第16話 アルの驚愕
アルヴィン・ド・ヴォルカンは今、ひどく驚愕している。
ここまで自分が驚き、動揺している記憶はそうそうはない。
長い長い時を『世界の天秤を保つ者』として生きてきた中で、間違いなく五指に入るといえるほどのものだ。
自分自身も世界屈指の『超能力者』であり、仲間にも敵にも『規格外』としか表現しようのない者が存在することは嫌というほど知っている。
『有資格者』などその最たるものである。
だがそれらがあくまでも同じステージでの強弱に過ぎなかったことを、アルは今思い知った。
赤子には不可能なことでも子供にはできる。
子供には無理でも、大人になれば何とかなる。
普通の大人には難しいことでも、才能を持つ者やプロフェッショナルはそれを仕事にすらする。
――だがどこまで行っても人たる身には、神の御業は行使できない。
かなり特殊だとはいえ、『超能力』も才能のひとつに過ぎない。
その証拠にどれだけ突拍子がなく見えても、より強い力の前に『超能力』は敗北する。
『念動力』が単純な筋力に敗北することもある。
極端な話、街ひとつ巻き添えにするつもりで現代兵器を叩き込まれれば、アルとても敗北する――殺される可能性は高いのだ。
『超能力』を使うのはあくまでも人――その力を除けば理性も感情も欲もある『超能力者』。
どれだけ特殊で規格外でも、社会の一員として生きているからこそ決定的な破局は訪れない。
どこまで行っても現実を成り立たせている力の法則の内側にいるからこそ、異端とはいえ社会の一員として存在できるのだ。
――だが今、社君がして見せた、いや見えさえしなかったものは……
『……社君。君は今、何をしたんだい?』
ついさっきまでは間違いなくあった余裕をすべて失った硬い声でアルは尋ねる。
「ん? カッとなって、ばーっと倒した」
嘘は言っていない。
だが真面目に答えない雅臣を、アルは本気で恐ろしいと思う。
アルには、雅臣が何をしたのかをまったく認識できなかったのだ。
屋上で雅臣が『適格者』としての力を如何なく発揮し、その力を『神化反応』になぞらえて「神の如く」と言った記憶はある。
「その割には直撃くらったけどな」との雅臣の返事に、「あれはなかなか面白かったね」と答えたことも。
実際にちょっと笑う余裕すらあったのだ、その瞬間までは。
だがその直後、まるでコマ落としのように雅臣は校舎内への扉の前へと移動しており、屋上へ展開していた『直截戦闘担当』たちはすべて意識を刈り取られて倒れ伏していた。
移動だけであれば雅臣に『転移』の能力があれば可能。
つまりアルにも同じことはできる。
十数人の『直截戦闘担当』たちを一瞬で無力化することも、やろうと思えばアルにはできないこともない。
だが警戒しつつ雅臣に接近を図っていた『直截戦闘担当』たちが倒れ伏す過程すらも、一切アルには認識できなかったのだ。
映画のシーンが強制的に飛ばされたかのような、唐突な世界の切り替わり。
――これではまるで……
『えっと、なんか社君が急に光って、かたまっちゃった黒い人たちに触れて? 倒して屋上から校舎に入ろうとしてる……んだよね?』
「あれ、磐坐さんは動けてたんだ? じっとしてるから磐坐さんも止まってるのかと……」
『邪魔しちゃいけないと思って……えぐいって何がかな?』
「ええと……」
その会話を聞いてアルは「血の気が引く」という経験を久しぶりにすることになった。
『適格者』とそれに関わる者以外、すべて静止させられる力が存在するということ。
そして今の段階でも、雅臣がそれを使いこなせているということ。
つまり雅臣がその気になれば、『万能』などと呼ばれている自分でさえも苦も無く倒される――殺されるということを理解したからだ。
自分たち『超能力者』に向けられる、普通の人たちの恐怖を含んだ視線を初めて理解できるような気がしたアルである。
『……その『力』はいつでも使えるの?』
「ん? 回数制限はあるけどね。見た目がちょっと恥ずかしいからあんまり使いたくないけど……ああ、僕以外みんな止まるんならそこは気にしなくていいのか」
『カッコよかったよ?』
「磐坐さんにはみられるんだったね……」
何でもないことのように会話している二人が恐ろしい。
雅臣が世界を敵だと認識することはなんとしても避けなければならない、と改めて強く認識する。
じわじわと進行している『世界の終焉』などよりもあっさりと確実に、現世から人だけを退場させられかねない。
しかも雅臣は、今以上の力を迷宮でつけてくることは間違いがないのだ。
『……強硬にでも介入して、今社君に攻撃を仕掛けている部隊を撤収させることにするよ』
雅臣に「ちょっと痛い」思いをさせることすらも避けるべきだとアルは判断する。
どれだけあざとくとも、少なくとも雅臣にとって世界は愛するに足ると思えるものに見せなければならない。
そのために合衆国や日本のみならず、世界中が協力する必要があるだろう。
その気になれば世界を壊せる存在の前で、その存在に嫌悪感を持たれるような内輪もめや放置をしている場合ではない。
大げさではなくアルはそう思う。
『天秤を乗せた天秤』も久しぶりに本気で活動せねばならないだろう。
「そうしてくれると助かるな。なんか……こう、申し訳ない気がしてきたし」
アルには雅臣が何を言っているかわからないのだが、倒すたびにすべての情報を取得していることにいたたまれなくなってきているのだ。
そんな会話をしながらも、いくら集中してもまるで認識できないまま、雅臣は校舎の中をコマ落としで移動していく。
それに合わせて、戦って勝てるものなどほとんど存在しない部隊の猛者たちが、自分たちが倒されたことすらも認識できないままに倒されてゆく。
アルに入ってきている部隊の司令部は混乱などという生易しい状況ではない。
今ならばアル――合衆国の介入を口実に、あっさりと撤収するだろう。そうしなければてくてくと歩いているだけにしか見えない雅臣に全滅させられるだけだ。
自分の認識に空白が生まれるその度に、自分を含めた世界が雅臣に置いていかれているという事実がアルは恐ろしい。だが同時にぞくぞくするような快感――背徳感に似た何かを感じていることも事実だ。
世界が置いていかれている間であれば、自分が偉そうに「彼女の身の安全は保障する」といった相手であるごく普通の女の子――凜子にすら自分は倒されるのだ。
――額に肉と書かれる程度で済めばいいけれど。
そう思ってアルは笑う。
今自分はのほほんとした自覚なき神、あるいは悪魔と会話しているのだと思うと笑えたのだ。
「アル君、緊急事態だ!」
再び意識の空白が生まれた直後、らしくない雅臣の慌てた声が届く。
『――どうしました?』
「校舎内に生徒がいる!」
確かにこんな早朝に他の生徒がいるのは意外かもしれないが、鼻歌交じりで特殊部隊を無力化してのける雅臣が慌てる事態とも思えない。
部隊が一般人を攻撃するとは考えにくいし、結界に閉じられた中では人も物も変化しない。壊れたように見えても、結界を解かれれば元に戻るのだ。
――ああ、社君がそんなことを知るわけありませんね。
行使する力があまりにも規格外ゆえに忘れていたが、雅臣は突然手に入れた自分の力以外は無知といっていい状態なのだ。
日本というある意味そういう方面には長けた場所で高校生をやっているため知識としては詳しいといっていいくらいだが、『超能力』の実在さえついさっき知ったばかり。
結界内にいる生徒に危害が及ぶことを心配しても無理はないのだ。
そしてそれを放置することはアルにとっていいことではない。
すぐにでも部隊の行動を停止させるよう動こうとして、雅臣の言葉に再び驚愕させられる。
「結界内でも動いてる。というか僕の『魔力付与』発動下でも普通に動いてる」
『――は?』
つまり凜子と同じ立ち位置にいる存在だということだ。
『磐坐 凜子』の存在は雅臣のことを調べる際、アルの調査対象となったためかなり知悉している。雅臣が凜子をどう思っているかは不明だが、凜子が雅臣をどう思っているかは割とわかりやすい調査結果が上がってきていた。
だがそれ以外に、『従者』となり得る近しい、もしくは雅臣が強い興味を持つ存在はいないと判断していたのだが……
アルは雅臣、というよりも『トリスメギストスの几上迷宮』の有資格者の思考を読むことは不可能なので知りえなかったのだ。
雅臣が妄想していた仮想パーティー六名のうち二人は、私立登美ヶ丘学園の生徒であったということを。
――間違いなく、第二の『従者』でしょうが……はやすぎる。
『名前はわかりますか?』
「……先輩だ。三年生の春日 花鹿先輩」
――女の子だね。
なぜか言いにくそうにする雅臣の態度に、アルはちょっとほっとして笑う。
高校生男子としては健全なことだ。
想いを遂げられるかどうかは別として、気になる異性がたった一人ということもあるまい。
アルをほっとさせた想像と、雅臣が春日 花鹿に興味を持っていた理由は微妙にズレているのだが、そんなことはアルにはわからない。
――当然、第一の『従者』にも。
『……ふぅん』
「え、あの、……磐坐さん?」
世界の安寧を考えるアルの深刻さとは比べ物にならないのかもしれない。
だがアルをして驚愕させられ、恐怖すら覚えさせられる力を持つ雅臣にとっては、凜子の「……ふぅん」の一言の方がよっぽど深刻な事態のようである。
そんな二人の様子にわりと本気で安心しながら、付き合っているわけでもないのに女の子っていうのは怖いなあ、と年甲斐もなく思うアル。
――いかに『適格者』とはいえ、自分の『従者』からは逃げられませんしね。迷宮へ逃げてもついてくるわけですし。……痴話喧嘩のとばっちりで世界が滅んだりしたらさすがにいやですねえ……
自分らしからぬ想像に内心笑い、アルは即時日本政府への介入、部隊の活動即時停止を徹底させる。
この緊張感に欠ける空気を、万が一にも崩すわけにはいかない。
神にも悪魔にもなる得る、それもこれから際限なく力を得てゆく可能性が高い存在には、ラブコメをやっていてもらうのが世界にとって一番有意義なのだ。
そのついでに時々力を貸してもらえる状況を作り上げられればそれが一番いい。
そうなるような状況をしつらえるのが、これからのアルの一番大事な仕事となるだろう。
多くの人間に畏怖された『万能の超能力者』――アルヴィン・ド・ヴォルカンには似つかわしくない仕事かもしれないが、わりと乗り気なアルである。
学園モノにおける『超能力者』というのは、そういう役どころを与えられるものなのかもしれない。
次話 二人目の『従者』
2/19投稿予定です。
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