徹夜汁 [1]
「愉快くん、体毛が薄いね……」
「生命の危機を感じると、保存本能が働くというけれど」
彼女は顔の位置はそのままに上目遣いで僕を見た。
「私のこれは条件付けみたいなものかも。パブロフの犬なの。この部屋に入ったなら、たとえ老人とでもするかもしれない。あっ、別にこれは君をけなしているわけじゃないの。むしろ気に入っているし――」
「徹夜汁の説明を…続けてもらえませんか」
彼女は体を起こして、僕の首元に腕を巻きつけた。少し首が締まり、苦しくなる。彼女はその様子を楽しんでいるように見えた。彼女が目の前で口を開く。赤黒い口腔の中、蜜のように唾液がしたたっている。
「徹夜汁は……村人たちが出す『汁』よ。この村のすべてを動かしている、万能の燃料」
彼女は僕から体を離し、徹夜汁のボトルを取り出した。僕は押し倒された姿勢から動けないでいる。
「機械も動くし……人間も動くの」
ボトルを開ける。中からどろりとした緑色が垂れ落ちる。岬さんはそれを指先に乗せてぺろりと舐めた。そのまま、その口で僕に顔を近づける。こじ開けられた唇の隙間から、舌がねじ込まれれた。ぴりりと痺れる、奇妙な刺激が口内に広がる。
「この村の人間は、眠れない」
痺れるような刺激は脳へ伝わり、僕の情動をぐらりと揺らした。頭の中で何かが弾ける。彼女の身体との接触部分が熱を持ち、その柔らかさを敏感に感じ取る。
「不眠症の一種……でしょうか。そういった地方病があるとか」
違う……と彼女は言った。息だけの声だった。
「脳の外科手術で、眠る機能を失っているの」
もう一度舌が侵入してくる。僕はそれに応じた。硬直した体から力が抜けていく。しなだれていた両腕を、岬さんの体に回してみた。余分な厚みのない、しなやかで美しい曲線。沈み込むような質感があって、包まれたような気持ちになる。ここは安全で……安心……。
「岬……さん……」
彼女を求めた全身が跳ねあがる。僕は起き上がり、向こう側のベッドに彼女を押し倒す。その拍子に徹夜汁のボトルが倒れた。僕はそれを掴み、すべてを飲み下してみせた。
「愉快くん……凄いことになっちゃうよ……?」
今度は、痺れというより熱さだった。摂取した場所から、全方位にエネルギーが浸透していく。それは何故か、僕の思考をひどく疲れさせるものだった。脳は深くまどろみの中へ落ちていき、肉体だけが、俄然、勢いを増し続けている。
「これは、すみません、全部のんで……しまいました、が……」
「大丈夫……元々それは君に――」
岬さんの言葉をさえぎって僕は肉欲に堕ちていった。
まどろみの中で迎え入れる鋭い快楽は、僕の知るそれとは段違いに刺激的だった。
彼女の内側は熱く燃え盛っていた。溶けるような快楽がすべての事象をどろどろにかき混ぜて世界を満たしていく。さまざまな液体が混ざり合って、滑り、僕をより奥へ運んでいく。すべてを肯定したくなるような気持ち。すべてが抹消されたような地平。脳髄、あまねく、広がっていく。
僕は絶頂を迎えると同時に意識を失った。
「……ごめんね」
彼女が何か言った。たぶんそれは、さっき聞き取れなかった言葉と同じ響きだった。