河童と少女
私は久楽々澪 (くらららら)。この町で女子高生業を営む十七歳。今日も一人で小さなこの町をパトロール中なのだ。
放課後にファミレスで女子トークだの、カラオケでフィーバーだののギャルギャルしい生活を謳歌したい気持ちをするりと呑みこんで、ちょっぴりの涙ものんで、平和に身を捧げる聖女と呼ばれるべく日々を奮闘するのだ。
制服を着こなし、鞄を片手に日の高い夕刻を歩く私。
薄い影は必要以上にスタイル抜群で、電信柱のそれと長さを競う。
人目を忍んで擦り足はスキップへとギアチェンジし、前から来る自転車を察知しては足の裏がアスファルトを好きになった。
そんな私が向かう先は近所の池だ。
ぴぴぴっと私のアンテナが受信した政府からの機密情報によると、最近その池周辺に妖怪が現れるという密告があったらしい。
「妖怪だなんて、なんて物騒な。まぁ、肝試しも近い季節ですもの。妖怪の一匹や二匹も出ましょう」
心の世論調査で公害判定がでたその危険分子を調査するために、ハンカチで汗ぬぐい現場に向かうのです。
「つーいた!」
人気のない廃工場の影にあった例の池。伸びては先の枯れた雑草に囲まれた、どろどろと食欲を減退させる緑色の池。
池というよりはもはや沼に近い。ひとたび片足でも着こうものなら、永久に鈍足落下を已む無くされそうな危険な香りが鼻をついた。
これは何か出る気配。
むむむっと唸りながら張り込みに従事しようと辺りを見回した。
「おいおい。なにやってんだ?」
少し遠い後方から男の声がした。
「で、でたな!妖怪!」
投げられた声に振り返り、鞄を盾にする私を見て怪訝そうな顔で威嚇するのは、長身細身の薄髭男。よれよれのスーツを着ているわりに、靴ではなく便所サンダルを履いている。
「なんだお前?」
「わ、私はこの池周辺を調査に来た政府の使者である」
「役人なのか?女子高生にみえっけど…」
だらしなく、のそのそと歩み寄る男。
「まぁ、なんにせよ、お嬢ちゃんみたいなのが来るところじゃないぜここは。早く帰りな」
そう言って手に持った長い棒で来た道を指す。
「て、てろりすととは交渉しない!すぐにここから立ち去るのだ!」
「テロリストって…。たしかにここは俺の家ではないけどよぉ…」
苦笑いを始める男。
「違った。あなたはきっと妖怪、ようかい、河童!かっぱだ!」
唇で正方形を描いて唖然とする男と、しばらく沈黙を享受した。
そして、大声で笑い始める。
「ややや…。どうした河童?」
「いやいや、わりぃわりぃ…。そうだよ、俺は河童さ!この沼に住んでるんだぜ。ここは俺の土地だ。はよ帰りな、嬢ちゃん?」
「帰らぬ!河童の生態を調査して上に報告しなくてはならない」
「へいへい。ほんっと面白いのなおまえ。じゃあ俺の生活を好きなだけ調査しなよ?」
ここから私のひとりよがりな救世主活動は始まった。
一日目。
河童はキュウリを好んで食べることで有名だが、そいつはちょっと現代風でコンビニの栄養スティックをがじがじ食べていた。
私も購買部の裏ルートで支給されたパンの耳を横に座ってがじがじかじった。
二日目。
朝学校前に寄ると、眠そうな顔で河童がうろついていた。
河童はどうやら池周辺に人目を忍んで寝泊まりしているらしい。
こんなご時世も手伝ってか、妖怪には少々生きづらい世の中なのかもしれない。
三日目。
休みなので昼から調査を開始すると、河童は空き缶を大量に集めてなにやら満足げだった。
鉄くずを溶かして対人兵器でも鋳造するのかと危険視していると、家(廃工場)の中の見学を許可された。
中には大量の洋書が積み重なり、本の塔がいくつもそびえ立っていた。
河童の公用語が英語だったのには驚きだ。それとも妖怪もグローバル化の時代なんだろうか?
四日目。
パンの耳を大量に持っていくと、頭を撫でられた。
家に帰った後に頭上に皿が生えてこないか心配で念入りに頭皮を洗った。
そう言えばあの河童は頭に皿がない。
現代社会の荒波がどうとかひとりごとを漏らしていたので、波にさらわれて皿割れたのだろう。
我ながらいいセンスだ。
五日目、六日目、とんで一カ月の月日が経った。
私は夏休みの最中も極力調査に励み、すっかり河童と仲良くなってしまった。
池周辺では、コンクリートジャングルという不慣れな地質と熱帯夜の強襲による深刻な水不足が発生していた。
そのため、私は自宅から2リットルのペットボトルを三本持参して河童の発育を促進させ、そのレポートのネタにする。
そんなある日のこと―――
「河童!今日も美味しい水道水をもってきたぞ!感謝するのだ!」
すると本日は何か思いつめた顔で、私の目を見ずに生返事をする。
「あぁ、どうもな」
「どうしたのだ河童?」
無言で読んでいた洋書を閉じ、遠くを指さす。
「あ!」
その先には、黄色いフォルムとこびりついた土。
工事用の乗り物軍団があった。
「もうじき、ここも立ち去らないとな…」
鼻から溜息が洩れる。
「河童は、もうここにはいられないのか?」
「そうだな、わかってたことだけどな。これも社会の荒波ってやつかな」
「そうか…」
「そんなしょんぼりすんなよ。お前はいつでもあほの子やってろ」
洋書で頭を叩かれた。
「いたっ!むぅ…」
軽い激痛は頭のてっぺんを通り越してもうちょっと深いところに至った。
「おいおい…泣くなよ」
「うるさい!尻子玉が痛いのだ!河童め…」
池を追われるはずの河童は、どこか清々しく、妖怪の面構えとしてはイマイチ迫力を欠いていた。
「また会えるよきっと」
「会えないと困る!まだまだ調査することがいっぱいあるもの!」
河童は何も言わなかった。
そして次の日から、河童はいなくなった。
干からびていた池は掘り起こされ、廃工場は廃れを増して廃墟となった。
なんとなく立ち寄ってしまう私はアスファルトを流し込むおっさん達に煙たがられ、思い出の蒸気は空に昇っては夕立となり頬を濡らした。
―――結局のところ、もとより居場所のない私は下校中という強制と憂鬱の途中休憩に、再び楽しげな足取りで街を走り回った。
冬が来て、春が来て、夏が来て、思い出の匂いに消臭剤をふりかけて机に突っ伏していると、どこかで聞いたようなサンダルの音がした。
聴覚の蜃気楼汚染が激しいので、耳栓でもしてノイズを15%削減しないと…。
「今日から英語の非常勤講師としてみんな授業を担当する河原です。よろしくおねがいしまーす」
黒板の前には背が高く、綺麗なスーツに便所サンダルのイマイチ活気のない男が立っていた。
そして照れ隠しにポケットに手をつっこんでうつむき、こう言うのだ。
「あだ名は河童なんで、みんな河童って呼んでくださーい。以上」
私は久しぶりにひとりで大爆笑して、クラスの数人もつられて笑った。
残念なくらい一部の人にしかわからないそのギャグに、渇いた心が潤ったのだった。
干からびた心が潤ったのだった。
誰が何と言おうと…ギャグなんだからね!