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架空人生  作者: ひさまた病
前説
6/17

最悪の出会い 一日目

 入学式や簡単な委員決めの、半ドンで帰れる日を含めて学園生活は五日を経過し、そして土日の二日間の連休を経て、私は再び学園ここに居る。逃げる時間も機会も既に一週間前に過ぎていて、私はここに来るしか術は無かった。ここへ向かう選択肢しか見えなかった。そもそも私は逃げる理由を抱いてなかった。

 今まで、この一週間を練習台にした私は、これからが本番だと、心を、身を引き締めた。

 風が生温い。激しい人の往来の中、ただ棒立ちする私は学園のホームルーム棟四階、その階段付近の廊下、窓の前に居た。時刻は一三時より十数分経過したであろう頃合。食事を終えた私は、一人ゲームに熱中し始める流石琴巳さすがことみを放置して自身の所用を為すべくここでとある人物を待ち合わせをしていた。

 穏やかな風情で自然を感じ背景と化す私は、肩にかかる髪を後ろへ流しながら独りごちた。


「遅っせぇな」


 腹の中はドス黒い。しかし誰がそれを知ることが出来ようか。この表面上では平均の顔面偏差値を持ち、そこから清潔さや髪型、服装の乱れや仕草などを駆使した上でレベルが高い人間に見られ始めたこの私を、誰がこの胸中を推し量ろうか。

 幸か不幸か、知り合いはそう多くは無いが、一方的に顔を知られている私である。愛想の良い面で接する私は、たとえ流石琴巳と付き合っていても、特定の偏見の目で見られることは無い。その影響は、流石にまで流れているらしく、持ち前の明るさ故に、同種でない友人も多いらしかった。


「あ、杉林さんっ!」


 甲高い声が九時の方向――左側から聞こえる。私はそちらへ顔を向けると、薄れ始める人ごみのなか、小さな影が俊敏に人波を避けながら迫ってきていた。その動きは酷く小動物的で、私の心を掴んで話さない。

 先ほどまでの不機嫌が嘘のように、私の顔に笑顔が張り付いた。


「や、ヒカリ」

「ご、ごめんね? 私が呼んだのに待たせちゃったみたいで……」


 うるうると潤う大きな瞳。その鮮やかさたるやトンボの複眼の如し。困ったように、申し訳なさそうに潜む薄い眉を見るに、どうにも怒れなくなってしまう。まるで幼児が手伝いをしようとしてうっかり皿を割ってしまったような、


「しょうがないなぁ」


 理由を聞かずともそのひと言で許せてしまういとおしさ。異性としてではなく、何か別の、愛玩動物の様な存在に感じる彼女はそれからまた一度だけ謝って、隣に並んだ。

 頭一つ、彼女は背が低い。その為に、隣に立たれると私は彼女の頭頂部しか見る事が出来ない。見れたとしても、視界の下の方で妙に存在を主張する、分厚い胸部パーツのみである。

 だがそれもお構い無しに、私の視線を淫らに全身に這わせるままに、彼女、小和瀬光こわせひかりは本題に突入した。


「杉林さんは、もう部活決まった?」


 私は首を振る。

 彼女の眼は一層輝いた。


「実はね、私友達と一緒にテニス部に入ろうと思ってるんだけど、杉林さんはどうかなぁ~って。だってだって、ほら、杉林さんって身長も高いし、運動神経もよさげだし、一年生にして期待のエースになれるかもって」


 身長が高いと言っても高々五尺八寸である。女子生徒の中ではそりゃ高いかもしれないが……。

 それに運動神経は確かに良いが、球技は、特に球を打ち返す系のスポーツは苦手である。

 そればかりは彼女の誤算だろう。嬉しくもなんともない、そのままの意味で残念な誤算であろう。

 このどちらの立場を知る第三者が居れば誰だってそう思う。私もそう思う。

 だが、部活に入る。それは良い発想だ。着眼点が優れている。この学園生活をより良いものにしよう、したいという努力が垣間見える。それだけで私は彼女を応援したくなる。だから私は大きく首を振った。


「私は文化系に入ろうかと。中学のとき、憧れてたんだけど文科系部活が無かったからねー」

「あぁ~。そうなんだ、残念。だけどまぁしょうがないよね」

「うん」

「もし色良い返事だったら、このまま一緒に練習見に行こうと思ってたんだよ~」

「はは、それじゃちょっと悪い事したかな?」


 いやいや。彼女は冗談っぽく両手を振って、それからいくつか世間話を始める。くだらない、どこでも話されているような話題の数々である。が、私にはその大半が分からなかった。洋服の話。ブランドの話。アイドル、有名人、芸能人、テレビ番組の話。その多くは私が恐らく関わらないであろう、”女の子らしい”話の種だった。

 だから必死にその会話に合わせて頷き――やがて予鈴が、校内に鳴り響く。後五分もすれば次の授業が始まるだろう。教師が教壇に立ち、挨拶もそこそこに前回の続きが開始される。私は、そして彼女は、否、この学園に所属する全ての生徒がその際に所定の位置についていなければならない。それは学園内での最低限のルールであり、常識であり、良識だった。

 故に、人の行き来が激しくなった、気がした。


「それじゃ、またね~」

「じゃね」


 人口密度が途端に低くなる廊下。全開になる窓から入り込む風は、心なしか冷たくなった気がした。

 彼女は大きく手を振ってから、私に背を向けて自分のクラスに戻っていく。足早に、何か楽しいことがあった子どものように。一方私は対して疲れたわけでもないのに、胸の奥から息を吐く。肩を落とし、三時の方向――右側を向いて、自身のクラスを目指した。


 その瞬間のことである。


 私が振り向いたその瞬間、大きな影が眼前に肉薄する。今まで感じられなかった、捉えようともしなかった有象無象の気配の一つが、途端に大きくなりやがった。

 私は息を呑む。

 時の流れが緩む。

 相対的に、意識の伝達が早くなる。

 大きく一歩引き、そのまま左足を外へ伸ばして迫る影を避けようとする。私の意識は完全にその行動の成功を未来に見た。

 

「うわっ――」


 が、肉体がそれに応じるかどうかは、その行動を完全に思惑通りの時間内で終了させられるかどうかは別の話である。

 ――男の声が耳に届いた。顔が此方に向いて、どうやら私の存在を捉え、認識したらしい。そして今までふざけあって押されて私に肉薄している最中らしいこの男はそんな声を上げ、慌てたように、振り向こうと腕を振り抜いた。

 低身長の可愛らしい少女ならばその鋭い肘鉄は頭上を過ぎるだろう。しかし悲しいかな、私の身長は六尺近く。男の等身とほぼ同等なのだ。

 故に、鋭く。

 故に、素早く。

 その肘は狡猾に私の右こめかみを撃ち抜いた。

 衝撃がそこを基軸に円となって周囲に広がる。まるで水面に雫が落ちて波紋が広がるように。その衝撃は瞬間、衝撃を空気中に伝えて――脳に突き刺さる。ただ頭蓋を叩き割ろうという攻撃力のみならず、その肘鉄と言う名の作用は脳を激しく揺さぶると言う反作用を起こして見せた。

 途端に、私の身体は大きく揺さぶられ、背後へ大きくよろめきそうになる。が、気がつくと、振り向きかけた男はその錯乱の最中に、私の足を踏んで居た。

 行動を強制的に封じられる。焦りに、不可抗力の事故に狂乱する男はさらに私に対して真正面を向こうと大きな動作で振り返り――裏拳が、この整う顔面を貫いた。

 刹那、意識が跳ぶ。

 鼻を叩かれた事によって冷たい痛みが脳に響いて染み渡る。思考が白く染まる。

 強く踏みとどまろうとした太腿から力が抜けた。また入れ直そうとする健気な努力を嘲笑うかのように、その行動は機会タイミングを逃していた。この身体は気がつくと既に、大きく背後へ仰け反っていたのだ。

 ――ノックアウト、と。ユールーズ、と。流石琴巳がこの場に居たならばこの男に憤慨するよりも早くそれを口にするだろう。

 私は結局、奇襲じみた連撃に耐え切れず仰け反り、そして踏ん張りきれずに倒された。背は無情すぎるほど硬い、アクリル素材が敷かれているかのような触感の廊下に叩きつけられる。視界が歪み、息が止まる。肺の中から根こそぎ空気が失われた。

 それから私の身体が落ち着くまで、ついで意識が朦朧とするまで一秒足らず。小和瀬光と別れてこの状況に到るまで一分足らず。

 廊下は人通りを少なくするも人は居て、そして廊下に出ているもの全てはこの惨劇を目撃していた。


「いっ、あ、あのっ、ごめん!」


 半ば悲鳴じみた男の声は、どうやら私に向けられたものらしい。しかし私は、予想以上のダメージによって、それに反応する元気を、気力を削ぎ取られていた。顔を上げると、深く頭を下げる男の奥には似たような男子生徒が二名居て、彼らは申し訳なさそうな顔で硬直するのみであった。

 顔が痛い。頭が痛い。無論、物理的に。

 仮に私に時を止める能力があったならば、確実に攻撃を受ける前に報復していただろう。攻撃を受けていないのだから報復というのかどうか分からぬが、少なくとも危機を与えてくれたのだから間違っては居ないだろう、と思いたい。

 

「いや、気にしないで」


 鼻の下を手で擦る。瞬間、鼻に激痛が走った。そしてまさかと思い手の甲を見ると、薄れた赤い液体がまだ乾かぬ内に視界に入る。私は鼻血を垂らしていた。

 そして端と気がつく。口の中に広がる濃厚な鉄の味は一体なんなんだ?

 ちょっとした吐き気が胸にこみ上げる。

 脈動と同時に、頭が締め付けられるように痛んだ。

 ――私はふとももまでめくれ上がるスカートを元に戻して身体を起こす。ブレザーのポケットからハンカチを取り出し、鼻に当てた。まだ確認はしていないが、恐らくワイシャツにこの鮮血が滲んでいるだろう。染み抜きをしなければ後に残る。面倒だ。

 目の前の男はそんな私の所作を見て、手を差し伸べた。私は構わず大きく前屈みになって床に手をつき、そこを支えにして立ち上がる。その刹那、全身から血の気が引いたように、意識が遠のきそうになる。いわゆる、眩暈という奴だ。


「ごめん! あの、大丈夫……ですか?」


 天国から地獄と言うのはこんな事を言うのだろう。

 先ほどまでは小和瀬と会話をしていてとても楽しかった。心が満たされた。今までの、そしてこれからの生活に自信を持つことが出来たし、参考にすることも出来た。さらに、単純に友人との他愛も無い会話としても笑いあえたのだ。

 だというのに、僅か一分未満で肘鉄を側頭部にぶち当てられ、怯む私をそのままに裏拳を顔面に突き刺す。狡猾な手段である。至極卑劣な行動である。許すまじ。許すまじ。

 だからか、それとも単純にその声が嫌いなのか、私の視線は鋭くなった。

 キッと彼を睨む私は、睨むことで彼を一瞥して、


「そう見えるなら、そうなんじゃない?」


 素っ気無く答えてやる。しかし、答えてやるうちはまだマシだと、私は思う。だが彼は自身を取り繕うためか、本当に私を心配しているのか、一歩近づいた。私のパーソナルスペースが侵され、社会距離から個体距離へと変動する。

 数十分前に胃に落としたはずの食料が、ざわめき始めた。胃液が溢れ始めるようだった。


「保健室に行ったほうがいい。僕の過失だ。勿論付き合うよ」


 最悪な出会いから――という噂の恋愛商法は、こんな状況からでも始まるのだろうか。しかし、これはあまりにも最悪すぎではないだろうか。これならば通り魔でさえも被害者と恋に落ちる事が容易になってしまう。

 無論、そんな色恋沙汰なんかは別にして、ともかく、この加害者の顔をあまり見たくは無いのだ。

 適当に切られた髪は長く軽く目に掛かる程度で、目は大きすぎず、鼻は一般的、輪郭も造形も、一般的と言ったほうが早いであろうその顔を持つ男である。言ってしまえば、どこにでもいそうな感じで、特徴がない。そんな彼は今眉を八の字に歪めて、私を保健室に誘おうとしていた。

 ならば、素っ気無い態度、明らかに怒って近づくなと言う雰囲気を醸しだしてもほっといてくれないのならば、逆の事をやるしかない。

 そう決起して、私は落ち着いて、女の子の声を出した。


「いや、そんなに気負う事は無いわ。私がよく周りを見なかったのも悪いもの」


 しかしよく周りを見ても、教室からいきなり飛び出てくる陰には対処のしようがない。


「でも貴方も悪い。だからこれはお互い様って事で……ほら、授業も始まっちゃうし」


 ここまで言えば引き下がるだろう。引き下がってくれなければ困る。恐らくもう本鈴が鳴るまで数十秒と言った所だ。静まり返った教室に戻るのは目立つ。それは回避しなければならない。さらにこの状況だ。その優先度は何よりも高くなる。

 

「でも……」


 しかし男子生徒は食い下がる。

 お願いだ。空気を読んでくれ。


「それじゃ、ね」


 私の焦る心は彼の動揺を、迷いをそのままに、この肉体からだを動かした。

 大股で、素早く私は男の横を通り過ぎる。その瞬間、袖を掴もうと指先が触れるのを感じたが、私は気付かぬ振りで腕を振り、回避する。

 気配は遠のき、声も聞こえない。私は男から逃げ出すことに成功して、足早に教室へと向かった。

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