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【短編小説】かえで通り

掲載日:2025/12/17

 それは一瞬の出来事だった。

 だから俺にできる事は少なかったんだ。

 何が悪かったのか俺には分からない。

 だがそれは実にゆっくりと始まった。

 そう、まるで林間学校のフォークダンスやデイケアのババァたちがやる手足の運動みたいに。



 まずハザードを焚いて路肩に停まった自動車を追い越そうとした別の自転車が大きく湾曲した。

 ハザードで予告できない馬鹿と車間距離を詰めすぎた馬鹿の為せる業だ。

 その際に後ろから来たバスの運転手が苛立ったのかクラクションを鳴らした。

 薄給プロレタリアが見るのは路上の馬鹿ばっかりだ。仕方ない。

 その糞クラクションに驚いたのか散歩中の犬が吠えて、犬のそばを通りかかった幼女が怯えて泣いた。



 つまりそこは気狂いの解放治療場を凝縮させた空間だった。

 まともな奴は誰ひとりいない。


 全ての事象が同時に起こった。

 俺にはどうしようもなかったし、俺に出来る事は何も無かった。

 俺は画面の中で身を捩る女を見ていた気もするし、その女の傍にいる男と同期しない様にしていた気もする。

 ただそこに居る、それが俺に出来る唯一の事だった。

 イメージの問題だ。

 だから部屋の中と外が繋がっていたって問題は無いし、もしかしたらそれはマジックミラー号かも知れない。

 


 とにかくそうなった。

 事故にはならなかった。

 誰も死んだりしなかった。

 よく死ななかったと思う。

 そうだ、人はいつだって死ぬ。

 どの瞬間にだって死ぬ。


 泣いた幼女は母親にしがみつき、吠えた犬は飼い主にリードを引かれ、バスの運転手はアクセルを踏み込んで自転車を追い越し、自転車に乗った青年は大きな声で「っしゃあすおぉるぁったらおお」と叫んだ。

 それは恐らく日本語だが俺には聞き取れなかった。

 俺に出来る事はこうやって文字に起こす事だけだ。

 または画面の中で腰を振る男と同期しないようにコントロールする事だけだ。

 そのふたつは同時に発生している。


 だから自転車の青年は自殺をしていたし、バスの運転手は強盗をしていたし、犬は幼女を噛み殺したし、幼女はオンナになって母親を超越していた。

 構わない。

 誰が壊したんだ?

 俺はアパートの部屋から世界を見下ろしている。

 俺は画面の中で身を捩る女を見ている。



 自転車に乗った青年はバス停にいるバスを右から追い越そうとした。

 そして運転席にもう一度「っしゃあすおぉるぁったらぉお」と叫びながら蹴りを放った。

 だがその蹴りは窓ガラスにではなく車体に当たり、青年はバスから遠ざかって蛇行した。

 質量は正義だ。

 青年がブラックホール並みに圧縮された質量でもない限りバスに勝つ事は出来ない。

 少なくともバスよりは巨大な質量である必要がある。



 弾き飛ばされた青年は対向車線を走る巨大な陰毛の塊に薙ぎ倒された。

 青年が乗っていた自転車は陰毛の塊に絡めとられてしまった。

 青年は取り残された。

 バスの運転手が降りてきて青年の頭に手のひら程の小さいカジキマグロを数匹投げつけた。

 ブルに刺さったのか青年は「っしゃっしゃっしゃあすおぉるぁったらおお」と言った。

 パニッシュメントだ。

 カジキマグロは鮮度を失って死んだ。

 青年も死んだ。

 犬がひとつ遠吠えをして、幼女がその真似をした。

 



 運転手はバスに戻った。

 そしてバスは行先を「循環ヴァジャイナ」とした。

 俺はそれを見て胎内巡りだなと思った。

 それがどこかは分からないけど、行けたら良いなと思ったのは確かだ。

 そのバスに乗っているのが老人ばかりなのはそういう事かも知れない。

 それがどういう意味なのかは今となってはもう分からないけれど、その瞬間にそう思ったと俺の左手にはメモがしてある。



 犬が吠えた。

 バスは停留所を離れていく。

 かつて幼女だった存在は既に老婆になっており、かつての彼女によく似た少女に手を引かれて歩いていた。

 かつて幼女だった老婆は、片手にストックを持っていた。

 老人は歳を取るとストックを持つ。だから滑り知らずだ。

 あの犬は、だからもう犬ですら無い。



 ようやく動き出した時間の中で、駅前のロータリーを回ってきた巨大な陰毛の塊が転がってくるのを見ていた。

 青年が乗っていた自転車が円を描いている。

 そして路肩に停車したままの車に刺さり、悲しそうにチリンとベルを鳴らした。

「はい、どなた」

 かつて幼女だった老婆は振り向いて笑った。

 俺は心の中で「お前じゃねぇよ」と言うと、老婆はストックに仕込んでいた刀で俺を斬った。

 だから俺はいまこうして天を見ている。

 右手は陰茎を握ったままだ。

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