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伊万里の聲

作者: 十司 紗奈

 骨董屋が並ぶこの通りに、僕が喫茶も兼ねた店「一閑人」を路地の奥に開いたのは、半年前のことだ。デザインの仕事を細々としており、その収入で自分一人なら食べていけるので、ほぼ道楽で始めたのだが、客足は遠く、パソコンでのネット販売に重点を置こうとしていた矢先の事だった。

 ある昼下がり、店先に人の気配がした。

「どうぞ、お入り下さい」

 僕はパソコンの画面に目を向けたまま、声をかけた。古い町屋を改装して作ったこの店は、入口で靴をぬいで入らなければならないので、初めて来た人には、なかなか入りづらいようだった。

 衣の擦れる音と、白檀の香りがして、画面から目を上げた。昼間でも薄暗い店内、オレンジ色の照明の下に立っていたのは、切れ長の目に陶器のような白い肌の、着物姿のすらりとした女性。白地に赤、青、緑の草花が染められ、金糸の刺繍が施された、今時珍しいくらい手の込んだ着物。まるで伊万里を柄にしたかのような。

 彼女は他のものには目もくれず、坪庭の近くにある棚に飾られた小皿の前に立った。

「江戸後期の伊万里です。四枚しかないので、お安くしておきますよ」

「……一枚、見つけて下さい」

 ポツリを彼女が呟いた。一瞬、耳を疑ったが、相手は同じ台詞を繰り返した。続けて。

「足元にあります。来月十日、もう一度伺います。それまでに、そろえて下さい」

 そう言うと、静かに店を出て行った。白檀の香りだけを残して。

 最初はただのひやかしかと思った。が、どうにも気になる。足元、なんて言ったので、念のため店内の棚の足下の引き戸を全て開けて探してみたが、見つからない。当然なのだか。

 もしや、と思い、僕は近くの店を一軒一軒覗いて回ったが、この骨董屋が軒を連ねる場所で、たった一枚の伊万里の皿を見つけよう、とするほうが無茶なのだ。

 約束の日が近づいてきた。諦めかけた時、この通りで最も古い店の一つが閉店することになり、全ての商品を売り出す、という噂を聞いた。僕はダメもとで、足を運んでみた。

 状態の良い漆器、アンティークガラス、戦前上海あたりから渡ってきた陶器の置物……やっぱり無いな、と店を出ようとした時、古い木の盆の上に並べられた雑多な物の中に、埃をかぶった皿を見つけた。

「……これだ」

 一枚だけだったし、思いがけない程の安価で手に入れる事が出来た。店に戻って埃を落とすと、間違いなく足りなかった伊万里の皿だった。こんな事もあるのか、と正直驚いていた。

 約束の日、僕は彼女が来るのを待ち続けた。が、客一人訪れない。閉店時間が近づいて、やっぱりひやかしだったのか、と店を閉めようとした時。品の良い和装の老婦人が現れた。嫁ぐ孫娘の花嫁道具の一つに骨董の食器を持たせたい、という。

「最近の若い人は、食器なんてこだわらへんのやろうけど、ええもん一つは持ってはって欲しいさかいに」

 そう言って丁寧に店内を眺めていたが、例の伊万里の皿の前で立ち止まった。そして、これをと所望した。

「……うちが『いとはん』て呼ばれてはった頃、家にあったお皿によう似たはる……」

 目を細めて懐かしそうに言い、僕がお祝い用に包装した皿の入った箱を大事そうに抱えて帰って行った。窓の外はすっかり暗くなり、オレンジの灯が明るさを増したように感じた時、ふと白檀の香りがした。

「……これでご満足か?」

 どこへともなく僕は呟いた。その香りは暫し、鼻先をくすぐり、やがて消えていった。



物には心が宿る、という話はよくあるものだと思います。ストラディバリウスという名器は、自ら演奏家を選ぶとか選ばないとか……500文字小説ではありませんが、ちょっと書きたくなって書いてみました。

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― 新着の感想 ―
[一言] いいですね^^ なにか心が洗われるような清々しさを感じさせてくれるお話でした。人物の心の起伏を大げさに描かず、どちらかと言えば風景に溶け込むがごとく淡々と語りきっているところが素晴らしい。古…
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