイレーネは、友人が淡々とした様子で、部屋の片隅で作業をしているのを見て、目を見開いた。

 小さなブラシを持ち、なにやら埃取りでもしている様子である。


 イレーネはむっとした。


「ちょっと、エルマ! ねえ、掃除の最終仕上げでもしているの? あなたの友人である私がひどい目に遭っているのよ。ちょっとは私の怒りに共感してくれたっていいじゃないの」


 そして彼女は、その苛立ちのままにエルマの肩をつかみに行った。


「あなたはさほど興味がないかもしれないけれど、私、服と同じくらい、お揃いの花冠を台無しにされたこともショック――」

「おのれデボラ」


 ぼそっと、地を這うような声での呟きに、イレーネは一瞬耳を疑った。


「――…………は?」

「角度が特徴的な三角州に、極めて短い島形線……指の下部に密集した汗線孔。十二の特徴点の一致を確認――間違いなく、デボラ様の仕業ですね」

「…………はい?」


 先ほどから、彼女が何を言っているのかがわからない。


「な、なにを、しているの……?」


 イレーネが、無意識に引き攣ってしまった声で問えば、エルマはこともなげに眼鏡のブリッジを押し上げ、


「指紋の照合ですが」


 と答えた。


「シモン…………?」


 よくよく見てみれば、エルマは小さなブラシを使って、小麦粉のようなものをはたいていたようだが、それがいったい何の意味を持つ行為なのか、イレーネにはわからない。


 ただ、――この友人のまとう雰囲気が、いつもと異なるようだということはわかった。


「エ、エルマ……? いえ、エルマさん……? あなたもしや、その、なにかちょっと……怒ってる……?」


 なぜだか、相手をさん付けしてしまう衝動に駆られる。

 エルマは静かに眼鏡を外すと、その夜明け色の美しい瞳をぎらりと光らせた。


「――彼女を殲滅します」

「いやむしろめっちゃ怒ってる――!?」


 この友人はめっちゃ花冠をかぶって市に出かけたかったのだと、そのときイレーネは悟った。

 基本的に感情の起伏が乏しいように見えるエルマが、そこまで怒りを露わにすることなど珍しい。

 いや、珍しいというよりは、初めて見た。


 周囲の空気の温度が、ぐんと下がったような感覚に、背筋が思わずぶるりと震えた。


「あ、あのあのあの、エルマ? ちょっと落ち着いて? その……花冠なんてまた作ればいいし、私の服もすぐ乾くじゃない。あの、どうかデボラ嬢への復讐なんてやめてね? いえ、気分的にはぜひしてほしいところだけど、なんていうかあの、人の道を踏み外さないでね?」

「私が今まで人の道を踏み外したことなどありましたか? というかなぜ止めるのですか? 客観的に見て理不尽であるなら、腹を立てるのが『普通』なのでしょう?」

「いえ、あの、もちろんそれ自体は『普通』なんだけれども、あなたの場合、ちょっと、その発露の方法が普通じゃなさそうっていうか――」

「デボラ・フォン・フレンツェル」


 もごもごと仲裁を試みるイレーネをよそに、エルマは低く呟いた。


「私の『ぷんぷん』を、思い知るといい」


 まるで、世界に禍を降り注がんとする、魔王のような声だった。

次回、探偵エルマによる犯人弾劾回!

…は、明日20時のお届けとなります。すみません( ;∀;)

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― 新着の感想 ―
やっちまった・・・・・・・
[良い点] あ~あ
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