第01話 早朝ランニングとその理由
――愚直に鍛えることだった。
PiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPi
こざっぱりとした部屋。
ただしモニター類やその周りに存在する数台のカスタマイズデスクトップPC、現行の全てのゲームハード類が存在する一角だけが異彩を放っている。
その一角には整然とではあるが複数のVRグラスや各種特化された入力デバイス類がいくつも並んでおり、この部屋の主がいわゆる重度のゲームオタクであることを如実に物語っている。
この部屋の主の名は社 雅臣。
私立登美ヶ丘学園の二年生、進学クラス帰宅部。
趣味はジャンルを問わず、ありとあらゆるコンピューターゲーム。
その部屋に、この春まではこんな早朝に鳴ることなどなかった目覚まし音が響いている。
自転車で通う距離とはいえ、学校へ向かうにはまだまだ早すぎる時間帯である。
体育会系の部活動に精を出している者であれば「朝練」というもっともな理由が思い浮かぶだろうが、帰宅部である雅臣に「朝練」があるはずもない。
一昔前であればMMORPGの攻略やイベントの待ち合わせという可能性もあったのであろうが、昨今そういう必要があるゲームは減ってきている。
そもそも現在、雅臣はその手のゲームにはハマっていない。
部活にも参加していない雅臣が「健康のため、体力をつけるため」と早朝ランニングなどするはずもない。
――本来であれば。
だが機嫌悪そうな顔で目覚ましを止め、枕元に置いた最近新調した小洒落た眼鏡を身につける雅臣が早起きした理由は、まさにその「早朝ランニング」のためである。
つまりこの春届いた謎の置物――立体映像で天空城を映し出す装置が表示する
『The red marked value is not enough!』
のメッセージに対して、雅臣は愚直に「おそらくはそうであろう」と思われる要素を鍛えることにしたのである。
まずはその置物を疑えと言う話もあるが、送り主不明でしばらく置いて居ても基本無害。
しかも映し出される『天空城』の立体映像がすばらしいとくれば、とりあえずおいておくことにしたのだ。
間違いであればだれかが取りに来るだろう。
送り先は明確に雅臣の家の住所が明記され、それも雅臣名指しで来ていたのだから送り主がなんとかするはずだ。
一応どこの会社のものともしれない「送り状」は保管してあることだし。
同じ手段でエログッズなどが送られて来たら扱いに困るよな、などと埒もないことを考えている雅臣である。
とにかく。
まずはSTRとVIT。
筋力と体力と想定し、早朝ランニングと腕立腹筋という古式ゆかしい鍛錬を始めたわけだ。
「ここのところ見ていた夢が、無事最終回を迎えたな……」
目覚ましの音に強制的に起こされたとはいえ、まだ寝ぼけた頭でついさっきまで見ていた夢を反芻する雅臣。
夢というものは不思議なもので、起きた直後は鮮明に覚えているにもかかわらず、ものの数分で全てに霞がかかったようにおぼろげになってゆく。
事実雅臣も毎朝そうで、起きた直後は毎日の起きた直後の記憶も繋がっているのだが、頭がシャッキリする頃には「自分らしいゲームテイストの夢を見た」という程度しか覚えていられなくなる。
「……無事だったか?」
大団円を迎えたのかそうではなかったのか、今の雅臣にはもう思い出すことができない。
はやくも記憶は朧にかすみ、最後の瞬間がどうだったのかを思い出せなくなっている。
そして現実に意識がアジャストされれば、夢の記憶はどうでもよくなり、必死で追いかけることもしなくなる。
――まあ、所詮は夢に過ぎないしな……
如何に自分好みの夢であったとしても、夢は夢でしかない。
そんなことよりも、これからの早朝ランニングが朝から雅臣の心をどんよりとさせるのだ。
「バカなことをやっている自覚はあるんだけど……」
そうひとりごちて、ランニングウェアに着替え、一階に降りる。
共稼ぎで二人ともにかなりいい企業で管理職をやっている両親もさすがにまだ寝ている。
雅臣の部屋にあった、高校生のバイト程度ではちょっとまかないきれないようなハード類は両親の持つ経済力と、勉学の成果を報酬制で応えてくれる社家のシステムのおかげである。
おかげで雅臣の成績は県内随一の進学校の中でもトップクラスであり、全国区でも上位陣と言っていい位置にある。
趣味と勉強の両立は普通難しいと思われがちではあるが、雅臣の思考は少し変わっている。
「やりたいこと」を十全にするために「必要なこと」は全く苦にならないのだ。「条件を整える」という要素は、雅臣にとってゲームの範疇なのである。
それどころかゲームの中でもハック&スラッシュ系のPRGをこよなく愛する雅臣にとって、目的のためにする努力は快感ですらある。
より強くなるために強くなるという、無限上昇するカノンのような状況を雅臣はこよなく愛する。
ゲームの世界で高効率の狩場が高効率で無くなるまで何時間でも、何日でもレベル上げに勤しめる雅臣にとって、誰にも文句を言われないで好きなハードで好きなようにゲームを楽しむために必要な事は、レベル上げと同義なのだ。
ゲーム世界と現実に、同じ理屈を無理や偽りなく適用できる。
それが雅臣の少し――いやかなり変わったところだ。
また仕事と違い学生時代の勉強というものは、やった分がかなりの精度で可視化できることも雅臣の性に合っている。
どんなものであれいわゆる「ステータス」の数値が伸びる事は雅臣にとっての快感なのだ。そしてほぼ上限に至ってからはそれを維持することも楽しめる。勉強などはそっちの方が難易度が高く、より楽しめるといっても過言ではない。
人間楽しめてやれることは、いい結果につながるものらしい。
だがゲームのように一度到達してしまえばそこから下がらない類は、そこで終わりを迎える。
いわゆる「飽きた」、「厭きた」とは違うのだが、結果として同じこととなる。
つまり雅臣にとってそのゲームはそこで「攻略完了」するのだ。
よって今、にあいもしない早朝ランニングをはじめた雅臣は、憂鬱ではあるが楽しくもある。
それはきちんとやればかなりしんどい腕立腹筋も同じことである。
やり始めてまだ一週間程度ではあるものの、早朝ランニングと真剣に行う腕立て腹筋は雅臣に明確な変化を与えている。
それは体が軽くなったとか、息があがらなくなったとか、そういう体感的なものではない。
一週間程度ではそこまで劇的に変化するわけでもないから当然だ。
そんなことよりも雅臣の「やる気」を維持しているのは、謎の置物の基部に触れた時に表示されるステータス画面の数値が、明確に上昇しているという事実である。
早朝ランニングに出る前に、雅臣はきちんと今の自分の「ステータス」を確認している。
今朝現在の雅臣のステータスは以下の通り。
STR 15(+1) DEX 38(+-0) VIT 14(+2) AGI 52(+1)
INT 83(+2) MND 85(+3) CHR 51(+2)
この数値だけではなく、自分がどれだけ積み上げたのかを可視化してくれていることが、雅臣にとっては大きい。
走って筋トレでなぜMNDが上昇したのかは謎だが、この数値たちが上昇するからこそ雅臣は毎朝毎晩頑張れている。
たった一週間程度でこれだけ上昇するのだから、自分の躰としては実感できなくてもむきになってしまうのが「ゲーマー」という人種の性なのかもしれない。
そして現実に基づくこれらの数値の正当性はともかくとして、まだまだ成長させる余地は充分とくれば、大好きだったゲームを一時休業して勉強と早朝ランニング、腹筋腕立てに注力するのは雅臣にとって至極当然のことであるのだ。
各数値がいくつになれば赤字で無くなるのかは不明だが、雅臣は全ての数値が設定値をクリアするまでやるつもりである。
おそらくは『魅力』であろうとあたりを付けている『CHR』には頭を抱えたが、髪型を流行りの雑誌から気に入ったものに変え、眼鏡もブランド品のなかから雅臣なりにかっこいいと感じるものに変えたら+2されたので思わず笑った。
有名な美容室へ行く事と、結構な値段のするブランドフレームを入手するために新学年早々の実力テストを頑張った副次効果で、INTが+2されていることも面白かった。
他にも毎朝髪を整えたり、笑顔の練習をしたりしているが今だ数値として現れるほどの成果には至っていないようだ。
馬鹿なことをやっていると自覚しつつ、効果が表れる方法を模索するのも雅臣は楽しんでいた。
CHRが+2されたからと言って急に学校でモテだすわけでもないが、何らかの理論に基づいて数位が上昇することは純粋に楽しい。
それにいわゆるリア充層とは違っても「僕は勉強を頑張っている」という密かな矜持が、きちんと数値化されたことにも地味に雅臣は喜んでいる。
比較対象や基準が無いので比べようもないのだが、黒字の数値は基準点をクリアしていると考えていいだろう。
全ての数値の基準点がイコールであるならば、赤字であるSTR、VITは理解できる。
INTとMNDの数値が高いことに密かに自尊心を満足させている雅臣ではあるが、INTはともかくMNDが高いというのはどう言うことだろうとも考えている。
――図太いということなのかな?
そんなあたりが今の雅臣の理解である。
DEXやAGIが地味にいい数値に見えるが、それを活かす事もしていないし、ゲームにおける反射速度やコントローラー操作の精度あたりかなとあたりを付けている。
だがもともと49あり、+2されて50を越えても赤字のままのCHRが謎だが、その辺は深く考え過ぎてもしょうがない。
どうあれ黒字になるまで頑張るだけだと雅臣は覚悟を決めている。
必要であれば中間テストの結果で得られる権利を、今まで夏は涼しく冬は暖かければいいと思っていた衣装類やそれにあわせるアイテム類につぎ込んだっていい。
ゲームオタクが何を色気づいているんだと周りに思われるかもしれないが、数値を上げる為であれば雅臣はそれを厭うものではない。
一番苦労しそうだと思っていたCHRがそんな程度で上昇するのであれば、多少の嘲り程度は充分に許容範囲内である。
世間の同世代の連中がテストでいい点を取って親にねだるのは、本来そう言ったものが主流なのだろう。
ブランドの眼鏡フレームや洒落た理髪店へ雅臣が行きたがったことを、ことのほか両親は喜んでくれた。
高校二年生にしてやっと「高校生らしく」色気づいてきたことに胸を撫で下ろしているのだろうという事は雅臣にも理解できる。
つまり今までの雅臣は、成績こそよくても両親の理想では無かったのだとはっきりわかると、さすがに落ち込むものはあった。
とはいえ雅臣は無理して自分を変えようとは思わない。
父親の言う、「好きに生きたければそうできるための力を持てばいい」という理屈を雅臣は全面的に支持している。
学生という今の立場であれば、勉強の成績というものは最強と言っても過言ではない力の一つだ。
社会人になればそれだけでは渡って行けない事は理解できているが、今はその力で好きなようにさせてもらおうと思っている。
地味で運動が苦手でも、私立進学校という場で「圧倒的な成績」というものは己を守る盾にもなる。
進学校ゆえに深刻な「いじめ」などはないが、成績を落さない限り教師陣が絶対的な味方であるという事実はいろんな意味で雅臣の高校生活を生きやすくしてくれている。
誰も文句のつけようがない成績を取っている人間がゲームをしていても誰も文句は言わないのだ。
だからと言って人気者になったり、女の子にもてたりするわけではないのは雅臣のこれまでの人生で本人が一番よく理解している。
それを両親がかなり心配してくれていることも。
早朝ランニングをはじめるといった時は、何の報酬でもないのに若者好みのスポーツブランドで一式揃えてくれたりもした。
――本当の目的を知ったら、父さんも母さんもがっかりするかな……
だが結果として、息子がインドアからアウトドアへシフトしたことは間違いないので、喜んではくれるだろう。
早朝ランニングをしていなければ絶対に知りあわなかったであろう幾人かと、たった一週間で知り合いになっているのも事実である。
内心で少々苦笑いしつつ、今日も雅臣は日課となった早朝ランニングをはじめる。
要求されている数値が全てクリアされた時に何が起こるかなど、当然雅臣は知らない。
だがそこに上げることが可能なステータスとその手段があれば、愚直に頑張るのみだ。
全ての数値が条件を満たした時、雅臣の日常はとんでもない非日常に変わってしまうのだが、今の雅臣がそれを知る筈もない。
ただ今は、我ながららしくないと思いながら早朝ジョガーたちとさわやかに挨拶を交わしながら、内心ひいひい言いつつも走る日々である。
今はまだ、『冒険』の幕は上がっていない。
第02話 基準達成
2/2投稿予定です。
明日から基本的に一日一話投稿、二月中に一応の着地点までたどり着く予定です。
最初のアイデアは「錬金術師の手乗り迷宮」となっていたこの物語に、しばらくお付き合いいただければ書き手はすごく喜びます。
ゲームの世界で強くなったステータスとか、見つけたレアアイテムを現実に持ち込めたらなあ、などという本当にありふれた妄想を、自分なりに物語に出来たと思っています。
できればオチまでお付き合いいただければと。
よろしくお願いします。