掌編――もうすぐ夏休み
もうすぐ夏休み。
窓の向こうにむくむく立ち上がる白い雲をぼーっと眺めて、先生の話なんか上の空だ。
今年はなんだかいつもと違う。まだ一週間もあるのに、わくわく感が止まらない。
中学生になったこと。友達がいっぱいできたこと。
それから――好きな子ができたこと。
隣の席をちらっと盗み見る。
薄茶色の長い髪を全部右の肩に流して、真っ白い頬とちっちゃくて可愛い耳がとてつもなく色っぽく見える、阿佐ヶ谷まな。
ひとめぼれだ。お米の名前じゃないよ。
ぼくと同じ十三歳だなんて信じられないくらい、大人びてて、でもやわらかくて壊れそうなまな。
同じ班になれたのも隣の席になれたのも、きっとかみさまのお導きにちがいないんだって、兄ちゃんが言ってた。
「うおずみきょうすけーっ!」
痛っ。
チョーク激突。先生、腕上げたんじゃない? てか、これって体罰じゃねぇの。
「でれでれ余所見してんじゃないよっ。あとで職員室来なさいっ」
みんな笑ってる。まなも笑ってる。可愛いな。
ぼくはきっと真っ赤な顔してるだろう。でれでれは余計だ。にしても、なんでばれてるんだろ。
「じゃ、ホームルームお終い。昨日のテスト返すわよ」
笑いが悲鳴に変わる。
返された答案は真っ赤だった。もちろん、おっきなバツだらけ。ひとつだけ丸があるな、と思ったら0点だった。赤い字で『余所見ばっかりするな、一段全部ずれてるぞ』って先生のコメント。
「キョウ、0点かよっ」
悪友シンジが後ろから覗き込む。
「悪いかよっ」
「なになに……余所見ばっかりするなって? お前また阿佐ヶ谷に見とれて書く場所間違えたんだろ」
「うるせぇよっ」
あわててまなの様子を盗み見たけど、よかった、気がついてないみたいだ。
「なんだよこれ。小学生じゃあるまいしさぁ」
シンジの指差す場所を見て、思わず両手で隠した。
そこには――『魚住まな』って書いてあった。いつのまに書いたんだろう。
「見てるこっちがむずがゆいよ。恥ずかしいなあ」
「ほっとけよ」
いいんだよ、眺めてるだけで。
まだ。
そう思ってた時だった。
「あの……魚住くん」
嘘だろ。
まなが声かけてくれた。真っ赤な顔して。
「お、お、おう、な、なんだよ」
極力、ぶっきらぼうに言ったつもりだけど、声が裏返っちゃった。
「あの、これ」
そっと差し出した答案を覗き込んでシンジは素っ頓狂な声を上げた。
「えーっ!」
奴の手から奪い返した答案にも『魚住まな』と書かれていた。44点。
「こ、これどういうことだよっ、お前、2枚も提出したのか?」
「知らねえよ」
名前の文字を見て、2枚目がぼくのだと気がついた。じゃあ、1枚目の『魚住まな』は?
「もしかして、これ」
まなはひったくるように答案を受け取って、小さく「ごめん」と言った。
どくん。
心臓が喉から飛び出しそうだ。
まなから目をそらして外の雲に目をやる。
なんか言わなくちゃ。
でも、何言えばいいんだろ。
一秒がものすごく長く感じた。
「60点未満は全員夏休み中に補習。いいわね」
先生の声が耳に飛び込んできた。
「え、えと、補習、がんばろうな」
そっぽを向いたままで目だけちらりと動かすと、まながうなずいたのが見えた。
やっぱり今年の夏はいつもと違うぜ。
早く休みにならないかなあ。