死の森の最果てに [2]
[2]
目覚めた僕は全裸に剥かれていた。
慌てて布団を被り、頭の中で状況を整理する。天窓から差し込む陽光。静かな朝の音。部屋に満ちる女の生活臭。素肌に擦れる綿の掛け布団が、汗でかすかな湿り気を帯びている。傍らに熱源を感じて視線を落とすと、家の主である女が寝息を立てていた。
「……責任」
記憶にない。記憶にないが、状況証拠は揃っている。どう言い逃れしたところで僕の記憶が状況に勝利することはないだろう。だとしても何も覚えていないなどということが早々あるものか。得も言われぬ不安感をおぼえ、僕は女を揺さぶった。
「あの、すみません、起きて下さい」
「……眠い」
女はまぶたを擦りながらため息と一緒に返事を吐きだした。彼女はちゃんと寝間着を着ていた。そして僕の裸を見て、笑った。
「服を着なさいよ」
彼女はそう言って床に畳まれた質素なシャツとズボンを指差した。
「し、下着は」
「あ、ごめん。洗濯機の中。めんどくさいからこれ穿いてて」
彼女は上半身を起こしてベッドの脇にあるタンスをまさぐり、女モノの下着を僕に差し出した。薄いピンク色で、小さなレースが付いている。
「あの、僕、昨日は、もしや」
「そう」
「……あの、申し訳、ございません」
「臭いシャツのまま寝ていたから、勝手に脱がしたの」
僕は昨夜を辿りなおす。確かに、彼女が「着替えを持ってくる」と部屋を出て行ったあと、戻ってきた姿は記憶にない。
「裸にして、タオルで身体を拭かせてもらったよ」
鎖骨のあたりをポリポリと掻きながら、彼女はまるで動じない様子だった。あまりにも飄々と語るので、逆にそれが演技に見え始めるほどに。
僕は一旦常識を棚上げすることにして、渡されたパンティに脚を通した。眼下の光景があまりにむごいので、なるべく目を開かないにしながら上下の衣服をまとう。
「何から何まで、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「問題なし」
「あ、まだ眠いですよね」
「……あのさ、君、身体を拭いているときに」
「えっ」
「まあここは濁しておいたほうが後々面白いか」
彼女はにやりと意地悪な笑みを浮かべ、壁向きに寝返りを打った。
彼女はまだ眠るらしい。僕が死ぬために森へ入ったのは土曜の夜だったから、今日は日曜日。どんな形で生活をしているのかは知らないが、この様子だと休みなのだろう。
家主の休息を邪魔することは、客として最悪の行為だ。僕は音を立てないよう気をつけながら、そっと部屋を出た。
――少し外を回ってみよう。
僕の気持ちはちょうど一人旅のような塩梅で、我ながらとても図々しいものだった。未確認の厚意に甘え、自分の存在を押し付けている。交わす言葉はそこに触れなかったけれど、たぶん、彼女は僕に何かが見えるまで置いてくれるだろう。
この服は借りた物で、戻る理由としては心もとないけれど、戻らない理由はそれ以上に見つけがたい。今の僕には、先の展望がまるでない。行くあても、生きるあてもない。
身体を触られた無意識の僕は、どんな痴態をさらしてしまったのか。
そんな下世話な話題すら、考え事ができるだけありがたかった。
家の外に出ると、彼女の家が丘の上に建っていることがわかった。眼下には数戸の民家が軒を連ね、重苦しい色の瓦屋根が閉塞感を強めている。
このあたりは、集落のはずれなのだろうか。どんなに凄まじい限界集落でも、家屋の集まった中心部があり、最低限のインフラや商店が存在するはずだ。周辺には田んぼや畑すら見当たらず、唯一の道は森の中へと続いていた。
ひょっとすると、地図にもない隠れ里なのでは。
そんなことを無邪気に期待した矢先、最寄りの民家から、初老の男性が現れた。
「んぐええ。んげえごご」
彼は出て来るなり餌付きはじめ、苦しそうなうめき声をあげながら体を折り曲げている。
彼の家の玄関脇には寸胴が据え置かれていて、僕は女の家のキッチンで見た不自然なそれを思い出した。この集落では、金物屋が自治会長でもしているのだろうか。
「んぐううおぉおお。づをうううう」
二日酔いとかその類にしては、どうも様子がおかしい。救急車を呼んだほうがよいのではないか。不吉な予感に背筋がぞっと波立つのを感じながら、僕は叫んだ。
「大丈夫ですか!」
男が僕の声に気づいてこちらへ振り向いたとき、その口からは緑色の汁がたぱたぱと溢れだしていた。