Chapter,1-2 救済
捕まっている人々を助けるために篠崎は
洋館で出会った男とともに魔物の巣窟となっている館へ訪れた。
門番を倒し、館内への侵入に成功した篠崎たちは
地下へと進み魔物たちの親玉に遭遇した。
そして捕らわれた人々の命をかけた戦いが始まるのであった。
戦いはほぼ互角の戦いだった。武器を持っていない分男はやや劣勢を強いられたが、
戦いが始まり5分ほどが経過しているのに目立った外傷はない。
「人間にしてはやけにできるな。いや、その様子では人間ではないのか。」
巨大な体に反して鬼人族の長の動きは恐ろしいまでに速い。
振り回され、振り下ろされる細身の剣を軽快な動きで避けながら男は答えた。
「いや、人間だ。身体の構造からしっかりと人間だよ。」
喋りながら男はひたすらに避け続ける。時折隙を見せる剣撃の隙間を縫って反撃の拳を繰り出すが、
素手である上攻撃を受けないためにもあまり踏み込めずダメージがまったくと言って良いほど通らない。
「おもしろい!貴様、名を名乗れ!!墓ぐらいならば立ててやろう。」
「随分と気が早いものだな。だがお前には俺は倒せないさ。それに俺には名前はない。」
「どこまでその軽口が叩けるのだろうな。」
激戦の最中、篠崎は下の階に行く扉を開けようとしていた。
自分と同じく捕まっている奴隷たちを救い出そうと思ったのだ。
何よりここにいるのは男にとっても邪魔になりかねなかった。
だがどれだけ力を込めても扉は開く気配がなかった。鍵がかかっているようだ。
「あと10分ほどで日が沈むな…」
唐突に男はつぶやいた。
既に体力を失ってきており、少しずつ剣による傷が身体に付けられてきている。
一方で相対している鬼人族もまた男の攻撃によるダメージが蓄積し動きにキレがなくなってきていた。
「どうした?動きが悪くなっているぞ?」
「そういうお前こそダメージがでてきたんじゃないのか?」
挑発を繰り出してくる鬼人族の長に男もまた挑発を返す。
「確かにその通りだ。だが、これならどうかな?」
そう言って玉座のような椅子の側にあったもう一本の剣を鬼人族の長が手にした途端戦況は一変した。
今までは避けながら少しは反撃のチャンスもあったが剣が二本になり一切の隙がなくなる。
「ぐ…あと少し…堪え忍べば…」
「逃げ回っているだけでは勝てないぞ!さぁ、意地を見せてみよ人間。」
だが、そのギリギリの回避も徐々に辛くなってきた。
二本になった事による単純な剣撃の量が増えたこともあるが、
なにより新しく手にした剣は幅広のワイドソードなので回避がさらに難しい。
と、ついに避け損ねた男の肩口を剣が深く斬りつけた。
「っ!!」
「やはり人間ではこのくらいか…」
深く刺さった一撃は斬りつけるだけに留まらず男の左腕をスッパリと切り落とした。
切断された肩口からは噴水のように男の血液があふれ出し土が露わになっている床を赤く染め、
鍵を探しながら部屋の隅で戦いの様子を見ていた篠崎はあまりに悲惨な状況に腰が抜けてしまった。
「興が冷めた。さっさと死ね。」
バランスを崩しよろめいた男にさらに鋭い突きが襲いかかる。
篠崎は見ていられなくなり目を閉じた。
が、室内に響いた音は肉を切り裂く生々しい音でも鮮血がまき散らされる水音でもなかった。
鳴り響いたその音はガキンッ!と鉄がコンクリートに打ち当たった音だった。
どうやら男は間一髪のところで避けることができたようだ。
だが、それから音のない静かなまま時間が過ぎていく。
「ま、まさか…」
篠崎は目を閉じたまま最悪の可能性を考えてしまった。
男は避けたのではなく話すことも、悲鳴すらあげられず絶命してしまったという可能性。
あまりの恐怖に目の開き方すら忘れてしまったような気持ちになった。
沈黙を破り言葉を発したのは鬼人族の族長であった。
「なに…!貴様…なぜその状態で生きていられる…!!」
その声に続いて掠れそうな声で男がつぶやく。
「なんとか…間に合ったみたいだな……」
篠崎は男の声が聞こえたことで安心し、目を開いた。そして自らの目を疑った。
篠崎の予想を裏切り男の胸には深々とワイドソードが突き刺さり地面に串刺しにされていた。
剣の位置は左胸の上部であり、心臓は辛うじて避けているようだがどう見ても肺が破裂する位置だ。
しかし男が胸に刺さっている剣を抜き取るとあっという間にその傷が塞がれた。
「こんなことになる前にできれば片をつけたかったんだが…流石に族長クラスは無理だったか…」
「貴様…やはり人間ではなかったのか…!!」
右手に長身のレイピアを構えながら鬼人族の長は男に言った。
男は地面に落ちていた自らの左腕を拾い上げ切り落とされた肩の断面に押し当てくっつけると
投げかけられた言葉に返事をした。
「いや、まぎれもなく俺は人間だ。ただし先祖には人外も混じっていたみたいだがな。」
「…先祖返りと言われるものか…!」
「そんなところだ。…ここからは仕返しとさせてもらうぜ?」
「ほざけ!雑種程度が敵うとでも思っているのか!」
声を荒げて一本の剣を手にした鬼人族の長は男の懐にとびこんできた。
しかし振り下ろされた剣に臆することもなく男は手刀ではじき飛ばす。完全に太刀筋を見切っていた。
戦況は既に男の方へと傾いていた。
「く…!」
「残念だが今の俺にとって鬼人族程度敵じゃあない。」
そう言って男は丸腰になった鬼人族の長へ突撃する。
巨大な拳を振り下ろし迎撃しようとしてきたが男も対抗して拳を当てる。
大きさは天と地の差があったが拮抗すらせず男の拳がはじき返した。
さらにがら空きになった腹部にしっかりと踏み込んだ渾身の一撃を叩き込むと、
鬼人族の中でも類をみない大きさを誇る鬼人族の長の身体が浮き背後の壁にたたきつけられた。
大きさ通りの重量に壁が耐えきれず崩れ、巨体が深く壁に沈み込む。
「ぅぐはぁ!!なんて力だ…!!」
「負けを認めるならば命は助けてやらんこともないが…」
「ふん、馬鹿馬鹿しい!儂とて氏族を束ねる長だ!!命ある限り戦い続ける!」
強大な骨格を軋ませながらも壁を蹴り飛ばし鬼人族の長は男がいた位置に向かって跳躍したが、
既にそこに男の姿はなかった。止まりきれず今度は正面の壁へと激突する。
「ならば仕方がないな。そろそろ終わらせよう。」
唐突に何もない場所から、さながら霧のように男が現れもう一度鬼人族の長へ拳を振るった。
今度はまるで地面に縫いつけるように、下方向へ力強く拳が振るわれた。
その一撃は鬼人族の長の身体を貫くだけにとどまらずに骨を砕き地面を割り、
下の階へとそのままの体勢で男たちは落下した。
「…!しまった。下には捕まっている人たちがいるのだったな…」
下へと落下しながら男は呟く。鬼人族の長はかすかに息があるようだが意識が既にない。
落下した先は檻で周囲を囲まれた円形の部屋だった。
天井が一部崩れた事によっていくつかの檻は破壊されたが幸い人は下敷きにはなっていないようだ。
突如天井を崩し現れた男に対し捕まっている人々は皆恐怖と不安の表情をしていた。
とりあえず男は無言で他の壊れていない檻の入り口をそれぞれ力ずくで開けて回るが
人々の表情に変化はない。
倒れている鬼人族の長に視線が向いているのかとも考えたが全員男の姿をみている。
自分の姿を改めて見返してみると全身が返り血を浴びたせいで赤黒く、
ちょうど鬼人族のような色合いの肌になってしまっていた。その為人々は鬼人族だと勘違いしたのだ。
「さて…どうしたものか…」
「…んなんだ…」
捕まっていた人々の中から老人の声がかすかにした。
「お前たちは何がしたいんじゃ!」
二度目ははっきりと聞こえた。続けて次々に他の人々も声を張り上げる。
「そうだ!俺たちをこんなところに閉じこめて!!」
「いままでに何人俺たちを殺してきたのかわかっているのか!」
「小さな子供もいるのよ!何でこんなことを!」
声はどんどんと大きくなっていき、子供や一部の女は泣き叫ぶ始末だった。
男はなるべく大きな声で
「違う。俺は魔族なんかじゃあない。あんたらを助けにきたんだ。」
と言ったがパニックになっている人々は聞く耳を持たない。
「そうやって油断させて私たちを食べるつもりなんでしょう!!」
「そのデカブツだって本当は死んだフリをしているだけかもしれないぞ!」
「そもそも魔族じゃなきゃお前は何者だって言うんだ!!床を破る人間なんているか!!」
どうすればいいか男が対応に困っていると扉を開けて篠崎が上の階から降りてきた。
そして状況をみるといままでの篠崎では考えられないような大声で、
「待ってください!!この人の言ってることは本当です!!」
と叫んだ。人々の声がざわめきへと変わる。
「あの人って…この前までここで捕まってた人だよな…」
「昨日から姿が見えなかったかったからてっきり殺されちまったのかと思っていたが…」
「言ってることが本当って…一体どういうことだ…?どうみたってあいつは魔物じゃないか…」
篠崎は人々の声が少し控えめになったのを見計らって男に歩み寄りながら言葉を続けた。
「私はつい最近まで、ほんの数日前までここで捕まっていました。」
「そして、一昨日の真夜中に労働をさせられていたとき隙をみて敷地内から逃げ出しました。」
「でも魔族たちは私を捕らえようと森の中逃げる私を追いかけ回しました。」
「そんな中、自らの洋館の中に見ず知らずの私を何も聞かずに招き匿ってくれたのが彼なんです。」
男が横槍を入れるように人々には聞こえない小さな声で
「お、おい。俺はあんたを匿ったりなんかは…」
と言ったがちょっと黙っててください、と一蹴されてしまった。
「私は彼に自分が魔族に追われていることを言いました。」
「すると彼は自分が助けてやる。捕まっている人々も皆解放する。とそう言ってくれました。」
「ここの親玉だった魔物ともボロボロになりながらも私のために戦ってくれました。」
「そんな良い人が嘘をついているなんて私には思えません!!」
人々は静かに篠崎の話を聞いていたが、先程の老人が群衆の前に出て篠崎にたずねた。
「じゃが、その姿といい魔物すら圧倒する力といいどう考えても人間ではないじゃないか。」
「確かに…そうかもしれません。」
老人に続いて壮年の男性も前にでてきて諭すように篠崎に言った。
「な、なぁ、あんたやっぱりこいつは魔物なんだよ。あんたは騙されてるんだ。」
「それでも…彼は私に人間だ、と言ったんです。私は彼を信じます。信じてあげて下さい!」
「………」
人々は無言になった。
しばらく沈黙は続いたが信用し切れていない様子に見かねた篠崎はさらに言葉を重ねた。
「もし、あなた方が彼を悪だと言うのなら…私も同じにしてください。」
「彼にひどいことを言うのなら代わりに私に好きなだけ言ってください。」
「彼を殴りたい、なんて思う人がいるのならば私を殴ってください。」
「たとえ…たとえ魔族だったとしてもこの人は私の命の恩人なんです…」
言葉を続けるにつれ、徐々に涙声になっていってしまった。気がつけば頬を流れるしずくもあった。
さらに言葉を続けようとするが涙が止まらずうまく発音ができない。
その時篠崎と同じくらいの年齢の少女が笑顔で近くへ歩み寄ってきて、
「完敗だ、あたしは真衣を信じる。まぁ最初から疑ってはいなかったけどね。」
と言いながら篠崎の肩に手を置いた。そしてはっきりとした声で黙ったままの人々に言う。
「みんな!この子は魔物なんかに騙されるほどバカな女じゃない!幼馴染みのあたしが保証する。」
「美…聡……?」
「真衣が信用する、と言っているような人ならあたしは信じる価値があると思う。」
少女の名前は岸路美聡といい、篠崎の幼馴染みの少女だった。
篠崎が二歳の頃に出会い、それ以来ずっと互いに仲良く、助け合ってきた仲である。
彼女の言葉に続いて数人の男女が口を開いた。
「確かに、篠崎さんはそんな人間じゃないと俺も思う。」
「わ、私もここで知り合ったばかりなのにとても優しくしてもらって…」
「僕も充分信頼に値する人だと思います。」
「そもそもあの男の人が魔物ならこんなことまでして何かメリットはあるんですか?」
老人たちはお互い顔を見合わせていたがやがてゆっくりと頷き、篠崎たちに優しい口調で言った。
「…わかった。君を含めその男のことを信用しよう。」
「っ!本当ですか!!」
篠崎はまだ涙が止まらなかった。ただ、その意味は既に変わっていた。
岸路が篠崎に笑いかける。
「よかったな真衣。信用してもらえたじゃん。」
「その…ありがとう美聡。美聡が出てきてくれなかったらどうすることもできなかったし…」
「お互い様だよ。疑うかどうかはともかく私たちは解放されたんだしね。」
「俺からも礼を言わせてもらうよ。よかったら洋館の方にもきてくれ。それなりの礼をさせてもらう。」
「それじゃあ遠慮無く行かせてもらいましょうかね。真衣とも色々話がしたいし。」
一方で人々も自分たちの町へ帰る準備をしていた。
部屋を出る前にはそれぞれが男へ礼を言って帰って行った。
「さて、私たちも帰りましょうか!」
「そうだな、こんなところに長居はしたくないしな。」
階段へのドアを開け三人は部屋から出ていった。
その直後部屋に不穏な影が現れたことには誰も気付かず…