第3話|基準を打ち込む
揚水塔の扉の前に、三人の立ち会いが並んだ。
水番隊長ガルド。
教会の司祭補セラ。
そして技術ギルド監査のヴァイス。
ヴァイスは手袋の指先で帳面を叩き、平然と言った。
「三日後の公開審査会まで、勝手な改造は禁止だ。だが――“安全確保のための修繕”なら黙認できる。今日はその範囲を確認しに来た」
言い換えれば、監視。
だが蓮にとっては好都合でもあった。
第三者の前で、危険と改善を“見える形”にできる。
「黙認じゃない。立ち会いで記録してくれ。俺がやるのは修繕じゃなく、再発防止だ」
セラが眉をひそめた。
「再発防止……。魔力は神の流れ。人が枠を嵌めて縛るものでは――」
「縛らない。逃がす。そして、必要なら止める」
蓮は扉を見た。取っ手に近づかず、昨日作った乾いた縄のフックで引く。
扉が開く。内部はまだ焦げ臭い。床の黒い筋も残っている。
蓮は床に膝をつき、石畳の縁に爪を立てた。
「まず“危険の証明”からやる。みんな、ここから先は入るな。十歩。金属に触るな」
ガルドが即座に人員を下がらせる。
セラも、しぶしぶ距離を取った。ヴァイスだけが冷静な目で観察している。
蓮は革袋から、小さな鉄釘と麻紐を取り出した。昨日と同じ、あるものでやる。
そして床に、簡単な“試験片”を作る。
鉄釘を二本、石畳の隙間に打ち、麻紐で繋ぐだけ。
「何をしている?」とヴァイス。
「ここが活線かどうかを見る。こっちの世界には検電器がない。なら、再現して示す」
蓮は鉄棒で供給装置の外装に軽く触れ、次に床の試験片に近づけた。
瞬間、麻紐がピンと張り、青白い火花が“飛んだ”。
セラが息を呑む。
「……いま、魔力が……跳ねた?」
「筐体が“通電してる”ってこと。触ったら焼ける。腕を焼いたのは偶然じゃない」
ヴァイスは帳面に何かを書きつけた。
目がほんの少しだけ真面目になる。
「原因は?」
「接地がない。逃げ場がないから筐体に溜まる。さらに、過負荷と逆流で回路が焼ける」
蓮は供給装置から伸びる分岐を指差した。焦げた線。歪んだ金具。
まるで焼け焦げた配線そのものだ。
「直す。やることは四つ」
蓮は指を折る。
「①分岐整理(負荷の分散)
②過負荷保護(切れる仕組み)
③遮断(止める仕組み)
④接地(逃がす仕組み)」
セラが小さく首を振る。
「魔力を“逃がす”など……」
「じゃあ、ここに溜めて人を焼くか?」
言葉は冷たくなったが、現場はそれでいい。
セラは黙り、目を伏せた。
蓮は塔の壁際へ向かい、石の割れ目を探した。
基礎石の隙間。地面へ“落とせる”道を作るには、そこが最適だ。
「ガルド。長い鉄棒、もう一本。先端が尖ってるやつ」
「鍛冶屋にある。すぐ用意させる」
蓮は頷き、次に水路へ目を向けた。
揚水塔の仕事は、水を上げ続けること。
だから停止時間は短いほどいい。だが“急ぐほど事故る”。段取りがいる。
蓮は床に、石片で線を引きながら説明した。
「ここからここまでが幹線。ここから先が負荷側。負荷を三系統に分ける。
水路A(北区)、水路B(中央)、水路C(南区)。一つが壊れても全部止まらないように」
「そんなことができるのか」とガルド。
「できる。今までは“全部まとめて一つ”だった。だから焼ける。分ければ熱は減る」
ヴァイスが口を挟む。
「分岐を増やせば材料が増える。誰が払う?」
「火事になって街が焼けるより安い。水が止まって病が広がるより安い」
現場のコスト感覚は、こういう時に強い。
ヴァイスは反論せず、帳面に追記した。
鉄棒が届く。
先端が尖った、槍のような棒――接地棒に最適だ。
「よし、接地から入る」
蓮は床の隙間に鉄棒を当て、石槌で叩いた。
コン、コン、コン。乾いた音が塔に響く。
セラが驚いた顔で言う。
「まるで杭打ち……」
「基準は“打ち込む”ところから始まる」
鉄棒が地面へ沈んでいく。
蓮は供給装置の外装から、細い金属線(この世界の“魔力線”)を引き、接地棒へ繋いだ。
――そして、もう一度、試験片に近づける。
火花が、弱くなった。
筐体の痺れも、目に見えて減った。
「逃げた……」セラが呟く。
「そう。逃がせば人を焼かない」
蓮は次に、過負荷保護へ移る。
この世界にヒューズはない。
だが、**“弱い部分を意図的に作る”**という思想は持ち込める。
蓮は鍛冶屋から届いた薄い金属片(錫に近い柔らかい金属)を受け取り、分岐の根元に小さな“橋”を作った。
焼けるならここが先に焼ける。壊れるならここが先に壊れる。
装置全体を守るための“犠牲点”だ。
「わざと壊れる部品を付けるのか?」とヴァイス。
「壊れる場所を決める。そうすれば、壊れても交換だけで済む。全部が燃えるのを防げる」
ガルドが唸った。
「確かに……いままでは一度焼けると、全部取り替えだった」
「それがギルドの儲けだったんだろ」と蓮は心の中で言ったが、口には出さない。
次は遮断。
ブレーカーの原型だ。
蓮は木の板とバネ(鍛冶屋が作った簡易バネ)を使い、分岐の根元に“跳ね上げ式の離脱機構”を作った。
負荷が一定以上になるとバネが外れ、接点が離れる。
完全な精度は要らない。止められることが重要だ。
そして最後に、分岐整理。
蓮は魔力線の束をほどき、熱を持つ線と持たない線を分け、動線と干渉しないように固定した。
束ねる位置、曲げの角度、擦れを避ける取り回し――現場の手が勝手に動く。
作業を見ていたガルドが、ぽつりと言った。
「……お前、迷いがないな」
「迷った瞬間に誰かが死ぬ仕事だったからな」
蓮は汗を拭い、立ち上がった。
「よし。検査する」
蓮は試験片を再度使い、筐体活線が消えていることを示した。
次に、負荷をわざと上げる(揚水量を一時的に増やす)操作をガルドに指示した。
「中央水路の弁を半開きから全開。三十秒だけ」
「やるぞ!」
揚水塔が唸る。
だが昨日のような暴れ方ではない。唸りは“仕事の音”だ。
そして――分岐の根元で、作った犠牲点が“ぱちん”と焼け落ちた。
同時に遮断機構が跳ね、接点が離れた。
塔の唸りが一段落ちる。
だが水は止まらない。三系統のうち一つが落ちただけだからだ。
外から歓声が上がった。
「水が出てる! 止まってない!」
「北区は少し弱いが、中央と南は出てるぞ!」
ガルドが目を丸くした。
「壊れたのに……全停止しない……?」
「これが分岐。これが保護。これが遮断」
蓮は焼け落ちた金属片を指で摘まみ上げた。熱い。だが想定内だ。
交換するだけで復旧できる。部品も少量で済む。
セラが、塔の内部を見つめて震える声で言った。
「……神の流れを、傷つけたのではなく……守った、のですね」
「守るために枠を作る。枠がない流れは、洪水になる」
ヴァイスが、帳面を閉じた。
「記録は取った。……確かに、危険は減った。再発も――抑えられるだろう」
認めた。
ギルド監査の口からそれが出たのは大きい。
だが、ヴァイスは続ける。
「ただし。これを“基準”として街に広めるなら、ギルドの承認が必要だ」
「承認がなくても、命は守る」
「なら公開審査会で示せ。お前がやったことが“再現可能”だと証明しろ。
再現できない技術は、ただの奇跡だ。奇跡は基準にならない」
――再現可能。
蓮が求めていた言葉だった。
「いい。設計図を作る。手順書も作る。誰がやっても安全にできる形にする」
ガルドが一歩前へ出た。
「水番として保証する。今日の改修で、街は救われた。公開審査会でも立ち会う」
蓮は頷いた。
これで舞台が整った。
三日後、ギルドの土俵で、ギルドの常識を叩き割る。
蓮は塔の接地棒に手を置いた。
もう痺れない。
安全は、思想ではない。
仕組みだ。
そして仕組みは、必ず広がる。




