お盆
「はぁ~あ」
日差しがジリジリと照りつける午後二時過ぎ。私は手に花束と買い物袋を提げて道を往く。
一陣の風が吹く。私は翻るスカートを押さえて下着の露出を阻止すると、そのポケットの中で震える異物に気付いた。外側から手を添えると、どうやら携帯電話が振動しているらしい。花を持ち替え、なだらかな坂道を気だるく歩きながら携帯を取り出し液晶画面を覗くと、そこにはリンコからの着信を知らせる文字が表示されていた。
私は携帯電話を開くか否か少しばかり躊躇い、短い嘆息の後、開いて耳に当てる。親指で通話ボタンをプッシュしてから一拍置いて口を開いた。
「もしもし」
中央線も引けないくらい狭い道路。左右には雑木林が広がり、お世辞にも都会的とは口に出来ないほど自然が多い。車は路肩に駐車されるのが度々眼に入るが、だからといって人が多いというわけでもない。
セミの鳴き声がやかましいのが、一番の印象だった。
『今何してるの? あ、もしかして忙しかった?』
「別に……話相手だけで良いなら付き合うけど?」
たまに親子連れが、緩慢な動きでノロノロと頂上を目指す私を追い抜く。楽しげな声が耳に届くが、父、母、子、それぞれが皆フォーマルな格好に落ち着いているのを見て、やはり彼らも私と同じ目的なのだと理解する。最もこの時期にこの坂を上るという行動を見れば、その目的は大体分かったようなものなのだが。
この先には大きな寺がある。イッツテンポー、と言えば分かりやすいだろう。それに付随するのは、その寺の何倍もある敷地内に広がる墓地。
つまり目的とは墓参りだ。
『あ、本当? んじゃ付き合ってもらおうかしらねぇ』
「はは、その喋り方おばさん臭いよ」
『うっ……き、気を付けるわね』
額から流れ落ちる汗を拭い、一つ息をつく。私が立ち止まるそこでようやく上り坂は終わりを告げたのだ。
目の前には十段前後の階段。その上には、恐らくどの世界においてもここだけは、こういった場所だけは完全なる秩序が保たれるであろう空間――墓地が広がっていた。
一様に並ぶ縦長の六面体。だがその石材には様々な種類が有り、多くは御影石なのだが、個人として広く土地を有するところの墓碑はなにやら妙につるつるとした表面が目立った。それが同じ御影石なのか、それとは別の石材なのか違いが分からなかったが、ともかく綺麗に掃除が行き届いているのだけは理解できた。
階段を上りトコトコと脇道を歩いて少しばかり、私はやがて目的の墓石の前に到着する。杉林、という名を見つけたお陰もあるのだが、それは飽くまで再確認に過ぎない。去年は特に幾度も訪れた場所だから、自然に身体が覚えてしまっているのだ。
「――だったら、好きな方にすればいいんじゃないかな?」
台に乗る墓碑には小難しい漢字が刻まれ、その手前には線香台がある。両脇には以前訪れた際に生けた花が枯れていた。まるで待ちくたびれたといわれたような気がして、心の中で陳謝する。
『あぁ、やっぱりこれだって思ったのがいいかなぁ。私も直感が大事だと思ってたんだけどね』
一先ず寺から桶と柄杓を借りてこよう。後は花を生け、線香とお供え物を置いて報告だ。
――そう意気込んだところで、眼に入る。墓石の頭部に、黒く焦げたような灰と、半ばまで焼けて捨ててある煙草がそこにあったのだ。
……確かに、今日はこれまでこれなかった分をきっちり綺麗に掃除してやろうと楽しみにしていた。お盆を利用しなければ来れない状況になりつつあるからだ。だから、一年に二度の、その年が明けて初めて来る一度目の墓参りはそれ故にその気持ちは強くなる。
雨によって汚れてしまっているだろう、鳥のフンやその他動物からの原因があって汚れてしまっているのは仕方が無い。自然の為す事だ。自然の残骸だ。が、こいつは――この煙草は明かに人が意図的にここへ捨てた物。そうに違いない。
そして先ほどの、私のスカートをめくる風さんの悪戯からは時間はあまり経っていない。一○分以下と考えてまず間違いは無いだろう。
だがそんな悶々とした怒りを蓄えても、こんな場所では意味が無い。ここに煙草を捨てた人間が私に気付いて額が擦り切れるほど土下座してくれるというわけでもない。だったら意味が無い。私が健気に掃除するしかないのだ。
私は大きく溜息をついて、リンコと問いかけに返答しながら、すぐ近くの寺から貸し出し自由の桶と柄杓と、それから水を汲んで来ることにしたのである。
吸殻が増えていた。数は二つで、火種を消した後も二つ。
戻ってきて目撃し、思わず、というか至極冷静に落として害のない花束と買い物袋を地面に落とし、それから水がたっぷり汲まれた桶を地面に置いてから、歯を噛み締める。ちなみにリンコとの通話は桶を入手した時点で終わらせている。
胸が高鳴り、呼吸が苦しくなる。恐らく過度な興奮からくるストレスが原因だろう。
しかし――墓地で、こんな事を見ず知らずの輩にされて黙っていられるか? この私が、熱々に熱された墓石を水で冷やしながら汚れを落として、綺麗になったから結果的には良かったねと笑ってこれまでを報告できるのか……?
「出来っかよ……ッ! そんなことッ!」
この吸殻の主をどうしようかと考えているのに、ある一つの思念がまるで決定事項のように頭の中をくるくると回る。私は気がつくと、周囲の人間を睨むように標的を探していた――が。
――いや、こんなところで問題を起こすわけには行かない。
そういった冷静な面が私の心に冷却水をぶっかけた。肉が熱した鉄板に押し付けられたような音を響かせ、激しくなりつつあったピストン運動は徐々にゆっくり、やがて緩慢になって冷えて落ち着く。最後に大きな深呼吸をして、私は柄杓を手に取った。
墓地に於いては全てを許そう。そう、菩薩のように。
私は彼女の墓の前で手を合わせ、掃除を始めた。
「よしっ、これで随分、ってかもう完璧に綺麗になったね」
袋から彼女の好物だった揚げ饅頭をを供え、線香に火を付ける。これでようやくこれまでの報告が出来るわけだ。
まずは私の制服姿を彼女に見せびらかしておこうと、ヒラヒラとスカートを風に揺らしながら一回転。彼女が生きていたらさぞかし羨ましがったことだろう。なにせこれは彼女が生前着たいと夢に見ていた制服だからだ。
――多分、こんな姿は瑞希は認めてくれないだろう。”私の分まで生きて”といわれたのに、その”私の分”しか生きていないのだから。仮に貴方が生きていたら責めて貶してどうしようもないくらい落ち込ませてくれただろう。いや、今現在でもたまにどうしようもないくらいどうしようもない気持ちが渦巻くのだから、死して尚強し、といったところかな。
だけど、この三年間は何があっても生きてもらう。誰でも無い瑞希に。幸い容姿は似ているし、仕草は覚えている限り真似してる。口調はまだ慣れが必要だけれど、大分サマになってきていると思う。それで、あと少しすれば生徒会選挙があるから、私はそれに立候補しようと思っているの。そうすれば、この”杉林瑞希”の名前が確実に刻まれるから。誰よりも高い場所で、誰よりも目立つ其処で。
高校生になってナンパもされたし、友達も大勢できた。部活動もなんとなしに活発になり始めてるし、なにはともあれ学園生活は充実しているから心配はしないで欲しい。
……改まった口調は多分嫌いだろうけど、たまの報告くらいはしっかりとしなくちゃ、ね。
運動に勉強に、なんでも出来た貴方と過ごした長い年月は、いつになっても色あせることがありません。そんな全てに秀でた貴方に張り合おうとした私自身に、微笑ましさを覚えます。
幼きあの日、泥だらけになって遊んだ日々。成長して、身長体重だけが勝る私に頬を膨らませて、だけれどどこか誇らしげに笑ってくれた貴方は私の胸に生きています。
一年以上も経過ったのに、いつまでも貴方の事をこうして引きずって、そしてこれから三年間も貴方に安眠を許せないのは、本当に申し訳が無いと思っています。なにせ、この世にいないのに世間では貴方の存在が生き続けているんです。自分でない自分が、分身とも言える弟が外でどんな粗相をしてしまうか心配でしょう。
でも、安心してください。私が汚れるときは、私が私として存在している時だけです。決して、何があってもこの名には埃一つ被せません。
日常の事は仏壇で話しているから改めて話すことはもう無いだろうケド――最後に。
勝手に下着を使ってごめんなさい。
「――っとまぁ、こんなモノかな」
一通り報告も思い出話も終わって、最後の最後に気がかりで、いくら信頼親愛する彼女でも決して許してはくれないであろう事を謝罪逃げして……少しばかり心残りだが、もう墓参りも終わりだろう。
花は生けた。お供え物も好物を狙って供えたし、線香だって高いヤツを選んだんだ。周りは綺麗に掃除した。よし、完璧だ。
「それじゃ瑞希、また来るね」
次来るのは命日だ。アレは十一月中旬……忘れもしない、あの出来事があった日だ。が、今は思い出したくは無い。思い出すべきではないのだ。だから回想は止めておこう。アレはもう解決した。全ては丸く――は無いが、収まったのだ。こんな、歪んだ結果を導いてしまったが……。
ゴミが詰め込まれる袋を手にして、柄杓を突っ込んだ桶を拾い上げて寺へ向かう。周囲には依然として人は居らず、墓地故の静けさが風となって優しく頬を撫でた。
抜けるような青空の下は酷く平和だ。最も、この日本の、一高校生としての私の身の回りが平和でない事がまずありえないことなのだ。
人一人とすれ違うのがやっとな道を抜けると、そこから少しして、寺の側面に到着する。その足元には幾つかの、柄杓と桶とがワンセットになった物が並び、その近くに水道が立つ。私はその並びに添えるように戻して一つ息をついた。
ここから帰るには、またバスに揺られて三○分、そして電車に揺られて一時間。歩いて十分ちょっとの道を往かなければならない。しかしまぁそれでも季節が夏なのもあって、どう間違っても日暮れ前には家に着くだろう。
「あ、仁科さん……?」
私が呟くのは、視線の先――境内に、竹箒を両手に握って丁寧に掃除をしている、画になるような美貌を持つ見慣れた巫女さんがそこに居たからである。
そんな彼女はこちらを向いて、顔を伏せがちにして下を向いて箒を捌く。が、私のそんな呟きのような言葉に反応したのか、それとも視界内で動く異物を発見したから何気なしに視線を向けたのか、彼女は此方を向く。それから暫し、凝視するように私を見て首を傾げて――。
「み、みー……ちゃ、ん……っ!?」
目を見開いて、開いた口を両手で押さえるような所作と共に、押し殺すように紡がれた言葉が私に届く。それはまるで驚いたような、否、確かにその顔は驚愕を表して私に釘付けになっていた。
――彼女とは、いくらか面識がある。母方の家が葬儀を執り行う際はこの寺の坊主にソレを依頼しているのだ。そして坊主はその手伝いとして彼女を連れて来る。私と瑞希は葬儀の為にこっちへ来ると大抵彼女と会うこともあって、歳も離れていても五、六程度だったからお姉さんとして世話をされたものだ。
その為に瑞希の葬儀の時も彼女はその手伝いに駆り出されて……。
彼女はどうやら、亡霊が出たものと勘違いしてしまったのだろう。今では腰を抜かして地面にへたりこみ、あうあうと口元を震わせ足元の竹箒を必死になって手探りで探していた。
「な、なむだいじだいひきゅうぐ――」
見るに堪えなくなって姿を消そうとも考えたが、しかし妙な亡霊を見たと自宅に電話を掛けられても困るから事情を話そうと決意する。それから有りもしない手袋を剥ごうと必死になって右手の甲を掻く彼女へと近づき、出来る限り穏やかな声を出そうと善処した。
「あ、あの仁科さん……こんな格好してますが、弟です。瑞希じゃなくて――」
「え? え? あ、えぇっ? あの……みっちゃん?」
「そうそうみっちゃん。というかもういい加減にみっちゃんってやめてくんない?」
しかし良く覚えていたものだなぁと感心するが、彼女とは意外に長い付き合いの上去年会ったばかりだから然程懐かしくも久しぶりでもないことを思い出した。瑞希よりお姉さんぶるのが好きな彼女は、私達は本当の姉のように慕ったものだ。
乱れた長い髪を整え、それから立ち上がって赤い袴を叩いて汚れを落とすと、緩慢な動作だが、ようやく私を見据えた。
首を傾げるようにして微笑むのは彼女の癖のようなものだ。だがそんな仁科を見ていると不思議と瑞希が隣にいるような気がしてならない。別に悲しくなってくるだとか、胸の奥からえも言われぬ勘定が湧き上がってくるという訳ではない。ただ単に、そう感じただけなのだ。
「まぁ仁科さんの事だから事情は説明する必要は無いと思うけど……」
「あるよっ! 大いにあるよ! みっちゃんの事だから大体の想像はつくけどさ、こう、筋を通す? ような感覚で話して! それから仁科さんじゃなくて、ちゃんとお姉ちゃんを呼ぶ感じで!」
「にーちゃん?」
「お姉ちゃんだよ!」
「仁科おねえちゃん」
「もっとこう……ユウちゃん、みたいな」
結迂子だからユウちゃんか。安直だが彼女らしい……というか、いい年齢して五、六歳も離れた男に何を言わせようとしているんだ?
「いや、百歩譲ってユウ姉だ。よく漫画とかで親戚のお姉さんを呼ぶのがこんな感じだし」
しかし今更呼び方を変えられるとは思わなかった。そもそも相手から自分の呼び方を変えろ~、だなんて滅多に聞かないぞ。まぁユウ姉だから仕方が無いかもしれないが。
だがまぁ、よくこれで二十年以上も生きてこれたものだ。今は大学に通っているらしいが、後一、二年すれば社会人か。流石に寺を継ぐわけにもいかないだろうから、どうするつもりなのだろうか。
「――どうせみっちゃんの事だから、高校時代はみーちゃんは生きていたって言う傷跡を残そうと、みーちゃんに成りすましてるんだろうケドさ」
「なんでわかるんだよっ!?」
大体の予想がつくと言っていたが、大体と言うかもう答えそのものが理解できている。おっとりとした口調で妙にほんわかとした雰囲気をかもし出しているのにも関わらず、頭の回転だけは速い。これで身体も素早く動ければ、先ほども尻餅をつかず臨機応変に対応できていたのだろうが、天は二物を与えないということなのだろう。
しかし傷跡とはやたらに血生臭い表現だな。
「みっちゃんは賢そうに見えて単純おバカさんだからわかりやすいのよ」
「ユウ姉はバカそうに見えて賢いから侮れないな」
「バカって……円周率十三桁、みっちゃんは言えるかな?」
こういうところからそこはかとない馬鹿さ間抜けさを漏らしていることに気付けていないのだから、やはり本当に馬鹿なのかもしれない。いや、馬鹿というよりはなにかもっと違う……言うなれば、ドジの類似品なのだろう。
「でもまぁ」
彼女はそう前において、空を眺める。視線は遠くに投げられて、何かを思い出すような口調で、溜息混じりに台詞を紡ぐ。
「人殺しのストーカーが捕まっただけ、まだマシだよね」
ストーカーされてる時点で相談してくれればよかったのに。口を尖らせて不満を垂れる彼女に、思わず私は耳を疑い目をかっぴらいた。
”ストーカー”と彼女は確かにそういった。だが、瑞希はそもそもストーカー被害になど遭ってはいないはずだ。
姉弟で、しかも学生で仲睦まじい。そのお陰で一日の殆どを一緒に過ごしていた。二人きりで無いときも違う友人を間に入れるだけであり、違う時間を過ごすとしても部活動中以外には存在しない。
「でも背中から不意の一撃――なんて、どんな恨みが……。ご、ごめんね、みっちゃん? また、私……」
彼女は恐らく一年以上も時が経過したのだから傷は癒えたと考えたのだろう。そしてそれは間違ってはいない。確かにあの頃に比べれば確実に彼女の死と向き合えるようになったのだ。だから墓参りにも来れるし――と言っても未だ彼女を装っている私が言っても説得力は無いだろうが。
彼女の言葉は明かにおかしい。
殺害現場は自宅付近、住宅街の中だ。そこで不意に襲われて、すれ違い様に腹部にナイフによる深い一撃突き刺さり多出血によって死亡した。私はそれと直面したし、相手の男は慌てて逃げていった。だがその現場に出くわした私であるが、彼女に致命傷が与えられたときの、前後の記憶は無い。だから犯人が何故私を生かして逃げたのか、その理由は分からずじまいだった。
瑞希が死んだという事実さえも受け入れたくなかった私はもちろんニュースは見なかったし、だれもその事について触れなかった。
だから、多分ユウ姉は違うニュースがごっちゃになって間違えているのだと考えた。そう、思い込もうとした。だが、彼女がこんなところでそんな不謹慎な間違いをするはずが無い。ましてや親しかった、妹としてみていた人間が殺されたのだから。
おかしい――何かが、決定的に間違っている。
彼女は腹部に一撃だけを受けたし、ストーカー被害にもあっていない。だがニュースには被害者の名前と顔が出るわけだから、いくらユウ姉でも間違えるはずも無いし、間違いようもないんだ。
ナイフは背に達していたかもしれない。だけど幾らなんでも、背か腹か、どこから刺されたかわからないなんて馬鹿げた事がありえるだろうか。
否、断じて否である。
腐っても警察だ。あっていいはずが無い。そんな事があるわけが無い。冗談じゃない。
何かが違う。どこが違うのかは分かる。だが何故違うのかが分からない。
なぜだ。どうしてだ。そんな言葉ばかりが渦巻いて、私は答えを導く力を失っていた。
いや、仮に背からというのがマスコミによる誤報だとしたらまだ分かる。だがストーカーという部分はどう足掻いても間違いようは無い。調べてみるか……? 確かに、そうするしかないようだ。
もしかしたら――という事があるかもしれない。だがもしその”もしかしたら”があったら、私は一体どうすれば良いのだろうか。
「ね、ねぇみっちゃん……? ごめんって、だからもう怒らないでよ」
「え?」
気がつくと、ユウ姉が覗き込むようにして顔を窺っている。返答が無いのと無表情とが相まって怒っていると勘違いしたらしい。
しかし何も悪い事をしていないのに申し訳ない気持ちにしたのはなんだか可哀想な事をした。だが十五の子どもに二十の成人がそう思われるのは、大人としての威厳に関わってくるのではないかと思う。個人的には冷静な女性が好みだからそれが問題だと思うのだろうか。
「あぁ、いや怒って無いよ。ごめん、ちょっと考え事してただけだって」
ちょっと以前なら、ちょっとご立腹の素振りをすれば目の端に涙を浮かべていたものだが、流石に今は困った顔だけに留まっている。お姉さん、という立ち位置は変えるつもりは無いのだろうが……どうにもこういったことをされると年下に抱くような可愛らしさを覚えるのだから困ったものだ。
「そう? それじゃ、気晴らしに夕飯食べていく? みっちゃん来れば、お父さんも喜ぶし」
ユウ姉のお父さんか……。確かこの寺の坊主だったな。それに私を見るたびに薦めていたのは実の娘であるユウ姉自体だし、喜んでいたのは私がしっかり者に見えたからだろう。だが彼女はそれを理解していない。もしかしたらしているのかもしれないが……。
ご飯を勧められた途端に、お腹はグゥと一つ自己主張してみせる。家を出たのが中途半端な時間なだけに昼食はとっていないから、空腹を覚えるのは仕方が無いか。
どちらにせよ、現状報告も兼ねて彼女には相談したいこともあったのだ。恐らくここで夕食のススメを受ければユウ姉宅での宿泊は逃れられないだろうが――。
「あぁ、じゃあお言葉に甘えようかな」
私の言葉に、彼女は笑顔で頷いた。
結局帰宅はこの日から二日後になるのだが、唯一の保護者である父はそれを心配した風も無く、なんで結迂子ちゃんと将来の約束をしてこなかったんだ、なんて逆に怒り出す始末だから理不尽極まりない。その後にリンコからどこへ行っていたんだ~なんて嫉妬の嵐を頭から被ることになるのだが――その時には既に、私は見てしまっていた。
どうしようもない絶望と、衝撃の事実と、ちょっとした危機に。