ラヴパンチ!
部屋には陽気な音楽が流れていた。
チープな印象のくたびれたソファには、見るからに爽やかな美男子と貧相な体付きの白装束の男が並んで座り、楽しそうにテレビを見ていた。
床では平凡な青年がなぜか知らないけれど牛の頭蓋骨を抱え込んで眠っている。
「は〜い♪今週もやって来ましたぁ毎週金曜夜八時〜あなたの胸に悩殺ドキュン♪ラヴパンチ!という事で司会のサラ・ブライドンです!さぁ今週もどんどんイっちゃうわよ〜用意はいいかしら?せ〜のラぁ〜ヴパンチ!」
「ラヴパンチ!」
テレビを見ていた二人はにやけ顔でつられる様に
「ラヴパンチ!」
とポーズを決めた。
両手に拳を作り、それを腰まで持ってきて、今度は腰を淫猥に突き出すのだが、その瞬間に
「ラヴパンチ!」
と言うのだ。
「この司会のサラって娘いいよね。この娘のラヴパンチてチョ〜エロくてマジいいんだけど。」
テレビを見ていた白装束の男が画面に釘づけになりながらもそう言って、再度ラヴパンチした。
「わかるわかる!確かにいいですよねぇヤバイすよねぇ〜あの尻がいいですよねぇ!」
爽やかな美男子も白装束の男に同調しながらラヴパンチした。
「にしても…ゴクッゴクッ…ぷはぁ!ビールうまいじゃねぇかよ、畜生!なぁ?」
白装束の男が缶ビールを飲みながらもう一度ラヴパンチした。
「そんな事言ってカラスさんいつも酒ばっか飲んでるじゃないすかぁマジで酔いどれ侍って感じすよねぇ〜ラぁヴパーンチ!」
「酔いどれ侍って…いっやぁ参ったなぁモズは何でもハッキリ言うんだもんなぁ〜全く!ははは。」
「これが俺のいいとこじゃないっすかぁ何言ってンすかぁ」
「うわぁうぜー。」
「うぜーとは何すか!ひどくないっすか?」
「全ッ然。全然ふっつーだし」
などと二人がじゃれあいながらテレビを見ていると玄関の扉が開いて、買い物袋を抱えた長身の男が部屋に入ってきた。
「あ、おかえり〜」
「おうただいまー…って…ヲイ!!カラス!カラスじゃないか!なんだお前…なんだよー!帰ってきてたのー?」
「うん」
「そっかぁ、なんだぁ」
長身の男は驚きと再会の喜びが入り混じった表情を浮かべ、買い物袋をテーブルの上に置くと、再度白装束の男に話し掛けた。
「で?どうだったのよ仕事はさ。お前ザフー興国まで行ってきたんだろ?」
「うん普通だった」
「普通ってお前…なんか無いのかよ土産話とかさぁ大体ほらカラスの請け負った仕事って前にオウムが失敗して逃げ帰ってきたやつなんだろ?確か兵士にボコボコにされたって時のさ。」
「うんそうだよ」
「で、どうだったの?」
「だから普通」
「本当にそれだけ?」
「うん」
「…なんだつまらん」
「まぁまぁいいじゃないっすか、カラスさんがこうして無事に戻って来たんだから。それでいいじゃないっすか」
「まー確かにモズの言う通りだね。」
「そらそっすよ、これでまたみんな仲良くチームで動ける訳だし」
「そうだよな。ってアレ?インコは?まだ来ない?」
「そういえば来ないですねぇ。もう八時回ったすんけどねー。」
「え、何、今日インコ来ることになってんの?なんで?」
「仕事の打ち合せだよ。仕事の打ち合せ。」
「仕事かぁ」
「そ、仕事」
「それよりホーク、何買って来たの?」
「あん?」
「いや、それ。その買い物袋だよ。その買い物袋ってゆーか中身ね」
「あ、そうだ。これご飯だよご飯。買ってきたんだよ。せっかくだから食べない?」
「何があんの?」
「あ!コレ俺の好きなやつだ。おふくろの味、納豆とトマトの激辛煮!俺コレでいいっす。」
「・・・・・・・。」
次いで長身の男も白装束の男も適当に買い物袋の中を漁り、気に入ったご飯を食べ始めた。
暫らくすると長身の男の足元にたくさん蟻が集り出していた。
一応それに気付いた長身の男がその中の蟻を一匹捕まえて、ひょい、と摘み上げてよく見た。するとどうだろう。蟻は
「放せ!」
と言わんばかりにジタバタ暴れるのだが、しかし、長身の男に摘まれて暴れていたのは、蟻と言うよりか、おっさんなのである。
禿げ頭のおっさんの頭部を搭載した蟻。
あるいは、蟻のボディを持つ小さなおっさんとでも呼ぶべきか、とにかくそういう風の不思議な生物がジタバタしているのである。
という事は要するに長身の男の足元に集結している無数の蟻達はみんながみんなおっさん蟻なのである。
おっさん蟻が一杯いるのである。
「あ、おっさん!」
長身の男が摘んでいるおっさん蟻に気付いて、爽やかな美男子がストレートな声を上げた。
「あ、ホントだ。おっさんだ。うわ、しかも一杯いるじゃん」
「オウムのおっさんだよね?コレってさ」
「そうですね、オウムが連れてるおっさんですよね明らかに」
「でもアイツはほらそこに寝てるじゃん?」
「なんだろうな。寝てても集まってくるって事は力が漲ってきてるんじゃないの?いや、わかんないけどね」
「今日は蟻ですかぁ」
「つーかどーする?オウム起こす?」
「えーいいっすよ。オウムを起こしても問題は解決しませんよ」
「むしろおっさん増えそう…」
「ははは。確かにそれは言えてるよ」
「ホークさんおっさんはその辺にうっちゃっといてご飯食べないと冷めますよ?」
「おお、そうだな。えいっ!こんな奴!」
言いながら長身の男はおっさん蟻を軽く指で弾いた。
おっさん蟻は弾かれるや、ぴゅうっと飛ばされテーブルの足に当たって着地した。
八時半。
部屋では相変わらず陽気な音楽が流れ、床に牛の頭蓋骨を抱いて眠る青年の姿があった。
長身の男と白装束の男は食後の一服を点けて、爽やかな美男子がテレビ画面を見ながら例の如くに
「ラヴパンチ!」
しており、部屋の中にはなんとなくダラダラした空気が流れている。
長身の男は黒い煙草をくわえて、爽やかな美男子が
「ラヴパンチ!」
しているのを怪訝にか、あるいは不可解にか思ったのだろう、そういう納得のいかない様子・素振りで口を開いた。
「なぁモズ」
「はい、なんすか?ラぁヴパーンチ!」
「お前さっきから何やってんの?何なのそれ?その変なポーズと掛け声はさぁ」
「へ?見れば分かるじゃないすか。ラヴパンチっすよラヴパンチ!」
「だからそれは何なのかって聞いてんだよ」
「何って言われても…さぁ?」
「アホらしいから止めろって」
「えー…」
「いいから止めろ」
「何でなんすか?結構楽しいっすよ?」
「お前ヤバイよ。絶対ヤバイ。こーゆー訳分かんねぇものを楽しいと感じるなんて凄くヤバイと思うよ。だから今すぐに止めろ」
「ホークさん言ってる意味が分かんないです」
「意味分かんねぇのはお前の感性とその奇妙なポーズだよ!あー、お前みたいな奴が怪しげな新興宗教にハマって事件起こすんだァ…なるほどねお前を見ていてよく分かったよ」
「はー、もーッ!カラスさん、なんか言ってやって下さいよホークさんに!」
言われた白装束の男は黙って立ち上がり、長身の男に見せ付ける様に
「ラヴパンチ!」
した。
「ぬあッ!カラス!お前まで狂ったのか!?ヤバイ!絶対君たちはおかしい!あーやだやだ」
言って長身の男が顔を背けてたが、それでも白装束の男と爽やかな美男子は勝ち誇った様に執拗に
「ラヴパンチ!」
してみせる。テレビ画面では下着姿の金髪ギャルがやらしい腰使いで
「ラヴパンチ」
して、そのいかがわしさ、淫猥ぶりを増長させていた。するとどうだろう、どこからともなく
「へけけけけ」
という不気味な笑い声が聞こえてくるではないか。
三人は一瞬ビクッとして硬直したが、互いの顔を見合わせて、一斉にある方向へ向き直った。
三人の視線の先には、どこにでも居そうな普通の格好かつ平凡な顔立ちの青年がなぜか分からないが牛の頭蓋骨を抱き抱えて座っている。
青年は抱えた牛の頭蓋骨を優しく撫でながら、またも不気味に
「へけけけけ」
と笑う。
「あぁオウム起きてたんだ…おはよう」
爽やかな美男子が更に爽やかな笑顔で青年に話し掛けたが、しかし。
返ってきた返事は不思議な言葉だった。
「ふふふ、淫怪の舞踊は人を惑わし、揚げパン、血肉にも似た母さ。皆さんおはよう」
青年はこんな調子で言葉を切って、三人に向かって背を向けた。
しかし爽やかな美男子は尚も青年に向かって喋り掛けた。
「ねぇドロシーはどう?今日は機嫌いい?」
その言葉を聞いて青年は突然振り向き、血相を変えて叫んだ。
「気やすくドロシーを呼び捨てにするな!ドロシーの機嫌がいいか悪いかなど君には関係無いだろう!余計な詮索はしないでくれ!」
青年は直ぐにまた三人に背を向けると
「煩いねぇドロシー」
と言って牛の頭蓋骨を優しく優しく撫でた。
ムッとした爽やかな美男子が何かを言おうと身を乗り出したが、長身の男がすかさず
「まぁまぁ」
と言って制す。
白装束の男が放心した人みたいにそういった様を眺めていたが、青年は何を気にするでも無く牛の頭蓋骨に何事かブツブツと囁き掛けて撫で回すだけだった。
青年の周りにはおっさん蝿が集っていた。
爽やかな美男子が思い出した様に
「インコさん遅いっすね」
と言った。
「あぁそういえばそうだよな」
長身の男が時計を見ながら返事をする。
時刻は八時四十五分。
白装束の男がビールでも取りにいこうかと立ち上がり、キッチンへ入ると不意に入り口の扉がガチャッ。
音を立てて開き、そこから黒いスーツ姿の男が入ってきた。その姿を見るなり白装束の男は
「おお!インコ!久しぶりだなぁ」
と言って笑った。黒スーツの男は白装束の男を見るなり、こちらも
「おうカラスじゃねぇかてめぇ帰ってきてたのかよ」
と言って笑う。
暫らくキッチンで談笑した後に二人が部屋に入ると、長身の男と爽やかな美男子が
「インコ遅いぞお前」
「インコさん待ちくたびれましたよー」
などと言って不満気に黒スーツの男を非難した。
「うるせぇぞてめーら俺の話を聞け!」
黒いスーツ姿の男は怒鳴り、それからソファに腰掛けた。
「仕事の話ですか」
爽やかな美男子が真剣な表情で言う。
「ああそうだ」
黒いスーツの男も同様に真剣な面持ちで言う。
「実は時間が無ぇ。決行時間は午前零時予定なんだが場所が少々遠くてな」
「少々遠いって場所はどこなんですか?それにターゲットは誰なんすか?」
「場所はガルーダ市のエンリコファミリーのアジト…今回のターゲットはエンリコだ」
「マフィアかよ」
「そうだ。エンリコファミリーは今昇り竜の勢いで勢力を伸ばしている超好戦的武闘派組織だ。
狙いはボスのエンリコなんだが、先方が特別にオプション契約を提案してきてな。
組自体を潰せば報酬を三倍出すってよ」
「三倍!?」
「おう三倍だ」
「すげぇ!」
「で、俺は勿論エンリコファミリーをブッ潰して三倍の報酬を頂こうかと思うんだが…
どうだ?カラス。
来るか?
正直てめーが帰ってきてたなんて全然知らなかったからよ、実は数に入れて無かったんだが…」
云いつつ、アゴ髭をさする黒いスーツの男。
白装束の男は黙って黒スーツの男を見つめていたが、突如日本刀を二本掴むと立ち上がり、天井を仰ぎ見た。
そして。
「やる」
決意に満ちた短い言葉を吐き、フッと笑った。
長身の男と爽やかな美男子は肚の中で
「人数が増えたら一人ずつの取り分が減るじゃねーかよ!余計な事言うなよインコの馬鹿ぁぁ!」
と激しく非難した。
「そうかやるか」
黒いスーツの男はニヒルに笑い、ソファから腰を持ち上げた。
「インコ。もう出るんだろ?ガルーダ市まで車で飛ばしても三時間近くかかる。そろそろ出なきゃ時間に間に合わない」
「そうだな。んじゃ行くか」
「殺り方はいつも通りなんすよね?」
「当たり前だろ。下らねぇ質問するな」
「よっしゃ!
おいオウム行くぞ。
いつまでもドロシーを撫でてないで車に乗れ」
「へけけけけ。
五つの首、五つの因果、豊穣が夢なら肥沃は希望のオペラ。
皆さんよろしく」
「…うおッ!
またおっさんが出た!
オウム絶好調だな」
「ははは。」
「気持ちの悪い絶好調だけどな」
五人は関係無い話をしながら外に出た。
夜の闇、邪悪な雰囲気の雲が天を覆い、空気の密度が心なしか濃い気がする。
微かに風もあったかも知れない。
「雨が降る。ベラドンナの舌先を濡らす雨が」
青年が牛の頭蓋骨を抱き締め呟く。
「ああその通り。雨が降るよオウム。
真っ赤な血の雨がね」
車に乗り込みながら爽やかな美男子が爽やかに言った。
黒スーツの男が運転席に乗り込もうとした時、まだ車外に居た長身の男が可笑しなことを聞いてきた。
「なぁインコよ」
「なんだうるせぇな。早く乗れよホーク」
「お前さ、ラ、ラヴパンチって…
…知ってるか?」
「あ?当たり前だろーが馬鹿かてめーは。
いいからさっさと乗れっての!みんな乗ってんだぜ?」
「そ、そか。悪い…」
かくして五人の男達を乗せた車がガルーダ市へ向けアクセル全開で走り出した。
時刻は午後九時。
死神が眠るには
まだ早い―…。