第11話 現実浸食
社 雅臣の脳は今、フル回転している。
――大部分は空回りだが。
初めて自分の部屋に入った母親以外の異性である磐坐 凜子。
彼女が微笑ったからだ。
全裸状態を雅臣のシャツで隠しているだけの状況。
まあこの年頃のリア充グループであれば、ゴールデンウィーク初日の早朝としてなくもない光景なのではあろうが、雅臣にとっては脳のギアがすべて抜けるには充分な状況である。
まさか現実への帰還先が、凜子まで自分の部屋になるとはさすがに想定できていなかったのだ。
不思議な置物――迷宮へ取り込まれる際に表示されたメッセージからすれば『ヘルメス・トリスメギストスの几上迷宮』――の第一階層を無事クリアしたまではよかった。
雅臣の想定では自分がまきこんだ疑いが濃い凜子。
彼女をとりあえずは無事に現実へ帰せたことに一番ほっとしているという事実は、我ながら意外であったが。
戻ったのはやはり自分の部屋。
迷宮での装備を身につけたまま戻ることはなく、取り込まれた時のままの姿。
最初の違和感は、やはりこれも元に戻っている眼鏡に対してだった。
コンタクトをした上に眼鏡をかけたような視界。つまり視力は迷宮でのままということ。
酔いそうになるので眼鏡をはずした時点で次の違和感。
取り込まれる際、最後に目にした部屋のデジタル電波時計が指し示す時間が『06:01:07』であったことを雅臣は記憶している。
それが『06:18:54』と表示されている。
迷宮へ取り込まれてから、17分程度しかたっていないことなどありえない。
雅臣の視界に表示されるカウントは正確な時刻表示でこそなかったが、おそらく1カウントを1秒とみて間違いないものだった。
そのカウントで、凜子と出逢ってからでも二時間以上はレベリングに費やしている。
凜子に会うまでとボス戦、その後『天空城』の表層部へ出たことをあわせれば、三時間近くは迷宮で経過していたはずだ。
――時間の流れすら違うのか!?
まずありえないがデジタル電波時計の故障の可能性も考え、PCや机に置いてある携帯電話、腕時計などで時間を検証しようとしたところまで。
そこまでが雅臣が冷静に思考できていた期間である。
振り向こうとしたら「や……」という控えめな、抑えたような悲鳴がしたのだ。
目が点になるという状況。
それがわが身に降りかかるとは思ってもいなかった雅臣だが、まさにその状況に見舞われた。
客観的に見れば点になるどころか見開かれていたのではあるが、それはまあ高校二年生の健全な男子であれば仕方あるまい。
二度目であろうが三度目であろうが、美少女の全裸(ある程度ガードされていたが)を至近で目にすれば誰だってそうなる。
要らんフル回転でまともに働いていない雅臣の脳は気付いていないが、凜子が声を抑えてくれたことにまずは感謝するべきだろう。
やましいことは何もしていない。不注意とはいえ不慮の事態。
だとしても大声で悲鳴をあげられでもしていれば、何かと面倒なことになったのは間違いない。
さすがに両親も起きてくるであろうし、息子の部屋に同世代の女の子が全裸でいて悲鳴を上げたとあっては、どれだけ我が子を信頼していようがそういう問題ではなくなる。
悲鳴さえなければ「よくやっった!」などと言いだしかねない両親ではあるのだが。
反射的に手近にあった自分のシャツを投げつけてしまってから、「洗ってあったよな?」とか「乱暴だったか?」と埒もないことを考えるほどには混乱していた。
部屋に洗濯前の服を放置することなどありえない自分の性格を有難いと感じたのは、さすがに人生初だったが。
そこからは、我ながらぶっ壊れたのかと思うほど早口で状況説明をしてしまった。
それほどに雅臣は動揺し、どうあれまた見てしまったことに対して後ろめたかったのだろう。
「すみません、事前に確認するべきでした。おそらくはパーティーを組んだままで帰還してしまったので、パーティーリーダーである僕の帰還場所にパーティーメンバーである磐坐さんも帰還してしまったのだと思われます。僕の確認ミスです。申し訳ありません。ですが磐坐さんがそんな姿で迷宮へ取り込まれたなどということは知るはずもなく、決して故意ではありません。きれいですね。ああいえ寝間着姿であってもあれですが、決してわざとでは。迷宮では僕も最初ああだったので、磐坐さんもああだったんだなと勝手に解釈していました。ホントすいません。あと乱暴に僕の服なんかを投げつけてしまってすいませんでした。とりあえず手元にはそれしかないので我慢してください。あ、洗ってあります、僕は部屋に洗濯前のものを置いておくのが嫌いで……」
ここで凜子が笑ったのだ。
それで雅臣はフリーズした。
――あ、このままじゃシャツ着れないな。
何とか行動につながる思考はそれだけだったので、「あ、失礼」などという間抜けな一言とともに、凜子に対して背を向けることになんとか成功した。
微かに聞こえる、凜子が自分のシャツを着ているであろう衣擦れの音の破壊力が地味に高いが、直接向き合っているよりはさすがにいくらかはマシ。
おかげである程度冷静さを取り戻すことができた。
振り返ったら「裸Yシャツ」だとか、「彼シャツ」だとか言われる格好を凜子がしている、というよりも自分がさせていることに再びフリーズするのであろうが、今はそこまで思考が回らない。
――あれ。とりあえずはいいとして、どうやって磐坐さんを家まで送り届ければいいんだ?
割と深刻な状況に思い至ったところで、雅臣は三つ目の違和感に気付く。
ここ数時間、それが当たり前になっていたことと、現実では表示項目が少なくなっていたから気付くのに遅れたのだ。
間抜けな話ではあるが。
――現実でも視界に、各種表示がある。
迷宮へ一度行く前と違って、帰還してからは視力も迷宮準拠になっていたのだ。
迷宮での状況そのままで、現実へ帰還していることも十分考えられる。
――服装だけを律儀に取り込まれたときに戻すのは何の嫌がらせか知らないけど……
いや違う、と雅臣は思い至る。
――逆だ。
現実へ帰還するときに向こうの装備のままであることはまあなんとでもなるが、現実での生活でその格好のままいられるはずもない。
何らかの理由で急に迷宮へ取り込まれた際、現実の格好のままでは拙い可能性がある。
即座に魔物と接敵した場合、エクストリーム着替えが可能とはいっても即応できない場合もあるだろう。
これはある意味、プレイヤーにやさしい仕様なのだ。
不幸な事故が重なっただけで。
――であれば、よほどの理由がない限りパーティーも維持しておいた方がいいか。
雅臣の迷宮転移と同時に凜子も転移させられるのであれば、パーティーは現実でも常時組んでいた方が安全と言えるだろう。
現実への帰還場所が雅臣の部屋になるということが「よほどの理由」であるかないかは、これからの凜子との関係構築に寄るところが大きいだろう。
――僕や磐坐さんを介して、迷宮が現実を侵食しているといえるのかな。
ともあれ『ステータス画面』が操作可能であれば、初期装備であった「ぬののふく」を凜子に装備してもらって、上着をなにか羽織ってもらえばなんとか家まで送れるかな? と思いつつ迷宮と同じように操作画面を呼び出そうとする雅臣。
――磐坐さんにコスプレみたいなことをさせるのは気が引けるけど……
裸Yシャツをさせておいていまさら何を。
だがそんなある意味平和な思考は、雅臣が呼び出す前に自動的に周囲に展開された各種立体映像画面で中断させられる。
「うわ!」
「どうしたの?!」
思わず声を上げた雅臣に、余った袖をぷらぷらさせて遊んでいた凜子がびっくりして反応する。
雅臣の方を見た凜子は、瞬間で雅臣が声を上げた理由を理解した。
雅臣の体の周りに、いくつもの警告画面が浮かんでいたからだ。
『敵対存在確認。攻性防御に入りますか? Yes/No』
という表示が雅臣の眼前に。
それ以外の複数の窓は、その『敵対存在』の映像や情報を詳しく見ればびっくりするくらい詳細に表示している。
「いったい何が……」
「ちょっとわからない。ごめん」
雅臣とて即座にわかるわけがない。
だが自分たちが危険に晒されているという認識から、雅臣のモードが切り替わる。
――ここは現実。表示画面をすべて信じるのは危険。だけど磐坐さんを危険に晒すわけにはいかない。
リスクがあることは理解しながらも、躊躇して自分はともかく凜子を危険な目にあわせることを最も避けるべきだと判断する。
異常事態では、何が一番優先すべきかを軸において行動するべき。
まあ主にゲームで得た雅臣の考え方だが、それに従うことに躊躇いはない。
なにが起こるのかはわからないが、『攻性防御』とやらの発動確認にYesを選ぼうとしたところで、ギリギリ『万能』が間に合った。
「社君ちょっとまってちょっとまって。気持ちはわかるけどストップ!」
忽然と雅臣の部屋に現れた『万能』――アルヴィン・ド・ヴォルカンが割と本気で焦った表情で雅臣を止める。
あまりのことにモードが切り替わった雅臣も素に戻らざるを得ない。
「ア、アル君?」
「ソウデース、海外留学生のアルクンデース」
雅臣がとりあえず『発動』を止めたことに安心したのか、流暢に話せるくせにいかにもな話し方をする『万能』――雅臣には『アル』と呼ばれる関係のようだ。
「何を馬鹿な……」
「ごめんごめん。……うわ、もう撃ってきた!」
雅臣にむけて撃たれた麻酔弾を、窓ガラスが割られる前に念動力で止めるアル。
できるだけ大きな騒ぎにしたくないのだ。
閑静な住宅街で早朝から窓ガラスが割れればそれなりの騒ぎにはなってしまう。
「後で説明するから、とりあえず跳んで……初手から裸Yシャツとはやるね社君」
慌てて『転移』しようとするアルが、あまりの急展開に呆然としている凜子を見て馬鹿なことを口にする。
「違う、これはそうじゃない! 遺憾の意を表明するぞアル君!」
「だって実際、裸Yシャツじゃないか」
そんな会話をしている場合かと思わなくもないが、アルにしてみれば雅臣の思考を「高校生らしいもの」に固定しておく方が実は重要なのかもしれない。
「というか見るなアル君。記憶からも消せ」
まんまとそれに嵌っている雅臣である。
何気なく独占欲めいたものを発揮しているが、その言葉を聞いて嬉しそうにする凜子の表情を見逃しているので意味はない。
「これは失礼。とりあえず学校に跳ぶね。今の時間ならまだ屋外系の部活しか始まってないだろうし。そこでちゃんと説明するから」
「何を言ってるのかはわからないが、この状況を何とかしてくれるのであれば了承しよう。あとこれは置いて行っていいのか?」
雅臣も馬鹿ではない。
一連の異常事態にアルがかかわってきたということは、この転校生はその目的で登美ヶ丘学園に転校し、自分に近づいてきていたのだというくらいは理解する。
そしてすべての中心は謎の置物――『トリスメギストスの几上迷宮』だ。
『敵性勢力』とやらも、何やらただものではないアルも、全ては雅臣のもとにこれが届いたからこそ関わってきているのだろう。
もっと正確に言えば、雅臣がステータス値を満たし、迷宮へ行って帰ってきたからだ。
わからないことだらけの現状では、わかっている相手から聞くのが手っ取り早い。
すべてを信じるわけにはいかないが。
「ああ、これをどうにかできるのは社君だけだから問題ないよ。ただ動かすだけでも、君以外には誰にもできない」
そしてアルはどうやらその適役のようでもある。
騒ぎになる前にどうにかしてくれるというのであれば渡りに船、乗るまでだ。
「……アル君って、超能力者なのか?」
「ご明察」
「すごいな……」
「社君に言われてもねえ……まあその辺の説明するよ」
苦笑いを浮かべたアルが『転移』を発動する。
雅臣と凜子、アルの三人は雅臣の教室である二年特進クラスへ転移する。
現実へ帰還したところで、一度崩れた日常はもう戻ってこないらしい。
今度は現実での非日常の幕が上がったのだ。
次話 教室にて
2/14投稿予定です。
読んでくださるとうれしいです。