手紙
東京湾・高視力発電所立てこもり事件の後、カザマはラーメン屋でセンドウから渡された住所に行ってみた。そこにはボロボロのプレハブの小屋があった。ドアをこじ開け薄暗い建物の中に入った。部屋の中は整頓されており、ベッドと木製のボロボロの机しか置いてなかった。机の上には封筒と病院の診察記録が置いてあった。カザマは診察記録を読んだ。センドウは末期ガンだったのだ。余命は3ヶ月と書かれてあった。診察日はラーメン屋で会った一週間前だった。机の上にはカザマは封筒を開いた。その中には、手書きの手紙が何枚か入っていた。その内容はこうである。
「カザマ君、君がこの手紙を読んでいるということは、私は君に大変な迷惑をかけたことだろうと思う。私が何故このような事をしなくてはならなかったのか、そうせざるを得なかった理由を古い友人である君には知っておいてもらいたい。君が私の考えに、賛成であっても、反対であっても、どちらでも構わないと思っている。私はただ知ってもらいたいという身勝手な理由で、この手紙を書いています。
私たちのいた塹壕部隊が、アフガニスタンで解散してから、私はしばらくの間気分を変えようと思い、旅をしました。ヨーロッパを巡ってイギリスの大英博物館に行くことにしました。すばらしい目を引くような美術品が数々ありました。そして、ある一角に通路がありました。その通路にはエジプトから運ばれてきた大人の身長ほどの高さがある四角い石柱が等間隔に何本も立ててありました。ガイドの説明ではその石柱はオベリスクというそうです。古代エジプトには、富と繁栄を約束する神がいるそうで、オベリスクはその神に生贄として捧げられた子供一人一人の記念碑として建てられたのです。
古代マヤやバビロニアにも豊作を約束する神に子供を生贄として捧げる習慣があったそうです。そのことを知った時には、子供を捧げ物にするなんて、なんと野蛮なひどいことを昔の人々はやっていたものだと思ったものです。
私はその次に、ポーランドのアウシュビッツ収容所を見に行くことにしました。アウシュビッツ収容所は、ナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺していた所として有名です。今は一部が博物館となっています。その博物館にはドイツ人がユダヤ人を材料として作った物がいくつもありました。人の脂肪で作った石鹸、人の髪の毛を編み上げて作った布の服、人の皮をなめして作ったランプカバー等、人を物としか見ない行いの極みという気がしました。日本でよく耳にする『人材』という言葉を聞く度に、日本人は人間を物としてあつかっているのかと、恐ろしくなります。
アウシュビッツの最も外側のフェンスには、数メートルおきに外側に向けてスピーカーが設置してありました。外側にスピーカーが向いていたのは、収容所の近くの住民に、殺されていく収容者たちの断末魔を聞かせないためでした。いくら広いアウシュビッツ収容所と言えども、毎日満員の汽車がユダヤ人を運んでくるのに出て行く人間が一人もいなければ、中で人が殺されているというのは気がつくことです。アウシュビッツの周辺住民は見て見ぬふりをしていたのです。愛の反対は無関心であるとはよく言ったものです。
その後も私は世界各地を見てまわり、日本に戻ってきました。私が家に戻ると、父が病院で最期を迎えようとしていると知らせがありました。私はすぐに父のいる病院に行きました。父は前々から自分の家で死にたいと話していました。父は二月に一度危篤になり、自宅で死ぬ寸前だったそうです。父は老衰で、自然に最期を迎えるはずでした。父が死にそうになると、私の兄は『今死なれては困る。四月まで生きてもらわないと』と言って父を布団ごと病院に移しました。
病室で見た父は、まるで枯れ木のようでした。頬は削げ落ち、口を閉めているだけの力も無く、水を飲むこともできませんでした。水を口にすることができないので、舌は乾燥してひび割れて血が出ていました。水を飲めない人間が、何ヶ月もその渇きを満たせないまま生かされるというのは、なんと残酷なことでしょう。本来死ぬはずだった人間を、無用な苦しみとともに生かし続ける理由は何でしょう。父は遺産相続の問題を回避するために、要はお金のために生かされ続け、苦しみ続けたのです。父は兄の思惑どうり、四月まで生き続け五月の初めごろ亡くなりました。私は兄のいる家に耐え切れず、兄に対する反発だったのでしょうか、原発事故のあった福島にボランティアに行くことにしました。
原発事故から数年経った今でも、放射能で苦しんでいる人々がいるのを私は見ました。ですが、東京で再びオリンピックが開かれることになると、福島は過去のものになったかのようです。オリンピックは目くらましです。オリンピックをすると儲かるから、邪魔になる原発と放射能の問題を議論することさえ許さないという風に見えます。ヒトラーの側近が言った言葉が思い出されます。『相手に嘘を信じさせるためには、相手の望む嘘を言ってやればいい』。
お金は人間が作り出したものにかかわらず、偶像として人間を支配するようになりました。お金には人間の良心をへし曲げるほどの魔力があるのです。私の兄も普段はとても良い人なのです。その同じ人が、お金のために父の苦しみを正当なものとしたのです。
高子力エネルギー発電は、子供の命をエネルギーとして発電するものです。間違いなく繁栄を約束するものでしょう。ですが、人の犠牲の上に自分たちの快適で豊かな生活を築くのは、バビロニア人が神に子供を捧げていたのと何の違いがあるでしょうか。
私は今の日本にアウシュビッツの周辺住民と同じ無関心と古代バビロニア、古代エジプト人と同じ偶像崇拝を見ます。無学な私には、お金を破壊するためには燃やすこと、そして、無関心には同じ状況に人々を置くことしか思いつきませんでした。弱い立場の人間の命によって支えられている社会に何の存在意義があるでしょうか。人類が存在してから今まで、滅びなかった国は一つもありません。今私たちの国が滅んではならない理由がどこにあるのでしょうか。
『体を殺しても、その後何もできない者達を恐れてはならない』。この続きはこうなっています、『殺した後で、更に地獄に投げ込む権威を持っているかたを恐れよ』。日本銀行に立てこもった時に壁にこの言葉を書くことが出来なかったのが、私の限界だったのでしょう。私も他の人たちと同じように愚かな人間主義者に過ぎなかったのです。
どうかこの手紙が君の手に届くように。そして第二、第三の私のような者が現れませんように。お元気で。」
センドウの手紙を胸のポケットにしまったまま、カザマは東京に車を走らせた。高速道路から東京湾を見ると、相変わらずバベルの塔がライトアップされてそそり立っていた。
(終)




