入部
「杉林さんって身長高いよねぇ、どのくらいあるの?」
「え? まぁ、なんと言いますか……」
そこまで興味有り気に見えないが、聞かれたからには答えてあげねばならぬだろう。妙に隠すことではないのだが、だからといって大袈裟に振り撒く情報でもない。殊女子に於いては――最も私個人の考えであるが、身長が高いのは困り者なのだ。
否、正確に言うなれば、似合えばいい。凛々しく、格好よければ良い。だが明らかに”かわいい”系統の顔造りなのに身長が一七○センチとかだともう――意外とありかもしれない。想像してみると案外そのギャップが良い。だが基本的には、ちっちゃい方が個人的に好きである。断言してもよかった。
だから私は、傍らの名も知らぬ少女の耳元でその情報を囁いた。吐息が耳にかかるらしく、彼女はくすぐったそうに身をよじる。が、間も無く彼女は驚いて身を引くと、嘗め回すように私の全身を視線で往来させ、その顔に輝かんばかりの笑顔を満たせていた。
「大っきいねぇ、バスケとかやらないの?」
「スポーツは苦手でして」
「なーる、だから”文化部”に来たんだね?」
「えぇ」
――時は放課後。昨日の好き放題にされた出来事から一日と少しが経過した頃。
私はホームルーム棟を一回り小さくしたような校舎、一般的に文化部棟と呼ばれる、文化部に与えられた部室棟の一室に来ていた。目的は無論、
「入部資格は特にないと聞いたのですが」
にこやかに笑う少女は、私の身長に注目しただけあって、その背丈はそれほどまで高くは無い。具体的に表現するならば、その頭頂が私の肩半ばで終えているというところだろう。
そんな少女は胸のタイを真赤に染めて、学園での第三学年だということを主張していた。胸は無く、すらりとした身体はだからといって幼児体形ではないらしく、といっても、ぱっと見て分かるのは安産型というところだけなのだが。
大きな瞳は琥珀色に染まりあがり、見つめれば吸い込まれてしまうような魅力があった。小さな頭は私が両手で挟み込めば瞬く間に割れたスイカのような惨状を引き起こせそうな儚さがあった。つまりはとても――可愛らしかったのだ。
だから私はソレを口にした。
途端に部室内に居るその他部員は怪訝な顔を、視線を私に投げる。しかし部長を名乗る彼女だけは引き攣った笑顔を保っていた。
「許可降ろさなくてもいいかな?」
「ちょ、冗談ですって! 止めてくださいよこんなくだらない洒落で入部できなくなったとか」
私が入部志願したここはつい先年まで同好会として、経費削減の為に今にも潰されそうな人数しか居なかったのだが、今回の入部者多数のお陰で部活動に成り上がった場所だ。かつ、私の趣味を適度に押さえ、わたしはココに居ていいんだ、と思わせるような部活だった。
だから私は志望した。
「ごめんね?」
「ま、マジッスか?」
一度部内全員をドン引かせたのがいけなかったらしい。しかしたった一度の事だ。そこくらいは広い心で許してくれてもいいものなのだ。
が、彼女は困った笑顔で入部届けを付き返した。
だから私は失望した。
――大人しく退室した私を待ち受けていたのは、今回の入部大作戦に付き合ってくれている粟田栗子だった。
彼女は彼女でテニス部に入りたいなどとほざいていたので、その見せパンツならぬアンダーウェアで発情期の男をホイホイ誘って青春を満喫するのだろうこの糞売女と勢いづいてほえ面を掻いて見せると、彼女は往来の、可哀想なモノを見る面で私を眺めていた。
そして次いで、私の心情を見事に察した彼女は、アンタ一人だけだと不安だから、とわざとらしい理由をつけて一先ず私の部活探しを手伝ってくれる事を約束してくれたのだ。やはり旧友は偉い。なによりもこういったところが、話が早くて済む。
学園で知り合った人間ならば、まず始めに私の言動でケンカになって無駄に時間を過ごしてしまうだろう。いや、そもそもそんな大胆な発言をすることになるまで私の心は緩やかになっては居ない筈だ。
リンコは肩を落とす私を見て一つ、この愚図が、といった意味の言葉を独りごち、手にした部活動一覧表に視線を落とした。
「イラスト研究会もダメ……っと」
彼女はしなやかな指で持つボールペンを見事にさばき、部活動名に横線を引く。私はなんだか追い討ちを掛けられたような気がして、自然に溜息が漏れた。
リンコはその吐息を聞いて再び顔を上げると、今度は呆れた、というような顔で肩をすくめた。
「そもそもね、私から言わせればアンタの女装なんて仮装と同義な訳よ。なのになんでこういった扱いなのか、私には不思議でならない」
「そりゃ本来を知ってりゃあね。だけど、なんにも知らない人間が見りゃ完璧なわけよ」
「まぁ、私は殆ど昔のアンタの姿を見てるような感じだしね」
「つか、んな事いいから、次」
適度に口調を崩しての返答。彼女はハイハイと面倒そうに手を振ると、部活動名の羅列を指先でなぞる様にして横線の掛かっていない文化部を探す。今日から始めた部活めぐりは、だがこの時点で既に二桁に達する数を背にしていた。その多くは名前と、出回っている情報からの消去法で、実際に入部を希望したのはこの”イラスト研究会”の一つだけだった。
だがそれがダメだったのだ。
残るはまだ名前のチェックすらしていない、殆ど期待薄な部活だろう。下手をすれば部活動を諦めなければならなくなる。しかし、一度はこういった部活に入ってみたかった――と、杉林瑞希は言っていた。
――”俺”の影響を受けてこちらの方面にも興味を持ってそれなりに知識を付けていた時期があったのだ。その頃彼女は確かバレーボール部に所属していて、俺はバスケ部だった。本当は文化部系に入りたかったのだが、そもそも通っていた中学には文化部なんて存在していなかった。
田舎な事もあったし、在席生徒数の数が一○○人ちょっとな事が主な理由だったのだろう。
リンコが協力してくれたのは、そういった背景もあったお陰だと、私は考えていた。
「次――ねぇ。次は……この中でめぼしいものと言ったらコレ、かなぁ?」
リンコは促されてA4サイズの紙を流し見て、そして適当に私が気に入りそうなものを探してくれる。彼女はそれで、これが本当に正しいものなのか判断に困って、聞いてきた。
私は覗き込むように、彼女が指差すソレを見て――暫し思案の後、私は静かに頷いた。
文化部棟の廊下は酷く殺風景で、締め切られた教室の扉の奥からは楽しげな声が漏れ出す。しかし廊下の窓からは自然満載の景色が赤く染まりあがっていて、時間的に、この訪問が今日最後であろうと思われた。
だがどちらにせよ、今日が最初で最後というわけでもないのだが――などと考えながら、リンコと談笑しつつ、文化部棟最上階の最奥の教室へと向かったのである。
――たどり着いたその奥地は、近くに空き教室ばかりが目立つ、二階廊下の行き止まりの教室だった。ネームプレートにはただ”架空人生共有会”とだけ書かれており、それだけでは一体何を目的として活動しているか不明すぎて不気味なものだった。
そもそもここはまだ部活動として認められていない同好会で、人数はその数五。あと一人で正式に部活としての地位を持ち、生徒会から部費を得られる――が、こんな活動では、得た部費を何に使うか分かったものではない。そう直感的に感じるほど奇妙な名前だった。
緊張する。このスライドドアをノックしていいものだろうかと、今更になって躊躇った。
縦に切り抜かれる長方形ののぞき窓すらも見れない。不可解な名前だけが頭に残って、奇妙な恐怖が五臓六腑に染み渡る。身体が硬直し、指先から感覚が失せたような気がした。
相手だって人間だ。さらに学生で、その上この学園の生徒である。何を恐れる事がある。体育系部活動ならまだしもここは文化部だ。暴力の権化である不良はいない。いるのは、居たとしても奇人だけだ。そして居たならば逃げればいい。それだけじゃあないか。
だけど私の腕は動かない。
肉体はいつでも正直だ。
――扉の向こうには複数の気配。それを感じて、胸はどきりと疼いた。
「やっぱここは止めておこう。初めの印象が大事なのに個人的には最悪――」
コンコンと、言いかける中で突如視界の端から現れた影がドアをノックする。反則過ぎる不意の行動に私は呆気にとられてリンコを睨む事も遅れた制止をすることも忘れて硬直する。と、間髪おかずに返事が返ってきた。
こもるその声は、どことなく女性のものらしいだと、聞いて思った。
「さ、行ってきなさい」
リンコが待ちくたびれたような声で背を押すので、私はいよいよ決意を固め、腹を決めた。
怯えるように震える手はまるで他人の物のように勝手に動く。だが私の頭のどこかでこの腕を動かしている感覚はあって、結局自分はただ嫌なモノから目を背けようとしているだけなのだと理解した。
そう認識した瞬間から、全ての感覚が自分の中に収まり始める。失せた感覚はしっかりと存在し、指先が触れるドアの取っ手は、確かに冷たいと感じる事が出来る。だが正直嫌なモノは嫌なのだ。
そう考える隙に、私はドアを開けた。ガラガラと、いつもと何も変わらぬ音を日常的に鳴らして、やがて私と中の教室とを隔てる扉は消え失せる。廊下と教室は空間的に繋がる事になり、ノックからこちらへ注目していたであろう中の人間は、私の予想を裏切る事無くこちらを見ていた。
「あ、あのォ」
「中へどうぞ。そしてこちらへ」
扉の正面からやや離れた位置に立っていた少女の胸元に結ばれるタイは恐らく赤い色だろう。ならば恐らく彼女は三年生なのだ。
長い髪は下ろされて顔の半分を隠し、そして横を向いて教室の中心へと促す際に見えたのは、臀部に届かんとしている長い髪だった。いずれもその色は黄金であったが、その美しさは窓から漏れる夕日のせいで良く分からなかった。
一歩中に入り込むと、一般的な広さの教室のその中心に、長机が二つ対面するように並べられているが、その席に着くものは誰一人としていなかった。彼女は手前ではなく向こう側の机の、その真ん中辺りに腰を落とす。そして私に、自身の正面を手で指し促した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
先ほど感じた恐怖とはまた違う奇妙さが、今胸に抱かれた。恐れはもうない。極端すぎる判断はもう失せた。私の心には少しばかりの安堵が許されていて、故に許される限りいっぱいの安心を抱きしめる。
小さい溜息を最後に、私はようやく席に着いた。
「この棟をうろちょろしている人間が居ると聞いておおよその想像は付いている。出しなさい、入部届けを」
「いや、ちょっと――先に質問、いいですかね?」
「……? まぁ、その権利は十分にあるわね」
彼女は眉を潜める。私は心外だと心の中で叫びながら、気になっていた事を口にした。
まず初めに、一体どんな事を主体において活動をしているのか。
次に、何年生が何人ずつ在席しているのか。
さらに活動日、活動時間。顧問は存在するのか。部長は貴方で間違いないのか。入部資格など等。
聞いておけばある程度の警戒を解けるくらいの質問を投げると、彼女は一つ一つ、丁寧に、だが僅かな間も置かずに応答を開始する。
「どんな活動か? と言われれば、まぁ『架空人生』、つまり個々が妄想するもう一人の自分の人生を話し合ったり、物語にしてみたり、設定だけを書き綴って見たりする事が主な活動と言える。最ももう一人の自分といってもそれがこの時代の、この世界の自分とは限らない。同じ次元に住む自分とは違う自分でもいいし、異世界があったとしたらの自分でもいい。それは個人の趣味だし嗜好だ。そして最終目標としては、部を引退するまでにその”架空の自分になりきってみる事”だ。こんな事が出来るのは、こんな事が許されるのは私たちが子どもとして扱われるまでの間だけだと、私は考えている」
酷く淡々と説明する彼女であるが、妙な熱意が胸を突き刺した。何も感じなかった、といえば嘘になるだろうソレを、だけど私はひた隠し、頷いて次を促した。彼女は首肯し、ただ口を開ける。
「三年が私、さらにもう一人居る。並びは部長、副部長だ。次いで二年が三人。残念ながら新入生が来て一週間経つが、まだ一人も入部はおろか見学にすら来ていない」
さらに、と彼女は一つ息をおいて、
「活動日は特に決まっていないが、暗黙の了解として火、木の一六時から一八時までの二時間を原則としている。最も用事があれば欠席しても構わないし、最初から卒業するまで来なくても特に処分は決めていない。資格といっても特には無いが……話か、文章に達者ならこの部では重宝するだろう。顧問は同好会を作る際、担任の教員になってもらった。君には、今の教頭だといえば分かりやすいだろう」
「なるほど。それと――小説として綴っている人も居るって事ですか?」
「あぁ。文芸部より気が楽だ、という理由で在席る者も居る。だが基本的に私はよくわからないので良し悪しには口は出せないが」
「役者みたいに熱烈に架空の自分を語る人も?」
「うん。演劇部はレベルが高すぎ指導が厳しすぎるらしい」
「そういえば、部長さんが架空人生共有会を立ち上げたんですか?」
彼女は私が続けて質問すると、疲れた素振りもせずに頷いた。気のせいか、その表情は初めてみたときよりも生き生きとし始めていて――どうやら彼女は、彼女が話す架空の自分になりきっているらしかった。だからこそ徐々に口も達者になり始めて、見た目とは違う、男らしい凛々しさがそこにはあった。
――ここならば、大丈夫かだろうか。今私自身がこの三年間を賭けてしていることを、ここでは半ばお遊びとしてやっている。ならば、仮にばれてしまったとしても大丈夫なのではないか?
正確には、ばれたことは最悪だが、それを許容する仲間を作っておけるのではないか、という事だが……多分、ここなら大丈夫だろう。私は殆ど直感的にそう思った。
私は厚い胸板を押さえつけるコルセットを制服の上から触れて、小さく頷く。上目遣いに見る部長の顔は、酷く綺麗な造りをしていて、夕日も手伝ってか煌めいているように見えた。
――私はポケットの中に折りたたまれる数枚の紙の一枚を指先でめくってつまみ、そして机の上に置く。胸のポケットに突き刺さるボールペンを手にして穂先を出すと、そのままつらつらと『入部希望用紙』に学年、クラス、氏名を記入し、部長を名乗る少女へと差し出した。
彼女は予想通りと余裕を持った表情と、どこか安心したかのような表情とを混じり合わせた奇妙な顔で私を見ると、静かに手を差し伸べた。その手は女の子らしい、小さく柔らかい、全ての色に染まりあがりそうな白い手だった。
私は手を差し返し、強く握る。彼女はその細腕には相応しくないくらいの力で握り返し、にこやかに笑った。
――入学二週間目の水曜日。私の学園生活はここを境にして安定期を迎えた。