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徹夜汁  作者: 塔野とぢる
8/13

精神病棟廃墟 [4]

 僕らは廃墟に不法侵入し、階下の部屋でベッドに腰かけていた。


「不思議です」

「何が?」


 建物に入り、扉に鍵をかけ、余計な明かりを消灯し、はじめから目指していた場所であろう小奇麗な一室に辿りついて以来、彼女はとても落ち着いていた。


「何から何まで。全てに言及するなら昨日あの集落を見つけて以来の事柄です」

「ふうん」


 六畳ほどのこの部屋の天井には小さなランプがついている。彼女はこの部屋の明かり以外、すべてを消してここまで歩いてきた。無論道中は暗闇であった。僕は彼女の服の裾を掴み、一歩一歩おそるおそる進んで来た。廊下に並ぶ部屋には月明かりが射しこんでおり、かつてそこが病室であったことがうかがえた。朽ち果てたベッドには数十年敷きっぱなしの寝具の類。ぼろ布のようになってへばりついていた。


 この部屋にはベッドがふたつ。何故か冷蔵庫やテレビまである。病院だったとするならば、宿直室かなにかだったのだろう。妙な具合の狭さから察するに、片方のベッドは別室から持ち込んだと見える。


「前にね、来たときはさ、旦那と一緒だったの」

「ご結婚されていたのですか。……ああ、だから家の調理器具なんかも、大きめのものが」

「君が見た鍋は別の用途だけどね。まあ、結婚も、していたわ」

「なんだか申し訳ありません。その旦那さんは今?」

「私は未亡人なの」

「なんだかすみません」


 未亡人という言葉の響きが面白かったのか、僕の態度が愉快だったのかはわからないが、岬さんはふと、セクシーに微笑んだ。その笑みがセクシーに見えたのは、あるいは、僕の方が未亡人という響きにやられていたのかもわからない。


「旦那は外の人間だった。仕事で村へ来ていたの。だけどあいにく、とってもいい男でね」


 向かい合ったベッドの間には、ちょうどよい距離があった。僕は岬さんの話を黙って聞くことにした。


「私たちはそのうち、こっそり逢引きするようになって。まあ早かったよね。それぞれの立場は守ったまま、結婚という運びになった。でもそれがバレると旦那は村中から敵意を向けられてね。無理やりに因縁をつけられて、それに反発したら奴らは殺しにきたの」


 とんでもない村だ。よそ者を嫌悪するといったレベルではない。何かしらの事情があることはわからんでもないが、それでもやりすぎだ。


「私と旦那は、家にあった徹夜汁を持ってここに逃げ込んだの」

「徹夜汁?」

「あ、ごめん。これのこと」


 岬さんははリュックからさっきのペットボトルを取り出した。中の液体は4分の1ほどに減っていた。彼女はついでに煙草の箱を出すと、マッチで火をつけて一息ふかした。もうもうとした煙が密室に立ち上る。灰色に曇った天井が、さらに遠くなった。


「これはね。あの村の人間が出す『汁』。村はすべてこれで動いているの」

「……えっと」

「わけがわからないよね。あとでちゃんと説明するから、もうちょっとだけ旦那との思い出話に付き合ってくれる?」

「わかりました」


 火のついた煙草を見ながら、僕はぼんやり昨日の夜を思い出していた。オーバーラップするふたつの非日常が、現実感のなさに拍車をかける。


「徹夜汁があれば、しばらくは持ちこたえられる。この場所なら、いざというときの手段もある。そういう魂胆で、逃げ込んでからしばらく滞在したの」


 彼女は床に下ろしていた脚を投げ出して、僕の座っているベッドのほうへ投げ出した。


「あ、ベッドがふたつあるけどね。別々に寝ていたわけじゃないのよ。シングルベッドが狭かっただけ。ぴったり寄り添って寝るほど、私たち小心者じゃなかったから」


 冷たい裸足が僕の手に触れる。彼女は煙草の火を消して、小さくため息をついた。


「話の途中だけど……いい?」

「何がですか?」

「ここでの思い出を反芻してたらね……セックスしたくなった」


 彼女が腰を上げ、向かいのベッドがぎしりと軋む。投げ出された身体を受け止めると、彼女は耳元で何かささやいた。


 自分の鼓動がうるさくて、その言葉は聞きとれなかった。


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