捜査
その後、カザマはセンドウの事を思い出すこともないまま数年が過ぎた。年々カザマの酒の量は増えていった。その年の冬は、寒かった。長年続いている不況から、日本は抜け出せていなかった。五年間で家を持たない人は二倍になり、外国人労働者によって日本人の失業率は増加するばかりであった。街には段ボールで生活する人があふれていた。毎年の自殺者は四万人を越えていた。裸足でうずくまる少女のそばをスーツを着た大人が携帯で話をしながら通り過ぎていく。彼女の涙に目をとめる者はいない。だれもいない。駅前の通りは昼であるにも拘わらず、シャッターが閉まっている。開いているのはサラ金の無人受付期だけである。少女達は僅かな金を稼ぐために身体を売っていた。大人達は一時の快楽を得るために、家族を養っていくために必要な金さえ使っていた。
街の教会の窓ガラスは割れていた。神父が道に出て、人々に聖書の言葉を投げかけているが、耳を貸す者は誰もいない。冷めた目で人々は神父の横を通り過ぎていく。
日本で二度目の原発事故が発生し、政府は新エネルギー計画を開始した。それから、まもなくこの新エネルギー計画の成果として高子力発電システムが完成した。この発電システムは全く廃棄物を出さず、安全であるというのが売りだった。開発元のゼネラルエネルギー社の説明では、原子力のように放射能の危険が無く、原子力エネルギーと同等の発電能力が見込めると言うことだった。発電所は東京湾に巨大メガフロートとして作られた。ゴミの廃棄場が夢の島と呼ばれる一方、この発電所島は希望の島と呼ばれた。この発電所島の中心には巨大な塔がそびえ立っており、日本の再興の象徴として捉えられていた。なかには東京湾に浮かぶこの巨大メガフロートとそこにそびえる塔を皮肉を込めてバビロンと呼ぶ人もいた。日本はこの発電技術を輸出し、日本経済は高度成長期を凌ぐ成長を見せた。各地でビルは建て替えられ、新築の住宅が増えていった。段ボールの住人の姿は次第に少なくなっていった。うずくまっていた少女はいつの間にか居なくなっていた。彼らが何処に行ったのか、考える者は誰もいなかった。
外国人移住者の増加や国際事情の変化に伴い増加するテロに対抗するために、政府は対テロ特殊課を設立した。対テロ特殊課に元塹壕部隊のカザマの姿があった。
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カザマはアフガンから帰ってきた後、度々悪夢にうなされるようになった。
銃声が聞こえる。森の中を銃声から逃げるように、走っていく。叫び声が聞こえる。助けて、助けて、死にたくない。置いていかないで。そして、助けを求める声は次第に、小さく少なくなっていく。森の中を泥だらけになりながら、それでも走っていく。暗闇のなかで、ごめんなさい。ごめんなさい。と何度も繰り返す。そして、別の声がささやきかける。ひそひそ声だが、はっきりと、
「自分だけ生き延びて、恥ずかしくないのか・・・。」
その声に答えようとしたときに、夢から覚める。
この夢を見た後の目覚めは、寝ていたのにも拘わらず、決まって涙を流している。隣で寝ていたシーズ犬が俺の涙を舐めている。シーズー犬は、けもくじゃらで目が何処に付いているのか、毛を掻き分けてみないとわからない。主人が目覚めると、犬は朝ご飯をせがみ、起き上ってベットから降りる。窓から朝日が見える。高層ビルが並んでいるお陰で薄暗い。
「スペランサ・・・。今日も不細工だな。」
犬を抱きかかえるカザマの身体は既に全盛期の若々しい力強さはないものの、そびえ立つ古城の様な雰囲気がある。身体のあらゆる所に古傷が見える。窓から差し込む光が家の中のホコリを照らしている。彼の木造の家には窓はひとつしかなく、そこからは高層ビルの建ち並ぶ様子しか見えない。高層ビルの隙間から、発電所島が見える。ブラウン管のテレビをつけると、お天気姉さんが天気の解説をしている。もうすぐ、寒い季節になる。身支度を整え、シーズ犬のほかは誰もいない部屋を後にする。置いて行かれた犬の鳴き声が聞こえる。
女の子がベイブリッジの上で銃を持ち車の中に籠城したということでカザマたちに出動命令が下った。
「俺たちは所轄の手伝いじゃないのに。上はそのことわかってんでしょうね。それにしても子供が銃を持って籠城なんて世も末だね。」
カザマの同僚の原尻が冗談半分につぶやく。
「なんでも今回は、お手伝いじゃないみたいだぜ。自主的出動だってさ。」
「自主的っていうなら、所長が一人で来ればいいのによ。娘っ子一人のために大げさなんじゃないの。」
目的地の浜辺に向かって、高速道を飛ばす。
案の定、現場のベイブリッジは人だかりができていた。携帯電話で写真を撮る者、野次を飛ばす者、警官隊がバリケードを張っていた。海の渦潮を引き裂くように風が吹き付けている。
女の子は大体12歳ぐらいだろうか、体は子供のあどけなさがあった。病院の患者のような服装をしている。だがカザマの印象に残ったのはその表情だった。12歳ぐらいであれば顔は幼さと希望に満ちているはずだった。だがその子供の顔には、まるで何十年も苦しみぬいた老女のような苦悶の影があった。カザマは防弾チョッキを着て、車の中に立てこもっている女の子の下に歩いて行った。ベイブリッジは封鎖されており、女の子が立てこもっている車から両端の50メートルはバリケードにより何もなかった。車の中には女の子が撃ち殺したのであろうか、やくざ風の男の死体が頭を撃ち抜かれていた。カザマはゆっくりと女の子の車に歩いていく。
車までの距離が残り数歩になったところで、女の子が発砲してきた。弾丸はカザマの横を通り過ぎていく。一発撃った後は引き金を引いてもカチカチと弾の尽きた音がした。カザマは車のドアを開けた。女の子は反対側のドアから転がりながら飛び出て、橋の一番端っこの鉄骨に立った。鉄骨の下には東京湾が広がっていた。風が強く吹いていた。カザマは自分が丸腰であることを示し、女の子にこっちに来るように右手の手のひらを上に向け、手招きをした。カザマの見ている目の前で、飛び降りて自殺してしまった。
日よけのカーテンが締め切られた会議室に、ボールペンを出し入れするカチカチという音が響いている。
「ここ数ヶ月、連続して子供の失踪事件が起こっているのは知っているな。今週に入ってもう五件目だ。」
「平成の神隠し。聞かない日は無いですけどね。俺たちに娘っ子を拾ってこさせるには、大げさな理由だったと思いますが。」
「理由は、失踪している子供の両親に元政治家、事務次官を含め上級国家公務員が二名いたことだ。テロの可能性がある以上、われわれの管轄の仕事かどうか調査するのも我々の仕事だ。」
カザマは、俯いたまま話を聞いている。原尻が左手を軽く上げながら、質問をした。
「で、今朝の子の身元は、われたんですか」
「藤田のどか、十四歳。両親はいるが離婚して孤児院にあずけられた。捨て子だ。原尻、質問をしたついでだ。カザマに同行して少女の居た孤児院に行って、何か聞いて来い。」
原尻の点数稼ぎをからかうかのように、笑いの混じった歓声が起こった。
「ほかの者は以上だ・・・解散。」
所長からの指示が下ると会議室からぞろぞろと人の姿がなくなっていった。薄暗くガランとした会議室の中にカザマと所長だけが残った。所長は一度ため息をついた後、カザマに聞いた。
「どう思うか。」
「両親が生きているのに捨てられて同情したくなりますが、なぜあんなことをしたのかは別として、不幸な子供に見えます。人の幸せが環境で決まるわけじゃないですが。」
「同情など、自分が安全な場所にいる者のおごりだ。他人の災難を遠くで見ながら自分の安全を確かめる。人の不幸を見て、自分の幸せを感じる。それも不幸だな。一般的に人は幸せになるために、富と名声と快楽を求めるそうだ。」
「そんなもの手に入れたところで、今度は失う恐怖が始まるだけです。富と名声と快楽の類の偶像は、所詮人間の創り出した偽りの神に過ぎません。偶像とも言いますがね。人を幸せにするように見えても、実際は煙を追いかけるようなものです。」
「偶像は人間が作り出したものだ。問題は偶像を作った人間が偶像に支配されるところにある。金・地位・名誉、なんでも偶像になりえる。目に見えない神より、目に見えるものに人間は引き付けられるからな。」
カザマはため息をつくと無言のまま会議室のドアまで歩いていった。ドアノブに手を掛け、出て行った。
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テロ特科の地下駐車場から黒いスポーツカーが出発した。原尻が運転しながらカザマに話しかける。
「何の話だった」
「・・・・・・」
カザマはすぐには答えようしなかった。顎を指で軽くたたきながら上を見上げたままだった。沈黙に耐えかねた原尻がもう一度口を開こうとすると、それを遮るように答えた。
「偶像は、人間を騙すそうだ。」
「・・・でも、偶像は動けないから騙せないだろ。偶像を作った人間が自分で自分を騙してるんじゃないの。」
「ちょっとでも安心させてくれるものなら、何だっていいのさ。人間がすがりつくという点では、神も偶像も同じ。」
カザマは、高速を走る車の中から夕日を眺めていた。夕日の中心に発電所島が黒く浮かんでいた。
高速をおりて、街中を進んでいく。ふと人ごみの中に目をやる。長い金髪をなびがせながら歩く女性に目が留まった。通りすがる男たちの目線を釘付けにしている。女に見とれている男の中には連れている女性から冷たい目で見られている者もいた。
「金髪娘が好みか?」
「いや俺は黒い長髪の小麦色の肌をした女が好きでね。」
カザマが思い出したように話し出した。
「そういえば、俺が親父とこうして車に乗っていた時の話なんだけどな。
親父が急に話し出しだしてな。いつものように、説教をするのかと思ったらそうじゃなかった。女の話だった。それがな、美人は、いくらでも見つかる。見た目ですぐに気がつく。でも、賢い女はなかなか見つからない。見つけるのが難しい。聖書なんかでも、賢い妻を手に入れたら、宝を手に入れたのと同じ、とか書いてある。美人は見たらわかる。賢い女は千人に一人、もっと少ないかもな。両方そろった女は、伝説だってよ。」
原尻は、バス停のベンチに腰掛けている老婆をみて、
「年をとって賢くなるころには、しわくちゃになってるか。」
「年をとればすべての人間が賢くなるわけでもない。逆に愚かになる奴もいるさ。」
原尻は、横目でカザマに答えた。
「それで、母親のことは何ていってた。」
「それは、聞く勇気が無くてな・・・。」
「・・・。」
ちょうど信号が青に変わった。
「そういえば、お前は妻子持ちだったな。どうなんだお前のは。」
「伝説だと思っていたものは、手に入れたとたんに伝説じゃなくなるのさ。」
「向こうも、同じこと思ってたりしてな。」
原尻はため息をついた後は、会話は無かった。
「そういえば、あんた、塹壕の生き残りだったらしいな。」
カザマは外を眺めて、
「俺は、生き延びたんじゃねぇ。だた、逃げ出しただけだ。普通、脱走兵はその場で銃殺なんだが、すぐに空爆が始まって、それどころじゃなくなった。空爆で塹壕は壊滅、もう存在しない部隊から逃げた俺には、お咎めなしってことになった。ただそれだけの話だ。」
二人は少女が保護されていたという孤児院に着いた。
駐車場につくと、出迎えの職員のらしき人が待っていた。いかにも孤児院の職員という感じのおっとりした白髪の女性だった。カザマと原尻は応接間に案内された。ふっくらとした黒い皮のソファーに深々と腰掛ける。しばしの沈黙があった。出されたお茶とせんべいを口にする。一人の小柄な男の子がじっとカザマたちを見ている。カザマがその子に目をやると、にこっと笑った。目をそらすと、無表情になった。また目をやるとにこっと笑う。そんなことが二、三回あった。カザマがせんべいをあげると男の子は逃げるようにいなくなった。パタパタという足音が、廊下に響いた。応接間の蛍光灯の周りを一匹のハエが円を描きながら飛んでいる。
そのあと、すぐ園長室に案内された。
園長室には、蛍光灯が二本しかなく、一本は不規則についたり消えたりしていた。窓ガラスは割れていて、紙のガムテープで修理してあった。鉄製の少しさびの見えるデスクに園長らしき老女は座っていた。手にはロザリオを持ち、デスクの上には十字架が飾ってあった。
「先ほども新聞記者の方が来られました。何度来られても、同じことしかお答えできませんよ。」
カザマは自分たちより早く新聞記者が来ていることにいら立ちを覚えた。その優秀な新聞記者の名前を知りたくなりテーブルの隅においてある名刺に目をやった。名刺には『報道新聞・記者、石路 真』と書いてあった。石路という記者は政府のスキャンダルを専門に扱う記者ということで、テロ特課のメンバーの中では有名だった。
老女は下を向いたまま目を上に上げようとしない。カザマは、入り口付近に持たれかけていた。原尻は軽く会釈をして、
「警察の者です。実は、うちで保護している女の子とのことでお聞きしたいことが二、三ありまして。」
老女の目が力無く原尻を見上げる。
「あなた方ですか。あの子を保護されたのは」
老女は湯飲みを手にして、ぼそぼそと話し出した。
「あなた、お子さんはおられますか。」
「男の子二人と女の子が一人ですけど・・・。」
老女は、お茶を口にして話を続ける。
「ここにいる子供たちを、ご覧になられましたか。」
「ええ、まぁ一応。両親のいない子供達を見るのは、ちょっと悲しくなりますけど・・・。」
「あの子達の殆どは両親はまだ生きているんです。両親が両方死んだのは一人もいません。中には愛しているから、という理由で子供を置いていく人までいるんですよ。愛しているのは自分だけなのにね。どうして、人間は子供を犠牲にしてまで自分の幸せを守りたいんでしょうね。」
カザマは窓から外を眺めていた。遊んでいる子供たちがいた。グラウンドに親が入ってきて、手をつないで帰っていった。一人また一人と親に連れられて帰っていった。グランドには一人きりでボールで遊んでいる男の子が残った。あのせんべいの男の子だった。男の子は孤児院の職員に連れられていった。夕日に照らされたマリア像はホコリだらけで、ひび割れていた。マリア像には蜘蛛の巣が掛かってあり、蝶が引っかかってもがいていた。
カザマは蜘蛛の巣を眺めながら、独り言のように言い出した。
「母性神話は、母親の愛は、絶対であるということだが、所詮神話は人間の望みが現れたものに過ぎない。母親の愛だけではないが、人間の愛は、人間同様に有限なのさ。愛そうとするが、できない。最後にはみんな自分が可愛い。愛そうとする意志だけはあるかも知れない。神様は人間に愛なんて厄介なものを与えてくれたものだ。昆虫の中には、自分の子供が生まれると子供に食べられるものがいるそうだ。昆虫が愛によって子供に食べられるかどうかは別として、昆虫の方が人間より慈愛に満ちているように見える・・・か。」
原尻は深く息を吸った後で、老女に質問した。
「孤児院から子供がいなくなる事はよくある事なんですか。」
「残念ながら、よくあります。その後行方不明になることは珍しいことでもありません。多くの子供達はここの環境に馴染めなくて、逃げ出すこともあります。」
老女は、鼻筋を触りながら答えた。
「ここ数年で施設に連れてこられる子供たちの数は三倍になりました。今はどの施設も手一杯で、補助金の申請をしても追いつかない有様で。」
「・・・・・・。失礼な話ですけど、子供の失踪は此処みたいな施設では、めずらしいことですか。」
「そういうわけではないですね。子供の失踪は、いえ子供だけじゃない。人の失踪の数そのものが増加の一途をたどっているんです。とくに原発事故の後が激しいですね。子供たちが集まって暮らしている集落なんて話は聞いたこともないし、どこにいるんでしょうね。」
「そろそろ本題に入りたいんですけど、藤田のどかについて何か、知っていることがあれば、教えていただきたいんですが。」
老女はタバコに火をつけて、深く息を吸ってから答えた。
「親の幸せのために、捧げられた哀れな少女といったところかしらね。子供を育てきれなくなった親が、養子に子供を出すのは珍しいことでもなんでもない。お金の絡んだ養子縁組なんていうのもよくある。しかし、ここ数年は法改正もあって、企業が子供を養子として受け取るケースが出てきた。両親は家計が助かって、企業はイメージアップにつながる。子供は、親から引き離される。割を食うのはいつも子供。そんな子供が嫌気がさして、海に身投げした。そんなところじゃないかしら。まどかっていう女の子は両親からゼネラルに売られた。そういう子よ。」
「そんなの人身売買じゃないか。」
「両親の合意があれば違法ではない。両親がはいと言えば、どうすることもできないのよ。」
老女は、その他にも話をしたが、結局少女のことは心を閉ざして誰ともコミュニケーションをとらなかったため詳しいことは何も分からないということだった。
カザマは遠くからそれを見ながら、原尻にもう引き上げることを告げた。帰り際にカザマは老女に質問をした。
「あんた、神を信じているのか。」
「ええ。」
「神は全能なんだな。」
「そうです。」
「じゃ、神がいるなら、全能ならば、なぜ子供達が捨てられるのを止めなかったのか。」
「神は人間に自由を与えられた。罪を犯す自由もね。」
「じゃ、神様は子供達が売られるのを、全能の力を持って黙って見ていたっていうのか。そんな神様は全能じゃないね。臆病者のビビり野郎じゃないか。」
「神は人間を愛するがゆえに自由を与えた。人間はロボットじゃないとしか言いようがないわね。いつも良心に従って選択をするとは限らない。」
「誰をも愛するから、誰の肩入れもしない。空気や水と同じか・・・。」
カザマは、軽く頭を下げて出て行った。
帰りにせんべいの子供を見かけたので、カザマはポケットの中に残っていたチョコレートをあげた。せんべいの男の子はじっとカザマを見ている。カザマが腰を落として板チョコをちらつかせる。職員がチラチラとこちらを気にしている。
「のどかって言う女の子こと何か知らないかな。」
男の子は板チョコを見て、頭をかきながら答えた。
「板チョコだけじゃやだ」
板チョコとガムを男の子の両手にそっと乗せた。
「背広を着たおじちゃんたちが、高そうな車でやって来てね。園長先生と話をした後で連れて行ったんだ。ぜねらる何とかって云う人たちだって。」
「ありがとな坊主。」
帰りの車の中でカザマは月を眺めていた。月には雲が掛かっていた。
高速から東京湾を見ると、発電所島が光り輝いていた。カザマはその風景を見ると鼻で笑った。
「もしかして、あの子供の話を信じてんの」
「子供がうそつく理由も無いだろ。それにあの園長のばあさんの話とつじつま合ってたろ。」
原尻はそれを聞きいて、笑いながら答えた。原尻は自分が老女から受けた印象を信じていた。
「カザマさん、あんたただ宗教家が嫌いなだけじゃないの」
「そんなんじゃねぇよ。初対面の人間を信用しないってのは職業病みたいなもんさ。聖職者だから正直者、聖職者だから優しい。親切だ。そんなのは銀行にお金がある。それと同じぐらい怪しいもんさ。他人からいい人と思われるのと、実際にいい人間であることは別の事さ。」
「俺には、なにが良いで何が悪いかその規準を分かる方が難しいね。」
交差点を二つ超えた所で信号に引っかかった。工事中のビルに鉄パイプの足台で包まれている。街角にネオンが輝いていた。
「次はどうする。」
「あの坊主の話を信じれば、ゼネラル・エナジー社を突っついてみるしかねぇな。」
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まだ日の上がらないころ、住宅地にカザマの姿があった。例の新聞記者・石路 真が自宅で自殺しているのが見つかり、たまたま近くにいたカザマに出動命令が下った。ビニール製の袋にいれられていた遺体は、すぐに起き上がってきそうで、まだ生きているようだった。
部屋の隅には練炭が置いてあり、一酸化炭素中毒の自殺に思われた。ご丁寧に机の上に遺書が置いてあった。遺書は手書きで文字が震えていた。
小さな娘を連れた若い夫人がいた。確認をしにきた家族だろうか、なにか言葉にならない声で、遺体の肩を揺すりながら呼びかけている。確認が終わり、救急車がサイレンを鳴らさないまま出発すると、すがりながら「あの人が自殺するはずがありません。明日は娘の誕生日で一緒にお祝いをする約束をしていたんです」と傍に居たカザマにつめかかった。
遺体が見つかった部屋の引き出しの奥から合成麻薬のリフレインが発見された。締め切られていたということもあり、悪臭がひどかった。屋内の検査をしていた警官が残っていた遺体の一部を見て、気を失い担ぎ出されるという一幕があった。
澄み切った青空の中にカモメが群れで飛んでいる。カモメの群れの中にカラスが数羽混ざっていた。
一時間経たないうちに、野次馬や新聞、テレビが駆けつけ騒がしくなった。テレビの女子アナがリポートを暗い顔で今にも泣き出しそうな声でしていた。放送が終わると、振り返って「ランチは何を食べに行こうか」と明るい声で同僚と話していた。
原尻は女子アナを皮肉って、「なんか、そっけないよねぇ」とカザマに声をかけた。カザマは上空のカラスを眺めながら、
「古代ギリシャでは、宴が盛り上がりを失って客が帰り始めると、人間の頭蓋骨を宴会場の中心に持ってきたそうだ。そしたら客達はまた席について酒を飲み始める。何でだと思う。」
「脅しですかねぇ。宴会場から出たら殺すとか。」
「もっと単純。生きてるうちに楽しめってこと。」
まだカラスは上空を円を描きながら飛んでいた。
所轄の見解では練炭自殺とされた。しかしカザマは腑に落ちなかった。書斎に戻り死んだ新聞記者のポケットから携帯を取り出しの履歴を確認した。メールも電話帳もすべて消されていた。カザマの疑惑は確信になった。新聞記者は自殺ではなく殺されたのだ。暴力とスキャンダルはともに歩く。
カザマは書斎を調べ始めた。パソコンが机の上に置いてあったが、初期化されていた。所轄の捜査員が疎ましそうにカザマをチラチラとみている。本棚の中に手帳が置いてあった。ノートは手書きで日記のようだった。手帳の書かれた最後の日は三日前のものだった。最後の部分にはこう書いてあった。
『ゼネラルの発電システムは人による発電システム。』
カザマは手帳を所轄の捜査員の目につかないようにそっと自分の胸ポケットに入れた。




