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漢の信条

「…………!」

 

満の瞳が、大きく見開かれた。彼女の透明な瞳が映しているのは、間抜けな顔をしているラブズではなかった。その後方にある、なにか。

満は、ラブズは押しのけ、腕を引っ張り、地べたに滑り込ませた。勢いがかなり強く、ズザザッ! と砂塵を巻き起こせそうなほどだった。太腿の裏に、血が滲む。あまりにも突然の事だったので、ラブズは息を呑む。次の瞬間、ラブズが見た物。

 

それは溢れんばかりの光だった。眩しすぎて、目を閉じてしまうほどの、光。


やがて目はそれに慣れて、ようやくその実像がくっきりと浮き彫りになった。吸引力のある『それ』は、二人の事を飲み込もうとしていた。危機感を刻み込まれたラブズは、距離感が一番危ういであろう満の腕を強引に引っ張る。まったくもって、わけがわからない。なぜ、こんなことに巻き込まれなきゃならんのだ。と、思うのは身勝手な自己中野郎だけだ。自分の知らない所で世界は大きく回っているのだ。それを知らない顔をして、見て見ぬふりをする……なんてのは、二流だ。


「絶対離すんじゃねぇぞ!」

 

無意識のうちに、ラブズの口調は荒々しく、猛々しくなる。四の五の言っていられない状況だ。優しく、柔和な喋り方など、まどろっこしくてやっていられない。どうにかして、この子を助けたかった。


「……無理ですよ」

 

どんな根拠をもってして、そんな結論に行きつくのか分からないが、彼女の目はすでに諦めのついた色となっていた。何が起きるのかは分からない。分からないけど、この後に幸せな結末があるのならば、こんな目はしないだろう。ならば、それ汲んでやるのがラブズの役目だ。


「そんなこと言うな!」

 

無理。不可能。絶望。窮地。

言いようはいくらでもある。

だが、そんなことを認めたくは無かった。

ラブズ・ウィンゴの信条その①女の子が困っていたらいかなることよりも優先し、全身全霊をもって助ける。その②一度話を聞いたのならば最後まで話を聞く。③惚れた女は命がけで守る。九十九にものぼるラブズ・ウィンゴの漢の信条。

格好悪くて、みすぼらしくても、これさえ守っておけば、ラブズの自尊心は保たれるのだ。その結果が、良い方に傾くか、はたまた真逆のほうに急降下するかなんて、この際問題ではない。


「俺が助けるってんだから、おまえもそれに協力しろよ! 自分一人だけの勝手な押し付けじゃ、ただの自己満足なんだよ! 俺はそんな偽善者にはなりたくない! だぁかぁらぁ! 俺に恩義を感じてるってんなら! 無理とか、もう駄目とか、そういうこと言わないでくれよ。俺が悲しくなるからさ!」

 

自分が傷つくのは幾多でも構わない。どうせ時間が経てば、すぐに癒えるのだ。少なくとも、ラブズにとっては、どうということもなかった。何回も、何十回も傷を負う度、その深さは全て浅瀬になった。足元が付く位置。慣れた証。

その言葉を聞いて、満は不確かだった灯に明かりを灯した。黄ばんだ蛍光灯が、最新の白色ライトに変わったようだった。誰が見ても、彼女の表情の変化は明確だ。その顔を見て、ラブズは静かに安堵する。袖を掴む満の細い腕に、僅かな力が宿ったような気がした。彼女なりに、どうにかしようとしている。その意思表示がむず痒かった、ジン……と耳の奥に熱がこもる。ここからは、男である自分が彼女を救う番だ。奥歯を噛み締め、満が掴んでいる右腕に力を込める。ケガをしている左腕でないのが、不幸中の幸いだった。

 

袖を掴んでいた満の手のひらを握りしめた。やった、女の子の手を握れたぞ。これからは一生手を洗わないぞ。とかは、考えていなく、若干困惑気味のラブズは、流れに任せるかのようにギッチリと、握る、握る、握る。


「……あ」

「どっせぇぇぇぇぇいぃぃぃぃっ!!」

 

しっかりと、彼女の折れそうなほどに細微な体を抱きしめる。ラブズは彼女の事を光から庇うようにして、自分の背を向けた。火傷をしてしまうような熱さも、凍傷を引き起こしてしまいそうな冷たさもなかった。何も感じない。何も聞こえない。

 

 


彼の体に残る仄かな暖かさ。

ずっと昔にもこんなことを感じたことがあったな、と満は抱きかかえながら、そう思っていた。記憶の奥底に眠る思い出。もう、何百年も前のことだ。気の遠くなる長い道のりで、自分のことを抱きしめてくれた人など、どれくらいいたのだろう。片手の指の数よりは少ないはず。

なぜだか、彼の体には眠気が差してしまうほどの安心感があるのだ。兄や、父に感じられるような肉親独特の安心感。自分が追い求めてき事の一つだ。それがこんな形で手に入ることができるとは思いもしなかった。

 

彼を選んだ自分の目に狂いは無かった。メモを無くしてしまったのは、予想しなかったアクシデントだったが、こうして彼に出逢うことが出来たのは、きっと自分自身の持つ、『運』の力なのだ、と満は考える。

 

その運が色濃く、体の中に染み残るのだったら、もう一度だけ。

彼に会える気がする、



 泥臭く、足を絡め取られる土のベッドにゴム長靴を沈み込めながら、額に浮かぶ脂汗をファキオ・レバングは首に巻いた白タオルで優しく拭う。

 そこには澄ました顔の美少年なんていない。気持ちの悪い汗をダラダラと流しながら、親の農作業を手伝う、一家の大黒柱としての姿があるのみだった、四年前の八月に親父が死んだ。自分の欲しがるものを母に口やかましく、苛められながらも買い与えてくれた父が。鍬を持って、軽トラを走らせることしか能が無かった親父だったが、ファキオにはそれで十分だった。当時小学生だったファキオは、鼻水で顔をベチャベチャにしながら、母に泣きついたのを覚えている。親戚一同が困惑した表情で、その光景を眺めていたのも覚えている。案外、昔の事でも忘れないものなんだよな、とファキオは思う。

 

いつもラブズと出掛ける時に使用する軽トラは、親父の忘れ形見だ。かなりガタが来ていて、買い換えたら? 母に何度も促された。もちろん、新しい車を買う金も手帳には記載されており、生活的には余裕があるのだが、どうしてもファキオはこの軽トラを捨てて、新車を買う気にはなれなかった。レトロマニアというわけではない。使えるものはぶっ壊れるまで大切に使い続ける主義だから、というわけでもない。じゃあ、何だろう? と考え始めると、親父の黒光りした豪快な男スマイルが脳裏に出現するので、止めておこう。

 

軍手を脱いで、湿った手のひらを作業着で、乱雑に拭き取る。こんな姿をいつも学校で自分のことを追い回している女の子が見たら、なんて思うだろうか。ダサすぎて幻滅してしまうかもしれない。まぁ、当然といえば当然の反応なので、そうだとしても驚きはしないだろう。驚くとしたら、こんな自分でも受け止めてくれる、心の広い女の子の方だろう。まだ誰にも、ラブズ以外にはこの姿を見せたことはない。綺麗な自分じゃなくても、ラブズは何も言わなかった。少々間抜けな面をしていたが、一分もしないうちに、いつものラブズに戻った。その反応がよほど嬉しかったのだろう。調子に乗った自分は、親父のことや、小学五年生の二学期辺りから、こうして母の手伝いをしていること……腹の底に溜め込まれていた畜産物をぶちまけるようにして、延々と語り出した。


『まぁ、俺としても、やっぱ家族の事が大事だしよ。こうやって……農作業をするのは、仕方のないことだと思うわけ。きっと、いつかは俺がこの家を継ぐことになるんだし。お袋は、あんまし将来の事とか口出ししてこないけど、それでも俺が仕事を手伝うことをやめたら、やっぱ、すげぇ困ると思う。文句は言わないと思うけど。でもさ、俺ってあれじゃん? ちょっとだけ……女の子に人気があるし、男友達だって少ないわけじゃないし、誰かにこのみすぼらしい格好をしている所を見られる可能生だってゼロってわけじゃないんだよな。どんな反応をとるか分かんないけど、多分プラスになるような反応はしないだろうな。うっわぁ……ダッセェ……、ファキオ君こんなことやってんの!? みたいな勝手な反応しかしないんだろうな……って。じゃあ、見せなきゃいいんだろう。見せなきゃ、いつもの通りの格好いいファキオ君のままで、理想通りの俺のままでいればいいんだろう? ま、そんなもんでついてくる奴なんて、どうしようもない奴等ばかりなんだろうけど。それでもさ、おまえは変わんないんだな』

『当たり前だろ』

『そっか』

 

語るファキオを前にして、ラブズはほとんど相槌を打つだけの状態だった。それでも、どこか居心地の良さを感じた。兄弟のような、親子のような、そんな心を許せるような間柄。ファキオにとって、ラブズ・ウィンゴはそういう存在なのだ。


「……ちょうど一年前か……」

 

市街地から西の方面にある、耕作地帯。

 

ファキオの家はそこからさらに二キロほど西に離れた場所にあった。扱っている作物は米と白菜。ネギや茄子なんかも扱っている。八月にはトウモロコシも栽培する。今日は畑を耕しているだけなので、自慢の農作物を披露することは出来ないが、こういう作業過程も大事な仕事なのだ。手が血豆だらけになろうとも、やり終わった後の達成感は、部活でのそれと同じだ、とファキオは思う。

一通りの作業を終えた、ファキオはトラクターの座席で居眠りをしようと、シートを動かす。あとは帰宅するだけだ。思っていたよりも早く終わってしまったので、こうして肩を伸ばしているのだが、


「つまんねぇ……」

 

昨日、ラブズと遊びに行った時は面白い一日だと思ったのに、今日は退屈な一日だ。太陽の位置も変わらず、気温も大差ないのに、なぜ一日だけでこうも感受性が違うのだろう。昨日の今頃は、何をしていたっけ。具体的な内容は忘れてしまったが、楽しかったのは覚えている。あまり記憶力が良い方ではないのだ。さっきの話と矛盾してしまう。楽しい思い出よりも、辛い記憶の方が頭に刷り込みやすいのかもしれない。だとしたら、なんて残酷な世界なのだろう。苦しい思いばかりが、腹の中を蠢き続けるのだ。これほど嫌なことは無い。

 

ラブズの奴は何をしているのだろう。また、図書館辺りにでも行って、堅苦しい分厚い本でも読んでいるのかもしれない。あんな、頭の痛くなる本をよく読める気になれるよな。ファキオにとって、それは拷問に近い。なんて奴だ。さすがはレトロマニア。

 

難しい事関連でなければ、自分も付き合ってやるのだが、如何せんラブズの趣味とかぶらないことが多い。マリンバイクやサーフィンなどの『海』が関係していると、二人の意見がぴったりと重なるのだが、それはどういった理由か。ファキオには重いあたる節がない。

 

大きなあくび。

口を開くと、自然と涙が潤む。この感覚は嫌いじゃない。リラックスが形成されていく。どんな緊縛とした空気の中でもそれを崩すことが出来るはず。ゆっくりと、大空を旋回する飛行機雲が青い景色を横切って行く。偶然見ることができた光景だ。こうして寝転がっていると、こういう新しい発見があるのも魅力的なのかもしれない。ほんの些細な変化。それでもこうして真新しい記憶として、ファキオの頭に上書きされていく。

 

こういう繰り返しこそが、人生の醍醐味なのではないのか、とファキオ・レバング十五歳は悟った。後に若気の至りとして古傷を植え付けたのだった。

 

 


 

 

 

 


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