精神病棟廃墟 [2]
[2]
彼女はまっくらな道を迷いのない足取りで駆け抜けていく。僕は当初足裏を突き刺す痛みにぴょんぴょん跳ねていたが、このままでは置いてかれると察して痛覚を無視することにした。遠くの方で怒声が響いている。振り返るとそこそこの近距離で灯火がチカチカ煌めいていた。少しの予断も許されない。前方で跳ねる彼女のリュックを睨みつけて、血まみれの裸足を前へ前へ。もともと道になっているのか、転ぶような段差や致命傷になるような異物は見られなかった。
しばらく走ったあと、彼女は急に立ち止まった。月明かりが届く、少し開けた場所だった。その明るさに少し安心したが、僕はすでに限界を迎えていて、止まった瞬間一気に吐き気がこみ上げて来る。おええと餌付いて、勢いそのままにその場に嘔吐してしまった。あまり喰っていないので、あまり出すものがない。背中をさすってもらって楽になった。
僕が落ち着くと、あたりは静けさに包まれた。どうやら一旦は撒いたようだ。
「ごめんごめん。君の靴も持ってきてたんだけど、渡すの忘れてた」
彼女は――いつの間に履いたのだろうか、動き易そうなスニーカーを身に着けていた。僕の足はすでに血まみれで、草の汁や泥と混じりあいまだらに染まっていた。
「靴下もあるよ。いまからでも履いて。この先、たぶん裸足だと怪我しちゃうから」
「何故いま渡すんですか……すでに痛みが麻痺してますよ」
「おんぶしてあげよっか」
「それは遠慮します」
座りこんで動かない僕の足を、彼女は丁寧に拭いてくれた。そこに靴下と靴を履かせ、丁寧に紐をしばり、母性を感じさせる声色で「これで大丈夫」と告げた。あんまり大丈夫ではない。
「……追っ手はこないんですかね」
「だいぶ走って来たからね~。こっちの方角には、みんな来たがらないし」
「それって、湖が、不吉な場所だとか……」
「湖自体は、食糧調達の場所にもなってるかな。でも、この丘が忌み地なの」
岬さんはリュックから懐中電灯を取り出した。
「そろそろ明かりをつけても問題ないでしょう」
丘の上がぼんやり照らされる。僕らが向かう先に、何かが建っているようだった。
「あそこ。見える? 廃墟があるの。あそこに逃げ込むよ」
「なるほど。でもあそこに逃げ込んだところで、逆に逃げ道がない気もするんですが」
「村の人はあそこに近づかないし、近づくにしてもは面倒な話し合いが伴うの」
「いわくつきじゃないですか思いっきり」
「たぶん、貴方にとってはどうってことないよ」
岬さんは僕の手をとって、勢いよく引き起こした。両足に体重がかかり、鈍い痛みがじわりと広がった。口の中も気持ち悪い。頭もグラグラする。満身創痍だ。
「ここからは歩いていっても大丈夫。でも、念のため明かりは消して行くよ」
「わかりました。ちょっとライトを貸してもらってもいいですか」
僕は懐中電灯を受け取り、丘の上へ向ける。廃墟となったコンクリの建物が、その輪郭をぼんやりと主張していた。それはとても、不気味だった。