第閑話 観察者
閑静な住宅街、それを見下ろす位置にある小高い丘。
山を切り開かれた高級住宅街のはずれにあり道なども整備されていないため、この場所へ足を踏み入れる住人は皆無であり自然のままに放置されている。
だが今そこに、一目ではわからないようにカモフラージュされた本格的なテントが設営されており、その中で複数の人間が動いている。
どう見てもゴールデンウィークの早朝に、ちょっと変わった場所でキャンプをしてみた一般人ではない。
間違いなく軍人。
しかもかなりの機材を持ち込んで、本格的な『監視』を行っている状況だ。
超望遠の監視カメラや遠距離操作可能な超小型ドローン、テント内には衛星からの映像を受信可能な装置や、なんに使うのかわからない巨大な装置も設置されている。
まるで敵性勢力の一大軍事拠点を見張る、専門部隊の様な物々しさである。
まるでではなくそれは事実なのだが、そんな部隊が一住宅地を監視している理由。
それは――
「監視統括本部。コチラ監視単位α。○六:一八:二七『有資格者』社 雅臣の現世帰還確認。消失時間は一七:二○。同行者在り。現在確認中――磐坐 凜子合致。『従者』の可能性大。送れ」
通信担当官が、各種監視機器担当から集まってきた情報を本部へ連絡している。
呼称が決まっているということは、雅臣や凜子にとって振ってわいたような異常事態に対して、ある程度以上の知識をすでに持っている証左といえる。
つまり彼らは、彼らの言うところの『有資格者』――雅臣を監視しているのである。
『監視単位α。コチラ監視統括本部。対象の『神化反応』の有無を問う。送れ』
「監視統括本部。反応在り。ただし我の計測器では正確な測定不能。送れ」
『監視単位α。即時確保の現場判断を問う。送れ』
謎の単語とともに、何やら物騒な通信が交わされている。
『現場判断』の声が聞こえると同時に、サバイバルゲーム? といいたくなる装備に身を包んだ数人が、どう見ても遠距離精密射撃に特化された銃をもって立ち上がる。
『確保』というからには実弾使用はないのであろうが、野生の獣を捕らえるがごとく問答無用で麻酔弾を撃ち込むつもりなのであろうか。
少なくとも立ち上がった数人は、『命令』さえくだされれば躊躇なく本来守るべき国民の一人である雅臣にその銃口を向けるだろう。
「やめておいた方がいいと思うよ。――あれはもう、人じゃない」
にわかに殺気立つ現場に、場違いに爽やかな声が通る。
少し癖のある長めの金髪に、深い蒼の瞳。
白いスーツに身を包んだ若い姿も、声以上にこの場にはそぐわない。
何よりもどこからどう見ても若い美形の欧米人であるのに、流暢な日本語を話すところが胡散臭い。
多分笑えば歯がキラリと光るタイプ。
いや実際にそういう風にすることも可能なのだが、『力』を使えば。
「貴様の考えなど聞いていない。邪魔をするな、黙ってろ」
恐らくはこの場の最高責任者であろう、それでもまだ年若い軍人が厳しい声で突き放した言葉を放つ。
一般人であれば思わず首をすくめてしまいそうな空気を醸し出しているが、『金髪の青年』はどこ吹く風である。
当然だ。
百回戦って間違いなく百回とも勝てる相手に気を吞まれることなどありはしない。
「考えというか、忠告ですよ。一度あなた方の国も痛い目を見ているでしょう?」
「……」
「我々もです。ですから慎重になるべきだと忠告を差し上げているのです」
自分の放った殺気など歯牙にもかけず、しれっと答えられたことには特に何も思うことは無いようだ。
だが言われた言葉に対して、むっつりと黙り込む。
「それに親切で言っているのですよ? 彼は間違いなくあなた方の国の民ですから合衆国は今のところ助言者としての立場を厳守しています。ただしあなた方が彼と決別した場合、我々合衆国は何の遠慮もなく彼との直接交渉に入ります」
どうやら『金髪の青年』は合衆国に属する人物らしい。
容貌からすればなるほどというところだが、それにしても年が若すぎるとは思われる。
見た目通りの年齢である保証などどこにもないのだが。
「それは現場がとやかく言うことではない」
「だからその口実を、あなた方現場が作ってしまうことの無いように忠告しているのですよ。それに我々も避けたいのです。あなた方のせいで、日本だけならまだしも人類全体を敵だと認識されてしまう状況はね。そうなったらただでは済まないのはもうご存知でしょう?」
軍人として当然の答えに、『金髪の青年』はまるで日本人のようにため息をついて、本当に避けなければならないことを指摘する。
日本の権利は尊重するが、その暴走が合衆国に――世界に害を及ぼすと判断した場合、一国の権利を無視してでも介入するということを言外に匂わせている。
またその台詞はこの優男にしか見えない『金髪の青年』が、軍の一部隊の行動に対して介入可能な『力』を持っていることもうかがわせている。
「貴様――最強の『E』でもどうにもならないのか?」
その証拠に殴り合いをすれば一撃で勝てそうな指揮官が、侮るでもなく驚いたような質問を投げかける。
自分たちの部隊をどうこうすることではなく、監視対象に対してそこまで『金髪の青年』が警戒していることに驚いているようだ。
「僕は『最強』じゃありません。『万能』です。ですが我が合衆国が誇る『最強』でも、もうすでに彼には勝てないでしょうね。今ならまだ負けはしないでしょうが、それも時間の問題です。もしも彼が本気で暴れだしたら、止める手段はありませんよ?」
『E』という単語をスルーして、自分は『最強』ではなく『万能』だと訂正する。
そしてどちらにせよ、観察対象――雅臣をどうこうする『力』はないことも明言する。
「……まだ一度目の帰還なのにか?」
その言葉が意外だったのか、指揮官は少々素が出ているようだ。
指揮官として当然『有資格者』の情報は最低限与えられてはいるが、彼の知る合衆国が誇る『E』の一人が、自ら「手も足も出ないよ」と言うとは思っていなかったのだ。
この指揮官は日米の極秘演習などを通じて知っている。
『E』――『超能力者』たちのとんでもない戦闘能力を。
銃弾や爆弾、ミサイルでさえも苦も無くあしらう彼らを仕留めるには、核を使用するしかないといわれている。
それすらも『転移』を使いこなす『E』であれば通用しない。
彼らを組織に従わせられているのは犯罪にその力を使うことなどバカバカしくなるくらいの膨大な報酬と、どこまで行っても彼ら『E』も人類社会で生きていくしかないために、利害関係が成立しているからだと聞いている。
もしも世界に数十人しか存在しない『E』と人類社会が全面的にぶつかった場合、滅びはしないまでも相当な被害を世界は被るだろうと判断されているらしい。
そんな『E』のなかでも『万能』として有名な『金髪の青年』――アルヴィン・ド・ヴォルカンが、あっさりと白旗を上げるとなれば驚きもする。
彼は笑いながらイージス艦数隻を戦闘不能状態にしてみせたこともあるのだ。
その上『破壊力』だけであれば、現世に存在するあらゆるものを壊せると言われている『最強』でも負けはしないまでも、勝てないという。
「そうですね。僕も――おっとこのキャラは社君と被るからやめたんでした。……俺はそう思うぜ、自衛隊のお兄さん。あいつは『有資格者』っていうよりも『適格者』って言った方が正しいんじゃないかな? 正直ここまでとは思ってなかったけど、今はもう、絶対にあいつと喧嘩はしたくない」
話し方は変わっても、どう見ても欧米人の見た目で流暢な日本語を話すことが似合わない。
それに言い方からして、すでに雅臣と何らかの接点があるようでもある。
「我々は上の指示に従うまでだ」
再び、軍人としては至極まっとうな意見を述べる、年若い指揮官。
どうやらその『上』から『確保』の指示が出たらしく、あわただしく軍人たちが動き出す。
この部隊のだれもが、これだけの距離からのスナイプでの無力化、その後の身柄確保という流れが失敗することなど露ほども考えていない。
実際それだけの訓練と場数を踏んできている部隊でもある。
しかも相手は特殊な状況に置かれているとはいえ、所詮は高校生なのだ。
なぜか一緒に現れた同級生の裸に大慌てしている様子を見てしまえば、どれだけ危険度を説かれようが頭から信じることはできない。
だが観察していた者たちは、なぜか一緒に現れた同級生――磐坐 凜子が全裸であったにもかかわらず、それを見たものが誰もいないという矛盾に思い至れていない。
全裸だとは認識した。
それに狼狽している観察対象に対して、失笑しさえしたのだ。
だが誰も凜子の裸体を見れてはいない。
望遠映像記録にも残されていない。
誰も、勝手に見ることを許可されていないのだ。
たったそれだけのことで、この世界に属する人を含んだすべてのものは『磐坐凜子の全裸』を見ることは能わなくなる。
下位世界は、上位世界のルールを覆すことはできない。
それをこの場で理解しているのはたった一人。
もう一人はおぼろげにそうと理解している程度だ。
「やれやれ。そういう愚直さは嫌いじゃないけど、国が愚かな方向へ行くのを止めることができるのも現場の判断だと俺は思うよ。……まあ結果が出てから英断だったか暴走だったか決められるんだから、従っとく方が楽だろうけどね」
「やかましい」
そういいつつもどこか苦々しそうな表情をしているということは、『上』の決定に思うところがないわけではないのだろう。
それでも従うのが軍人の在り方だといわれれば、それはまあその通りだというしかない。
勝手に現場が動き出したのでは、それはもう「軍」ではないだろうから。
「はいはい。ただし忠告はしたからね。これは俺個人の忠告ではなく、合衆国全権代理である『万能』としてのもの。そこんとこよろしく」
指揮官の表情を見て同情するところもあったのだろう、『万能』の言葉が少し柔らかいものとなる。
「俺は俺の責務を果たす。――貴様もそうすればいい」
軍人としての勘が、『上』の判断を危険だと告げているものか。
『万能』との短い会話の中で、『有資格者』――いや『適格者』の恐ろしさと重要さを理解したものか。
指揮官が言っていることは――
「承知いたしましたよ、愚直な軍人サマ。頭の悪い『上』に従って自分たちは動かざるを得ないから、俺がどうにかしろってことね」
「やかましい。そんなことは一言も言ってない」
「はいはい。だけど上の人に言っておいてくれないかな」
その態度に屈託のない笑顔を浮かべながら、『万能』が言う。
「俺たちはこの世界で生きていくしかないけど、彼らは違うんだってことをもうちょっとしっかり認識した方がいい。前は運がよかっただけだよ」
そこまで言って、急に真面目な表情を指揮官へと向ける。
『適格者』――雅臣が現世では日本で生活することが大前提である以上、現場の指揮官を味方につけておくことは必要だと判断したのであろう。
お堅いだけかと思っていたこの若い指揮官は、意外と話の通りがいい。
どうせやらねばならない仕事なのであれば、やりやすい相手とするにこしたことはないのだ。
だから本来は禁じられている情報も伝えることにする。
「それに俺たちを箱舟にのせてくれるのは、彼かもしれないってことをね」
「――わかった」
「――あら? 素直」
わかるはずがない、と『万能』は知っている。
現場指揮官レベルに、そこまでの情報が与えられているとは思えないからだ。
だがこの若い指揮官は、『万能』が伝えようとした『重要さ』に対して『わかった』と答えたのだろう。
『万能』は極東での重要な仕事のバックアップを彼にすることに決めた。
『万能』の立場であれば、その程度のゴリ押しを日本政府に対してすることは可能だ。
これから起こる騒ぎの責任を押し付けられる程度で退場してもらうのはもったいない。
「はやく行け!」
なので『万能』はその言葉に従うことにした。
表情とは裏腹に薄氷を踏む思いではあるものの、『適格者』を世界の敵に回さないように立ち回らなければならない。
我知らず生唾を飲み込み、『転移』を発動。
――世界の命運を背負うのは主人公の仕事だよね。社君がそれをさっさと背負ってくれるように頑張りましょうか。主人公じゃなくて魔王になられたら世界が終わっちゃうしね。
そんなことを思いながら。
コマ落としのように己の視界から消える『万能』を見て、若い指揮官はため息をつく。
「……ただの軍人を、世界を左右する案件に巻き込むんじゃねえよ」
『万能』――アルヴィン・ド・ヴォルカンの考えと割と似通ったことを考えている指揮官――荻野 洋征三佐である。
思わず素の言葉で毒づいて、やるべきことに取り掛かる。
普通であれば失敗することなどありえないこれからの行動は、『万能』のせいで失敗するようにしてくれるだろう。
そのあとはどんなとんでもない力を得たのか知らないが、あの初々しい二人ができるだけ普通の生活に戻れればよいと祈った。
誰に祈っていいのやらと思いながらではあるが。
その大人が子供に向ける、ごくまっとうな願いが叶えられることはなかったが。
次話 現実浸食
2/13投稿予定です。
次話から第二章となります。
迷宮(異世界)では慎重にコツコツとレベリング&アイテム集め。
現実ではちょっとずれた無双。
そんな物語がやっと始まります。
読んでいただければ嬉しいです。