第2話|水が止まる街
翌朝、街は乾いていた。
夜明けの鐘が鳴るより先に、通りのあちこちで怒鳴り声が上がっていた。バケツを抱えた女たちが井戸へ走り、男たちは口論し、子どもたちは泣く。空気が刺々しい。
「水が出ない! 昨日からだ!」
「揚水塔が止まってる! 誰か、魔法使いを呼べ!」
揚水塔。
水をくみ上げ、街に配る魔導具――インフラの心臓部だ。
相良蓮は路地を歩きながら、喉の奥で苦いものを噛んだ。昨日の火災は偶然じゃない。あれは“氷山の一角”だ。危険な回路が街中に埋まっている。
(そして今度は、水……最悪のタイミングで来たな)
水が止まれば、生活が止まる。火事も消せない。病も広がる。
現場では「水は命綱」だ。電気より先に、水が人を救う。
人だかりの中心に、鋼の鎧を着た男がいた。胸当てに水滴の紋章。
彼が振り返るなり、蓮の姿を見つけて目を細めた。
「……昨日の火事を止めたのは、お前か」
低い声。実務者の声だ。
男は名を名乗った。
「水番隊長、ガルド。揚水塔の管理責任者だ。……助けが要る」
いきなり核心。余計な飾りがない。
「状況は」
「夜明け前、塔が唸り始めた。次に、魔力臭がした。近づいた奴が一人、腕を焼いた。今は完全に停止。だが、塔の中で何かが生きてるみたいに……熱が残ってる」
魔力臭。焼けた腕。唸り。
蓮の脳内に、危険のチェックリストが展開する。
(過負荷→発熱→絶縁破壊→漏れ→人が焼ける。典型だ)
「案内してくれ。近づく前に、周りは退かせろ。二次災害が出る」
ガルドは即座に腕を振り上げた。
「下がれ! 揚水塔から十歩だ! 近づくな!」
人々が不満を言いながらも下がる。
“権限ある実務者”が味方だと現場は速い。
揚水塔は、石造りの円筒だった。上部から水路が枝分かれし、街へ伸びている。
入口の扉の隙間から、熱気と焦げ臭が漏れていた。
蓮は扉に手を伸ばしかけて止めた。空気が――昨日と同じ痺れ方をしている。
「……入る前に確認する。昨日、腕を焼いた男はどこだ」
ガルドが手招きすると、包帯を巻いた若い男が出てきた。震えている。
「どこを触った」
「扉の取っ手……です。鉄の……」
取っ手が金属。
回路の“漏れ”が、触れるべきでない場所まで来ている。塔全体が導体化している可能性が高い。
(接地がなくて、筐体が活線になってる。感電の王道パターン……)
蓮は地面を見た。塔の周りの石畳に、黒い筋がいくつも走っている。
昨日の工房より、筋が太い。強いエネルギーが流れた跡だ。
「ガルド。乾いた木の棒、あるか。長いの」
「ある。運搬用の梃子棒が」
「持ってこい。あと、乾いた縄。濡れた布は禁止。水も今は塔にかけるな」
ガルドが目を見張った。
「水はダメか?」
「今ここで水をかけたら、漏れた魔力が“道”を広げる。昨日より酷いことになる」
理解できる者だけが頷く。理解できない者は黙る。
それでいい。現場は議論する場所じゃない。
棒と縄が来た。
蓮は縄で、棒の先端に簡単な輪を作った。引っ掛けて引くための即席フックだ。
「扉は開ける。だが俺は取っ手に触らない。棒で引く」
蓮は距離を保ち、輪を取っ手に掛けた。
ぎ、と扉が軋む。
その瞬間――扉の縁が青白く光った。
「下がれ!」
蓮は叫び、棒を放した。棒の先端に火花が走り、縄が焦げた。
だが、扉は少し開いた。
「……見えた」
内部は暗い。だが、床の中央に“核”がある。
魔導具の心臓――魔力の供給装置。そこから青白い筋が床に伸び、壁に広がり、塔の全体へ伝っている。
(分岐が雑。負荷が集中して焼けた。しかも保護なし。これ、火災一歩手前)
蓮はガルドを振り返った。
「人手を借りる。言う通りに動ける奴、三人。命令に逆らわない奴」
ガルドは即答した。
「選ぶ。おい、来い!」
屈強な男が三人並ぶ。
蓮は言った。
「これから俺がやるのは、止める作業だ。中に入るのは俺一人。お前らは外から“固定”と“遮断補助”をやる。勝手に踏み込むな。いいな」
三人が頷く。
蓮は深く息を吸い、塔の中へ踏み込んだ。
痺れが皮膚を走る。昨日より強い。
床の中央の供給装置は、金属の箱に水晶のような核が嵌っている。核の周囲が赤く熱を持っていた。
熱暴走。冷えない。回路が生きている。
(供給を止めるか、分離するか――)
蓮は周囲を見回し、壁際に“点検口”のような蓋を見つけた。
そこから太い魔力線が伸びている。おそらく、塔へ供給する幹線だ。
(幹線を切れば止まる。こっちはブレーカーに相当するポイントだ)
蓮は棒を伸ばし、点検口の縁を叩いた。金属音が響く。
だが、叩いた瞬間、棒に火花が走った。
(筐体が活線。触れたら持っていかれる)
蓮は棒を床に置かないよう注意し、壁の石に立てかけた。
現場では、置き方一つが命取りだ。
そして――別の手に切り替える。
(遮断ポイントが取れないなら、負荷側を切り離して“孤立”させる)
供給装置から伸びる分岐のうち、一本が明らかに焦げていた。
焼損箇所。ここが短絡点になっている。
蓮は棒の先の輪を、焦げた線の金具に引っ掛けた。
ゆっくり、引く。距離を取って。
ぎぎ……。
火花が跳ねる。
だが、金具が外れた。
青白い筋が一本、消える。
「……よし、次」
同じ手順で二本、三本。
一本ずつ、負荷を落とす。回路を軽くする。熱暴走を止める。
そして四本目――外した瞬間、供給装置の核の赤みが薄れた。
唸りが弱まる。
(効いてる。あと一押し)
蓮は最後の一本に取り掛かった。
だが、その時、背後で「カチ」と音がした。
誰かが扉の外で、何かを触った音。
次の瞬間、床の筋が一斉に強く光った。
「……っ、誰だ!」
塔が、獣のように唸り始めた。
供給装置の核が赤から白へ変わる。これは――危険域。
爆ぜる前兆だ。
蓮は叫んだ。
「外! 扉に触るな! 金属に近づくな!」
「隊長! ギルドの奴が――!」
ガルドの怒鳴り声。
ギルド。予想通り、来た。
(今このタイミングで刺激したら、街が吹っ飛ぶぞ)
蓮は迷わなかった。
最後の一本を外すより先に、供給装置そのものを“物理的に隔離”する。
床の石畳の隙間に、鉄の楔が打たれている。固定具だ。
蓮は棒で楔を叩き、装置の下の固定を緩めた。
重い。だが、動く。
蓮は装置を――壁際の石の“凹み”へ押し込む。
回路の筋が引っ張られ、形が歪む。
そして、力を込めて、最後の一本を外した。
光が、消えた。
唸りが、止んだ。
塔の中に残っていた熱が、ふっと抜ける。
蓮は膝をつき、息を吐いた。
(止まった……)
外から歓声が上がった。
同時に、水路の奥で「ごぽっ」と音がして、流れが戻る。
街が、息を吹き返す。
蓮が塔から出ると、ガルドが肩を掴んできた。
「助かった。水が戻った。……だが今、ギルドの監査が来てる」
振り返ると、黒外套の男――昨日のギルド監査、ヴァイスがいた。
涼しい顔で、手袋を嵌めた指を鳴らす。
「無資格者が、街の基幹魔導具に手を入れた。重大な規約違反だ」
蓮は濡れていない布で汗を拭い、静かに言った。
「止めなきゃ街が燃える。規約より先に命がある」
「命は尊い。だが手順はもっと尊い。手順があれば責任が取れるからな」
責任。
現場でも聞き飽きた言葉だ。だが、責任は“守るため”のものだ。縛るためのものじゃない。
蓮は塔を指さした。
「この街の揚水は、危険設計だ。筐体が活線になってる。触ったら焼ける。昨日から二人、腕を焼いた」
「証拠は?」
「今から取る。水番隊長、立ち会え。教会の人間も呼べ。第三者が必要だろ」
ヴァイスの眉が僅かに動いた。
蓮は続ける。
「俺は“直せる”。応急じゃなく、再発しない形にできる。必要なのは独占じゃない。基準だ」
基準。
この世界にない言葉を、あえてぶつける。
周囲の人々がざわつく。
ガルドは、蓮の言葉の意味を直感で掴んだ顔をしていた。
ヴァイスは薄く笑った。
「基準、か。面白い。なら提案しよう。三日後、技術ギルドで公開審査会だ。お前の“基準”とやらを示せ」
公開審査会。
つまり見世物。潰す舞台。
だが、同時に――街に示す舞台でもある。
蓮は迷わず頷いた。
「いい。そこで証明する。魔力回路は、施工不良だってな」
ヴァイスの目が冷たく光った。
「では三日後に。……生きて来られたら、だが」
嫌な含み。
脅し。事故に見せかけた排除。
ガルドが前に出ようとしたが、蓮が手で制した。
「隊長。水を守る仕事に戻れ。俺は――“安全”を作る」
街の人々の目が変わっていく。
昨日は火事。今日は水。
命に直結する二つを救った男として。
蓮は揚水塔を見上げ、決めた。
三日後の公開審査会までに、
この塔を“再発しない設計”に作り直す。
そして、この街に――ブレーカーの概念を植え付ける。




