第1話|魔力は漏電する
現場一筋の電気工事士・相良蓮は、作業中の事故で命を落とした――はずだった。目を覚ますと、そこは魔導具が生活を支える異世界。だが、その“魔力回路”は危険だらけだった。絶縁も保護も接地もない。漏れた魔力は人を焼き、家を燃やし、街を停電させる。
蓮は悟る。「これは魔法じゃない。施工不良だ。」
知識と経験、そして現場で鍛えた故障診断の勘を武器に、彼は一つずつ不具合を潰していく。感電事故を止め、火災を防ぎ、闇を照らす。やがて“安全”という概念を持たない社会に、保護回路と遮断の思想を持ち込んだことで、ギルドや貴族、教会の利権に踏み込むことになる。
魔法文明を“工学”で点検し、修理し、再設計する――異世界電気工事士のインフラ革命譚、開幕。
最初に聞こえたのは、焦げた匂いだった。
それと――耳の奥を刺すような、甲高い“唸り”。
「……ここ、どこだ?」
相良蓮は、石畳の上に仰向けで転がっていた。空は青い。建物は中世風。通りを行く人々は……ローブだの革鎧だの、どう見てもコスプレの範疇を超えている。
夢にしては匂いが生々しい。焦げの匂いは、肺の奥に張り付くほど濃い。
「誰か! 止めて! 誰かぁ!」
叫び声が、路地の奥から飛んできた。
次いで、ぱちぱちと爆ぜる音。炎の舌が、壁越しに揺れている。
蓮の体が先に動いた。考えるよりも早い。現場はいつもそうだった。事故は、迷った瞬間に人を奪う。
路地に飛び込む。木造の小さな工房が燃えかけていた。出入口には人だかり。誰も近づけないでいる。
「中に子どもが……! 魔導灯が暴れて、火が……!」
若い女が泣きながら叫ぶ。周囲の男が、怯えた顔で首を振った。
「魔力が漏れてる! 近づいたら焼かれるぞ!」
「魔法使いを呼べ! 遮断は無理だ!」
遮断? 無理?
蓮の脳内で、危険の警報が鳴り響く。
燃えているのは灯り――魔導灯。電気で言えば照明器具だ。だが、その根元から青白い火花のようなものが飛び散っている。人々が“魔力”と呼ぶ何かが漏れ、空気を焦がし、木材に火を移していた。
――漏電。
言葉が、喉の奥で確信になった。
「水は!? バケツ!」
「水じゃ消えない! 魔力の火だ!」
「関係ない。延焼を止めるために要る!」
蓮は叫び、周囲を睨む。現場の声は、強く出すと通る。迷いが混じると誰も動かない。
何人かが慌てて井戸へ走った。バケツが運ばれる。
その間に蓮は、工房の入口へ一歩踏み込もうとして――足を止めた。
空気が、痺れている。
皮膚がぴりぴりする。近づきすぎれば、感電する。
蓮は地面を見た。石畳の隙間に、黒く焦げた跡が走っている。漏れた魔力が“道”を作っている。導体になるもの――金属、湿った木、濡れた布。そこを伝って人を焼く。
(接地がない。保護がない。絶縁も怪しい。……これ、設計が終わってる)
蓮は自分の服を見る。作業着ではない。粗い麻の服。腰に小さな革袋がある。中身を探ると、鉄製の小ナイフと、何かの布紐。役に立つものは少ない。
だが――現場は“あるものでやる”しかない。
「子どもはどこにいる!」
「奥の部屋! 工房の奥だよ! でも――」
女の言葉は、爆ぜる音にかき消された。
魔導灯の根元が、まるで破裂したように光った。熱が、顔を撫でる。
やばい。次で天井に燃え移る。
「みんな下がれ! 入口から三歩以上離れろ!」
「な、なんで――」
「いいから!」
蓮は叫び、同時に地面に布紐を這わせるように伸ばした。
狙うのは“魔力の道”だ。漏れている力が伝っているライン。そこを断てば、少なくとも入口付近の危険が減る。
布紐の先に、小ナイフを結びつける。重りにして投げるためだ。
(雑でもいい。距離を取る。まず安全域を作る)
蓮はナイフ付き紐を、焦げ跡の上へ放った。
ぱちっ、と音がして布紐が弾かれた。だが、次の瞬間、焦げ跡の光が弱まる。
「……いける」
布が湿っていないのが幸いした。もし濡れていたら、こちらが持っていかれる。
蓮は距離を保ったまま、紐を石の割れ目に挟み込むように引き、焦げ跡の“道”を迂回させた。電気で言えば、危険な接触を避けて導線の経路を変える応急だ。
「水、来た!」
「床と壁! 燃えてる木だけ狙え!」
蓮は的確に指示を飛ばした。魔力の火が消えなくても、延焼は水で止められる。温度を落とし、可燃物を濡らし、燃え広がる速度を下げる。
そして――次は本丸だ。
魔導灯の根元。そこに、歪んだ金属の輪が見える。たぶん“魔力回路”の接続部。
近づけば焼かれる。だが、遮断しない限り火花は止まらない。
(ブレーカーがないなら……作るしかない)
蓮は周囲を見回した。工房の壁に、金属の工具が掛かっている。ペンチのようなもの。だが入口に近すぎる。今の安全域から出たら危険だ。
代わりに、地面に落ちていた鉄の棒を拾った。
先端は曲がり、錆びている。これで“触らずに”引っ掛ける。
蓮は息を整える。
脳内で、工程が並ぶ。
①延焼抑制
②安全域確保
③遮断(回路の分離)
④救助
工程を飛ばすと事故る。
現場は、手順が命だ。
「誰か! 濡れてない厚い布、持ってこい!」
「こ、これでいいか!」
投げられた布を受け取る。乾いている。
蓮は鉄棒の持ち手に布を巻きつけた。絶縁のつもりだ。完璧じゃない。だが“素手よりはマシ”だ。
そして一気に踏み込む。入口の三歩。
空気が痺れる。髪が逆立つ感覚。皮膚が熱を覚える。
(くそ、強い……!)
蓮は鉄棒を伸ばし、魔導灯の根元の金属輪に引っ掛ける。
狙いは“外す”こと。接続が外れれば回路が切れる。どんな回路でも、供給が止まれば止まる。
ぎりっ、と鉄が擦れる音。
次の瞬間、青白い火花が鉄棒を伝って跳ねた。
蓮の手が震える。布越しでも刺すような痛み。
だが、離したら終わりだ。
「……っ!」
蓮は歯を食いしばり、鉄棒を引く。
金属輪が、外れた。
光が、消えた。
唸りも、止んだ。
工房の中が、急に静かになる。
燃えていた炎は、まだ残るが――“暴れていた火花”が消えたことで、勢いが落ちた。
「止ま……った?」
「い、いま……何をした?」
周囲のざわめきが遅れて耳に入る。
蓮は息を吐いた。膝が少し笑う。だが、まだ終わっていない。
「中に入る! 子どもを出す! 入口の水は続けろ!」
蓮は工房へ駆け込んだ。
煙で視界が白い。壁際の棚が燃え、木材がぱちぱちと音を立てる。
「おい! いるか! 返事しろ!」
奥の部屋。
小さな影が、机の下で震えていた。少年だ。目が真っ赤で、涙と煤で顔が汚れている。
「こっちだ! 来い!」
少年は立ち上がろうとして、よろけた。
蓮が手を伸ばす。
その時――背後で、嫌な音がした。
キィィ……と、金属が鳴る。
さっき外したはずの金属輪が、床を転がり、別の金具に触れた。偶然の接触。回路の再接続。
(最悪だ、逆流する!)
蓮は少年を抱え上げ、反射で身を翻す。
次の瞬間、青白い火花が床を這い、蓮の足元を掠めた。
熱い。
だが、致命傷じゃない。
「走れ!」
蓮は少年を抱えたまま入口へ突っ切った。
外に出た瞬間、誰かが少年を受け取って泣き崩れる。
「生きてる……! ありがとう……っ!」
蓮は振り返る。
工房の内部では、再び火花が散り始めていた。さっきの遮断は“応急”。完全に止めるには、回路そのものを安全に作り替える必要がある。
そして――ここで確信する。
この世界の魔導具は、危なすぎる。
人が死ぬ設計だ。いつか、もっと大きな事故が起きる。
蓮の指先が、まだ痺れている。
あの感覚は忘れられない。最期の現場で、止められなかった事故の痛みと同じだ。
「……俺が直す」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
ただ、胸の奥で何かが決まった。
その時、背後から低い声がした。
「今の“遮断”。お前、どこの術式を使った?」
振り向くと、黒い外套の男が立っていた。
胸元には、歯車と稲妻を組み合わせた紋章――技術ギルドの印だろう。
男は、蓮の手元(布を巻いた鉄棒)を見ている。
そして、ゆっくり笑った。
「面白い。……そのやり方、誰に教わった?」
蓮は、答えを飲み込んだ。
ここで正直に言えば、利用される。現場の勘が警告している。
男は続けた。
「うちの工房に来い。報酬は出す。……ただし条件がある」
「条件?」
「お前の“遮断”を、ギルドに登録しろ。独占だ」
独占。
利権。
この世界の“安全”は、商品になる。
蓮は、息を吸い――静かに言った。
「断る。安全は独占するもんじゃない」
男の笑みが消える。
代わりに、冷たい目が宿った。
「なら、お前は明日から“無資格の危険人物”だ。街で仕事はできない」
蓮は、胸の奥で火が点くのを感じた。
魔導灯の火花とは違う。もう一度事故を見逃さないための、怒りの火だ。
(――よし。やるなら徹底的にやる)
蓮は工房の燃え跡を見た。
そして、この街の灯りを見た。
暗い。危ない。非効率。
直す理由しかない。
その夜――蓮は決める。
この世界に、“ブレーカー”を作る、と。




