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架空人生  作者: ひさまた病
―日常―
12/17

平々凡々

 結局あの後、駅前のお巡りさんが直ぐに駆けつけて、鼻血を出して立ち尽くす私を見て全身でたじろぎっぷりを表現してみせ、その奥に臭気たっぷりに酷く汚れた男を見て、事態を理解したんだかしていないんだか良くわからない態度で私を路地の外まで引っ張り出した後、男に何かを怒鳴りつけていた。

 私はそんなお巡りの背に、帰っていいですか? とただ一言尋ねると、彼は詰問を取りやめ即座に立ち上がり、近寄る。それから事のあらましを二、三聞くと、「またか」と一つ呟いて、帰宅の許可を容易に降ろしてくれた。

 それ以上のことは何も口にしなかったが、ここいらじゃ有名な男なのだろう。悪い意味で。

 やれやれ、今回は状況的にとても有利だったわけだ。だからある意味、悪行を重ねる男に助けられたようなものだ。

 そうして私は再びゲームセンターへと引き返して、友人等とさっさと帰る事にしたのである。

 傷は然程大袈裟なモノではなく、冷静に処置してみて、極めて無傷に近い事がわかった。


「――というのが昨日の事よ」

「今日の事は?」

「睡眠妨害する夢魔の出来損ないが僕のもとにやってきた」


 私は首を振って嘆いてみせると、リンコはくだらないと肩をすくめる。

 だったらお前は何のために存在しているんだと嘆いてみると、彼女は眉を潜めて私に睨んだ。


「私が夢魔だとしたら間違ってもあんたのところには来ないわね」

「っせーな。今日だってこうして来てるじゃねぇか。帰れ」

「琴巳から心配だって連絡メールが来たから、こうして様子見に来たんじゃない。ほら、アンタはやせ我慢が過ぎるから」


 彼女はそう言って、私がわざわざ淹れて来たお茶を啜って喉を潤す。私はつけっぱなしのテレビに視線を投げた。その画面にはアニメが映っていて――まだこんな時間なのかと、肩を落とした。

 いくら旧友で、且つ現役の友達で、さらに私の協力者で、同じ部活動に所属して、それでいて家が近いから遠慮も無いのだろうが、少しくらいは気を遣って欲しいものだ。朝から彼女のモーニングコールで目を覚ますなんて、学校と家の区別がつかなくなってゆっくり休めない。土曜日の朝くらいは自由にさせて欲しいものだ。

 だが学園から家が離れているお陰で、今の友達には自宅を知られていない。そこが唯一の幸福といったところだろうか。

 しかし――酷く緩慢な時間の流れだ。リンコが居るからゆったりは出来ないが、ゆっくりは出来る。最低限の息抜きは出来ている状態だ。だからまぁ、別に毛嫌いするほど彼女を追い出したいというわけでもなかった。

 暑苦しく人様のベッドでテレビに集中するリンコを眺めてから、私はなんだか初めて、否、酷く久しく、この平凡を得たようで、その中に浸っているようで、妙に嬉しくなった。だからつい微笑んでしまうのも仕方が無いことだろう。故に、こんな気分だからこそ、彼女に奇妙なモノを見るような目で顔を除かれても、悪い気分にはならなかった。


「でもやたらめったらに鍛えてたあの期間は無駄じゃなかったのね?」

「ん? あぁ、まぁな。こういった時に役に立たなかったら、俺ぁなんも学んじゃいないって事だから」

「はは、でもアンタはそっちばっかで、結局何も学んじゃいないわよ。殆ど自分の事ばっかだし。未だに究極のシスコンだし」

「っせーな。んじゃ適当に誰かを好きになりゃいいのか?」

「まぁそれがいいかもだけど……今の状況で好きになれる異性なんているの?」


 私は無言で首を振る。

 彼女はむっとして眉根をひそめた。まるで自分がそうだと言ってもらえることが当然だと、信じてやまなかったように。

 確かに私は彼女の事が好きだが、愛しているというベクトルではない。無論、彼女はそれを理解しているだろうと思っていた。というか今でもそう信じている。そもそも中学時代、瑞希を介した付き合いが殆どだから、私自身との仲は言うほど良い訳でもないのだ。なのに彼女はなんだかんだで私に付きまとっている。

 これが好意からくるもので無いのならば相当気持ちの悪い人間だと思えてしまうから、私は少なくとも好感を持つから付き合ってくれているのだと考えることにした。

 

「つーか、やること無いなら帰ってくれよ」


 時間はまだ九時を回ったところだ。彼女が今帰れば今日一日有意義に過ごせる。だが、


「やだよ。来たばっかじゃない」


 リンコが首を振れば、多分今日一日が無駄になる。だから私はまるで学園で協力する分自分の休みを削らされるような気がして、辟易した。しかし一方的に力を貸されるよりは、そういったほうがより信頼が強くなるのだろう。そうすれば私も気持ちが良いし、彼女もそれで楽しめるなら納得できた。

 そんな事を考えていると、不意にリンコが口を開く。


「邪魔ならさ、どっか出かけない? 昨日はなんだかんだで息抜きにならなかったんでしょ?」

「どっかって何処よ」

「ま、街の方……とか」

「あー、まぁタマにはコッチのほうもいいかもな。因みに男と女、どっちが良いよ」

「お、男の方で」

「了解。んじゃ家の外で待ってて」


 どうせ無駄にされるのなら外で気を晴らすほうがいいだろう。地元だったら中学時代の友人に会うかもしれないが、男の姿で出かけるんだから特に心配する必要も無い。そしてまた悪漢に絡まれたら、それはそれで昨日みたいに決死の覚悟で挑み掛かればいいのだ。

 だから私はリンコを部屋から追い出すと、タンスから適当に長袖と半袖とを重ね着して、ズボンのポッケにサイフと携帯電話を突っ込んだ。それから長い髪を真ん中で簡単に分けてから、自室を後にした。

 今日はコルセットやサポーターを装備しないから気が楽だし、開放感がステキすぎる。身体が軽くなったような気がした。

 そんなものだからうっかり階段なんかでスキップを試みて――高いジャンプは、残り八段をゆうに飛び越し、一階廊下に着地する。

 衝撃が周囲に波を起こして、同時に破裂音が如き音を掻き鳴らした。私は間髪おかず起き上がろうとすると、バランスが崩れて正面の壁にぶつかって……。


「ま、待たせたな……」

「……なんで着替えるだけでそんなボロボロになってんのよ」

「ま、まぁ色々あってな」

「そう。まぁどうでもいいけど、行こう?」

「ああ」


 あやうく自分から紅葉おろしし掛けたが、瞬発的に壁を弾いて九死に一生を得た。それを説明しようと思ったが、あまりにも情けなさ過ぎて口にできない。恐らくそれを聞く彼女の反応は、いつものように冷めたものになるだろう。

 私――否、俺が肩を落とすと、何かを悟った彼女は軽く背中を叩いて励ました。


「んじゃ、どこ行く何する?」

「私も行くっス!」

「賑やかになるわね」


 俺がリンコに尋ねると、返答が来るよりも早く聞き覚えのある声が遮った。が、彼女はまるでそれを予知っていたかのように受け入れ、ごく自然にその声の主――小鳩明子を自身の横に携えた。

 だから俺は思わず足を止め、言葉を失う。 

 ――何故お前がここに居る? 同時に俺が瑞希だと知ってしまったのか?

 そういった二つの疑問が脳裏に渦巻くが、小鳩はそれを知ってかしらずか私の顔を覗き見て、目を見開いた。そんな表情はくりくりとする瞳が特徴的で、男としては思わず赤面ものなのだが、既に彼女の耐性がある俺は驚きは在れども無表情を貫くことが出来た。


「あっれ~? 後ろ姿からミズキさんだと思ったんスけどね。見間違いでしたか。って事はアレ? リンコさん、まさか……」

「アッキー、これは違うわよ?」

「アッキー!? なんだお前、え? いつそんなに手を出してたの? こわっ! お前こわっ! つかお前もなんだよストーカーかよ! うわああああッ!」


 噴出した感情は我慢すればするほど混ざり合って自分でも訳が分からなくなる。故に一度、そんなモノを吐き出してしまえばこんな混乱と混迷に満ちた意味不明な暴走が口先から紡ぎだされて、そして元気良く私は振り返り、走り出そうとする。

 が、その行動を制するのは、腕を掴む細腕。そしてその主は小鳩だった。


「わ、私は昨日ミズキさん……っていう憧れの女性ひとが数駅後で降りるって聞いたから、今日来て見ただけで。それで偶然リンコさんを見かけて、それで……、あの、迷惑掛けるつもりはなかったっスよ。ごめんなさいっス。邪魔なら――」

「邪魔じゃないよ! なんだお前もう、そうやって殊勝にしてりゃいいんだよ――可愛いんだから――。人は多い方が良い。お前が良けりゃ一緒に遊ぼうか?」


 いつもの調子で、だがいつもとは違う風に褒め称えて見せると、ぱあっと暗がりに落ちかけた表情は明るくなる。俺にはソレがまるで赤子が泣き止んだように見えてしまって、なんだか無性に可愛く見えてきた。

 だからそんな事を口走ると、小鳩はどこか気まずそうな顔でリンコを見ていた。

 最も、見知らぬ男からそんな事を言われたら困惑するのは当たり前だ。二つ返事で行動を共にすることになったら、俺自身、こいつとの付き合い方を考えるかもしれない。

 そしてリンコは彼女の困った顔を見て、とりあえず小鳩の肩を抱いた。彼女の心を落ち着かせるためだろう。だが相手がリンコなために、羨ましいと思えないのが悲しいところであった。


「ホラ、大丈夫。安心して。彼は見た目ほど悪い人じゃないから」

「大丈夫だよー。見た目も悪い人じゃないから」


 中腰になって手を叩いてみせると、すかさずリンコから蹴りが飛んだ。 

 どうやらふざけるな、という事らしい。

 痛みに啼く腰を押さえ、俺は頷いた。


「ん……なんか変な人っスけど、テンション高い時のミズキさんみたいっス。それに顔もちょっと似て……」

「――ないよッ!? 知らない、俺知らないから」

「まぁ、リンコさんの友達なら、別にいいっスけど」

「そう。なら一緒に遊びましょう?」


 首をぶんぶん振って風を斬る俺をよそに、小鳩は嬉しそうに頷くと、そのまま人懐っこくリンコの腰を抱くように歩き始めた。俺はなんだかいつも自分になついてくれるあの鬱陶しさが実は幸せだったんだなと再認識して、同時に襲い掛かる妙な物悲しさに頬を膨らませる。そんな俺は彼女たちから半歩遅れてその後についていった。

 彼女等が向かった先は、家から少し離れたところの大通りに面する、一般的な服屋だった。

 これは後で聞いた話だが――リンコと小鳩は、既に入学前、とある事情で出会っていたらしい。どうやら俺が、今は疎遠に近い小和瀬との馴れ初めに近いようだった。だから俺はそうなんだと納得して、別段、両者の関係に不満も嫉妬も持つことは無かった。

 一緒になって歩く二人はまるで姉妹のようだった。背丈は小鳩の方が頭一つ分小さく、さらにその人懐っこい仕草が妹を思わせ、冷静に、だが優しく振舞うリンコは姉の風貌を持つ。そして両者とも見た目が”割と”良いために、服屋に入店はいって少しすると、直ぐに店員がやってきた。やはり可愛い娘に自分の店の商品ふくを買って、身につけて欲しいのだろう。

 ――店内は広く、一般的なチェーン店の造りである。入って直ぐに季節に合ったシャツが台に並び、その奥に服を陳列する衣装棚が適度な間隔で配置されていた。騒がしいBGMはメタル調で、だが音量が抑えられているからだろうか、妙に心地が良く感じられる。あまり聞かないジャンルの曲もたまには良いもんだなと思いつつ、仲が良い二人を眺める。俺の心に精神的充足感を覚えるのは両手に花と考える優越感からではなく、出来の良い姉妹を持ったような、兄のような誇らしさからだった。

 人類皆兄弟とは良く言ったものだ。

 そうして俺は――本当に、こんな度々男に戻って良いのだろうかと思えてきて、女性用の服を買おうかと足を向けるが、小鳩の存在を思い出して足を踏み留めた。そして、ならば男物の服は春夏秋冬全ての季節に対応できるものが揃っているし、ここに居ても彼女等の邪魔になるだろうと考えて、とりあえずこちらをちらりと視線で窺うリンコにそういった意味の合図をしてみせ店を後にした。


 自動ドアを背にすると、連休初日の午前故に人通りの多い歩道が広がる。俺は流れ往く人波の途切れる瞬間を見極めて、正面の、二車線道路とを隔てるガードレールに移動し、そこに寄りかかるようにしてひとまず息を付いた。

 首を鳴らし、大きく伸びをする。

 途端に満たされるのは、この上ない開放感だった。

 何を気にするわけでもない。何かに注意しなければならないことも無い。肩まで伸びる髪は風になびき、俺は大きく深呼吸をした。

 そんなのほほんとした空気を醸しつつ空を見上げ、ただひたすらに思考を無に、意識を虚無に変えてみせる。そんな中で、


「お姉さん、ちょっといい?」


 茶と金の間を行くような色を持つ髪を無造作に立たせ、首に銀のアクセサリーを身につける、ぱっとみ柄の悪そうな男はそんな風に声を掛けた。だがお姉さん、という部分を逃さず聞いた俺は無論流し、こんな街にもナンパなんてものが存在するんだなぁと頭の隅で考える。しかし男は俺の横顔から視線を外さず、伸ばす腕は迷い無く俺の肩を掴み、ゆする。

 だから思わず眉間に皺寄せ、顔を向けて目を見張る。彼は正面からこの顔を捉えているのにも関わらず、悪戯っぽく微笑むので、彼が喋りかけるよりも早く、俺は口を開く。


「悪い、お兄さんちょっと連れ待ってるんだわ」

「なっ……お前男かよ!」


 笑顔で返答すると、彼は虚を突かれたように驚愕に表情を染めると悪態を付いて背を向ける。なんだかムカついたのでその背中に中指でも立ててやろうかと思ったが、こんな街中でそんな恥ずかしいことが出来るわけも無く、短い嘆息を後に――空を仰ぐ。

 まるで水面のような空には水煙のような雲が漂い、緩慢な速度で流れていく。気を抜くと、こんな雑踏の中でも自然の一部になったような気がして、現実と妄想の境界が曖昧になり始める。

 もうどうにでもなれ、と心の中で呟いているはずだが、もしかすると口に出ているかもしれない。だがそれすらも気にならなくなって、やがて――再び、少し汚れているだろう空気を胸いっぱいに吸い込んで、それを気付け薬代わりにした。

 たまにはこんなのもいいだろう。そんな事を考えていると、”ようやく”なのか、”もう”なのか、二人は服屋から、辺りをキョロキョロと見回しながら出てきた。俺はそんな彼女等に軽く手を振りながら向かって――。

 一日は、平穏はこうして何も起こらず過ぎていった。

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