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架空人生  作者: ひさまた病
前説
7/17

最悪な再会 一回目

「ちょっと、貴女きみ……」


 私は教室に向かう。

 その最中に声を掛けられた。

 顔面を見事に打ち抜かれ鮮血を垂れ流した直後の事であった。


「私、何故だろう……見たことある……貴女の事」


 聞き覚えのある声。澄んだ、小鳥が囀るような静かな声音。私はこの声を、知っている……気がする。

 故に背筋が凍りつく。嫌な予感が、発想が脳裏にちらついた。悪寒が走る。気がつくと顔面の痛みは既に失せていて、変わりに猛烈な吐き気が襲い掛かる。額に脂汗が浮かび始めた。

 ――そんな筈が無い。

 そう信じたい。だがそれを裏付ける証拠はあるか? 私の、あるいは俺の知り合いが、友人の友人が、私の、ないし俺の存在を知る者がこの学園に来ていないという絶対的な根拠は存在しない。

 三学年全てを数えれば生徒総数は千に届く勢いだ。

 私はそれを調べる術を持たぬし、そして誰が自身の存在を認識し認知しそして現状とのちぐはぐさを指摘できる記憶を、知識を持ち合わせているか知らない。だから私は、今という状況においては完全なる無力である。

 雪山で仲間が倒れてしまったような焦りが鼓動に表される。妙な孤独感が、暗闇の中で開けた目が見る本当の闇を見出した。

 私は振り向けない。振り向かない。だから、背後の少女は如実にその気配を強くする。相対的に、彼女との距離は確実に狭まった。

 どくん、と胸が高鳴った。あるはずのない豊満な胸を締め付けるコルセットの所為で息苦い。呼吸が乱れるのは、先ほどの暴行が故だろうか。この現状に焦りを、危機感を隠せぬ私の動揺がもたらすものなのだろうか。私には分からない。


「……間違っていたらごめんなさい。もしかして、杉林――」


 果たして彼女の言葉は、その最中で遮られる。まるで狙ったように掻き鳴り始める、本鈴の音によって。

 彼女が伸ばしていた手はすぐさま引っ込められ、その気配は直ぐに遠のく。私の鼓動は安堵したように、その拍動を落ち着かせた。汗が額から頬へと流れる。肉体が弛緩する。途端に、熱い液体が鼻から滴り床に落ちた。

 クリーム色の廊下に、紅い花が咲く。私はそれを素知らぬ態度で踏みにじりふき取りながら、再び教室へと向かった。



 ――授業も終わり、流石琴巳から受ける心配の眼差しもそこそこに、帰宅の準備に取り掛かっていた。既に帰りのショートホームルームは終えていて、クラスの中は騒々《そうぞう》とざわめいている。

 カバンに必要なモノを詰めながら、琴巳の言葉を聞き流す。適当な相槌を返しながら、時折適当な話題を持ちかけながら、日常へと時間は流れる。私の心も、先ほどの腹中の喧騒を忘れてしまったように、酷く落ち着いていた。

 その時の事である。


「ねぇ、貴女――」


 耳元で聞こえるのは、昼休みが終わる直前でこの身を引き止め、ただでさえ落ち込み加減の気分をさらに蹴落とし踏み躙りした少女の声であった。

 私は肩を弾ませる。背後の気配が、突然敵意をむき出しにしたように、感じられた。今まで気付かなかったのに、意識し始めた途端にそうやって大きくなりやがるのだ。恐ろしい。正直言って逃げ出したかった。

 しかし――。

 そう、しかし。

 私の存在を、俺個人を知っていたとして、このちぐはぐを理解しているとは限らない。杉林瑞希と名を、性を偽ってこの学園に在席していると見抜ける筈が無いのだ。

 先ほどの授業を二時間分使って気分を落ち着かせ、そして冷静になった頭をフル回転させて導いた可能性こたえである。

 決め付けるわけではないが、普通に考えてそうだろうと私は考えた。そして十中八九、そうだろうという確信も持てた。

 故に私は、振り向けた。

 勇気を持てた。

 自信を掴んだ。

 この上ない熱意さえも孕んでいるような気もする。誰にも負けぬ勢いさえも生み出せる。

 この障害さえ越えれば、私は早くも一段階成長できるかもしれない。

 だから彼女の顔を見据えながら、笑顔で、調子の良い裏声で、問うた。


「なぁに?」


 大きな瞳は丸っこく、特徴的な可愛らしさがある。長い前髪はそんな目の片方に軽く掛かって、隠される。小さい鼻や、整った輪郭はその所為で顔を小さく見せるようで、相対的にスタイルの良い身体は、スレンダーに見えた。

 そんな彼女の姿を、私は今日初めて見た――と、言いたかった。少なくとも私の心中では振り向く前から幾度もそれを繰り返していた。

 だが、私は彼女を見たことあるのだ。

 そしてよりにもよって、やたらめったらに瑞希わたしと、そして俺と仲が良かった、共通の友人であったことを、思い出した。

 杉林瑞希が死んでから、彼女は大変心配をしてくれた。だから立ち直る事が出来た。結果的には、彼女の力のお陰と見てまず間違いは無いだろう。だから少なくとも感謝はしていた。しかし何よりも、俺は瑞希を進学させる事で頭が一杯になっていた。

 だから、進学し、入学する頃になると、彼女の存在はすっかり頭の中から消えていたのだ。

 都合の良い頭だと、私は我ながら嘆息した。

 いや、正確には都合が悪い。なにせ、こういった状況の事を、一切考えてなかったからだ。考える暇が無かった。まずその事について考えようという発想が無かった。

 自分が馬鹿なのか間抜けなのか気抜けなのか、分からなくなってきた。

 しかし、私はまだ一つの希望を抱いている――が。

 驚いた顔をする彼女を見ながら私は思った。

 希望は潰えた。


「……、ちょっと、顔、貸してもらえる?」


 自分をただのそっくりさんだと思ってくれればそれで良かった。そう思ってくれるものだとばかり考えていた。信じていたのだ。彼女がその――現実をしっかり見据えている人間だと。

 彼女は杉林瑞希が死んだことを知っているのだ。

 だからそう考えてくれるものだとばかり考えていた。

 しかし、そう来られると、私はもう何も言えない。

 この容姿を、名を、これ以上偽るわけにはいかない。というか、私がこの外観で、この杉林瑞希と云う名で居る事に意味があるのだ。そして彼女にだけ名を騙るなどと言うリスクを犯すことは出来ない。そして仮に騙したところで、そこにリスクなど存在しない。


「悪いけど琴巳、先に帰ってて」

「え? あ……うん。それじゃ、また明日ね」

「うん、また」


 神妙な顔で告げる別れに、流石琴巳は珍しく真顔になって頷き、手を振った。私は背を向け教室を出、先を促す彼女の後を追う。

 私は学園生活での死を覚悟した。


「――ちょっと待って、状況を整理しましょう?」

「その必要は果たしてあるのかな? 冷静になるだけで全ては解決すると思うのだが……」

「……そうね」


 廊下を歩く我々は肩で風を切っているであろう。だが私の心情は、既に息絶え絶えであった。恐怖におののいているのである。意識が既に途絶えそうなのである。足がすくみ、いつこの歩行が終えてもおかしくは無いのである。

 だが私は傍らにいる彼女と同じ速度を保っている。それは、彼女に手を繋がれているが故だろう。

 柔らかい、女の子らしい暖かさに手が包まれる。心地よく、安心できる筈なのに、私には彼女の顔が死神にしか見えなかった。

 ――どこへ行くのだろうか。階段を降り続け、一階に到着したところで私は思った。まず最初に考えるべき事であったのだ。だから代わりにとばかりに、私は昇降口に着いた瞬間にそう口にした。


「何処へ行くの?」

「その口調はやめて。それと、靴を履き替えて」

「あいよ」


 そう言って手を離すので、私は言われたとおり自身の下駄箱の前に移動し、上履きを脱いで拾い上げ、その中の靴を放り出す。軽い音を立ててスニーカーは床に落ち着き、それを見ながら上履きをしまいこむ。見事に並んだ靴に足を突っ込み、入り込む踵を簡単に出すだけで靴の履き替えは終わりだ。

 私はそれから昇降口を出て、その入り口前で待機する。

 ほどなくして、少女は現れた。


「それで、一体どちらに?」

 

 もはやこの少女に対して体裁を取り繕う必要はない。おそらく全てを見抜かれてしまっているのだろう。

 だからそんなふざけた様子で口にして、反応を窺う。

 顔を覗きこむようにして見ると――その眉間には皺が寄り、冷めた視線を返された。


貴方きみの家で落ち着きましょう?」

「あ? なんで……」

「話は長くなるから」

「ならん」


 ひしめくが如き雑踏。その中を突っ切って校門へ向かう。その小さな行進を阻む者は誰一人として居らず、故に死の宣告は如実にその数字を小さくして行った――。



「――という訳でさぁ。父さんも容認しているし、この美貌を以ってすれば誰一人としてこの俺が男だと気付けないんだ。お前一人を除いて、な」


 私――この状況に於いては”俺”であるが、そんな俺はたった今、これまでの行動を全て神に懺悔するように吐露をした。

 女装をするきっかけに、その目的。学園側も一部の人間はそれを知り、さらに加担してくれている事。なぜだかは、分からない事。だが今までは順調に進んでいた事。今日昼休みに顔面を殴らるという、悲しい事故があったこと。


「変わんないわよ、そのくらい」

「あぁ? 言っておくがな、俺がその気になればお前より美人だからなッ!?」


 勉強机の上には教科書が並ぶ。それに付属する椅子に腰掛ける俺は、数歩離れた位置にあるベッドに腰を沈める彼女に喚いた。

 陽光差し込む部屋の中、テレビをつけようとリモコンへと手を伸ばすが、反射の関係で見難くなっていることを確認して、取りやめた。

 それを見ながら、彼女はいきなり本題に入る。何の心の準備もさせぬまま、その言葉は核心を突こうとしていた。


「もし、まったく事情の知らない人間にばれたら? 学校側がよろしいと言っていても、社会的に生きていけないじゃない」

「だから細心の注意を持ってだな……」

「うっかり男子トイレに入っちゃう程度の注意? はっ、ちゃんちゃら可笑しいわ」


 っていうかね、と。彼女は怒気を孕む荒い口調で続ける。

 日の差し室温だけが上がりつつある中、彼女はブレザーを脱ぎ胸元のボタンを外し、俺は対照的に背筋を凍らせるように、額に汗を滲ませた。

 それほどまでに彼女の迫力は絶大なもので、そもそも俺はそんな彼女を見るのは初めてであったために、そうした悪寒にも似た感覚に襲われたのだろう。


「一番最初に見たとき、直感的に貴方きみだと理解したのは勘違いではなかったのよね」

「……何が言いたいんだ?」


 眉間に皺寄せ、大きく息を吸い込む。体温調整のための発汗が彼女の身体が熱くなっているのを教えてくれる。これが怒りのためなのだろうと理解できてしまっために、俺はヒステリックな叫び声を堪えるために目を薄くする。

 露になって始めて分かる、一般よりもやや大きめだろうと思われる胸元に汗が滑り落ちる。その瞬間、声が響いた。


貴方きみは酷く中途半端だわ。全てに於いて」

「……どこがだ? 学園では――」

「”全てに於いて”と言ったわ。たった今ね。貴方きみ貴方きみで居る事と、瑞希でいる事を両立しようとしている。それ故、直ぐに地が出せる、出てしまう儚さを持っているの。理解わかる?」


 俺は沈黙する。

 彼女は嘆息した。


「三年間、と言ったわね? 学園に瑞希の名を、存在を、そこに居たという事実を刻むために学園生活全てを奉げるって……?」

「……あぁ」

「体育はどうするの? 夏になれば水泳もある。着替えは? 進級すれば修学旅行だってあるの、知ってる? それ以外に日常でのハプニングが貴方きみに襲い掛かるわね。その全てが障害になって、その全てを完璧に回避しなければ、どれもが致命傷になってしまう」


 俺はその全てを回避できるか? その自信は?

 仮に失敗してしまったら。ボロを出して疑いを持たれたら。そして――俺が男性だと知られてしまったら?


「どうするの?」


 どうにも出来ない。俺に為すすべなど、とうに存在しないのだ。誰も守ってくれないし、誰もが認知してくれるはずがない。俺が安心して杉林瑞希として、学園生活を送れるわけがない。

 父さんが、教師が、友人が、そしてこの彼女が許してくれたとしても、その戦力は頼りなさ過ぎる。有象無象の大衆を相手にするとなれば、殆ど無いに等しいのだ。

 その場を解決するだけではすまない。誰一人として残さずに納得させなければならない。

 噂は一人歩きする。たった一人の疑念で更なる何かが勃発する。そしてそれは確実に俺を死に至らしめる。

 しかし、後戻りなど、とうに出来ぬ位置にいるのだ。


「どうにかする。それしかねぇだろ……」


 理想としては何も起こらない事だ。が、今既に彼女に見つかっているという事を考えると、その願いは酷く淡いものになってしまうだろう。

 俺は顔をしかめて、垂れる汗を顎から滴らせた。未だ脱いでいない、オーバーニーの上に落ちる水滴は、その上で少しばかり溜まってから、その身を消した。ただ濡れた後だけを残して、俺はそれを指先で擦って馴染ませた。

 彼女は割合に大きい態度で足を組み、背後に手をついてまた、幾度目かになる溜息を吐いた。


「もうここまで来ちゃったんだから私が責める事に意味はないわね……なら」


 彼女は上半身を勢い良く屈ませると、そのまま立ち上がる。僅か数歩にじり寄る様に近づくと、彼女を見上げる俺に向かって、手を差し伸べた。

 俺にはまるで蜘蛛の糸が如き希望に見えてしまうのが悲しいところだ。

 それほどまでに、俺には支えが無かったのだと、ようやく知った。学園生活が始まって一週間余りが経過した、この瞬間の事である。

 恐らく彼女から見たら、俺が女装していることよりも何よりも、その無防備さに腹が立ったのだろう。そう考えると、何故だか悪い事をしたような気になってきた。


「中学三年の付き合いがあるこの『粟田栗子あわたりんこ』が、協力してあげようじゃない」


 そんな事の思考中に、頭の上の方から、だがそんな高くは無い位置の、俺の視線の向こう側から得意気な声が降りかかる。その見下す視線は、どこか挑発的だった。

 ここで手を払ったらどうなるのだろうか。そんな不謹慎な事を考えてしまう俺は天邪鬼なのだろうか。無論、半歩分しかない崖の道を命綱無しで渡ろうとする登山初心者が如き危うさを持つ俺である。その、恐らく救いであろう手のひらを、女の子ならではの、酷く柔らかい、暖かい、包容力のあるソレを、掴まぬ理由わけがない。

 俺は彼女の、栗子の真似をしてわざとらしい嘆息を後にして、立ち上がる。

 瞬く間に栗子の頭は、俺の目線の下に移動して、そのままかまわず、手を差し返す。反射的に手は握られ、果たして俺は粟田栗子との協力関係を結ぶ事に成功した。が――。

 ――この彼女の登場が、杉林瑞希おれの学園生活を良くも悪くも揺るがすことになる事になる。

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