親愛と あせぬ想いの ザッハトルテ
『サチと友達になりたかっただけなのに……!』
絞り出すようにして言ったその言葉を最後に、私の意識は薄れ消えていった--
--はずだった。
「--ぅく、はぁ、はぁ……ゆ、夢?」
悪夢で飛び起きる事なんて、今までにも何度もあったけど。
今回の夢は、何もかもが鮮明で、夢特有の曖昧な感じもなくて……刺された胸の痛みすらもしっかりと思い出せてしまう程だった。
「とりあえず、シャワー浴びよう……」
滝のように流れる冷や汗が、パジャマ代わりにしているシャツやハーフパンツをぐっしょりと濡らしていている気持ち悪さに、思わず顔をしかめながらお風呂場に向かう。
震災で家も家族も全てを失った私は、生活補助の一環で与えられたアパートの一室で暮らしていた。
最低限生活ができる程度に整えられたその部屋は、まるで私の心と同じようにモノクロで、殺風景さばかりが際立っている。
「……さっきのは、夢だよ。 せっかく友達になれたのに、あんなことになるわけ--」
自分に言い聞かせるように溢れた小さな呟きは、汗を洗い流すシャワーの水音に書き消されていった。
「これも、記憶にある……」
「ん? どうかしたの、綾世?」
「あ、ううん、なんでもない。 ごめん、ボーッとして」
首をかしげる幸美に、慌てて言い繕う。
そうして視線を戻すと、硬い表情で椅子に座る一人の男子生徒がいた。
緊張しているのか、膝の上で握った拳が小さく震えており、あの“夢”がなければ、「かわいーねー」なんて言ってからかっていたかもしれない。
でも、あの夢では--
今目の前にいる彼が私達の前に現れた時から、全ての歯車が狂い始めたように感じた。
だから--
なるべく関わらないようにしよう。
別に2人が付き合い始めたって、私と幸美が友達じゃなくなる訳じゃないのだ。
そう。
少しだけ、独占できる時間が減るだけ。
そう思って、夢と同じように、天文部への入部を認め、夢で見た展開をなぞるように3人での活動をして行った。
そして、運命の日--
「朔君に告白されて、付き合うことになったんだ……」
申し訳なさそうに、それでいてどこか嬉しそうに、幸美は真部君と一緒に報告にやって来た。
「--っ……そう、なんだ。 おめでとう」
咄嗟に口をついて出そうになった罵倒を必死に飲み込んで、静かに祝福の言葉を口にする。
「……ありがとう、綾世。 ほんとは、もしかしたら部活追い出されるかもって、覚悟してた」
「……そんなわけないじゃん。 友達、でしょ?」
そう。
追い出したりなんかしない。
そんな事をしたら、あの夢と同じようになる気がして……そんなのは嫌だった。
「うん、今まで通り仲良くしてね?」
「なら、彼氏ばかりにかまけず、私の事もちゃんとかまってよ~?」
そうやって笑い合いながら、私は、きっとあの“夢”とは違う結末になると--
--幸美とずっと、友達でいられるのだと、思っていた。
上手く噛み合っていた歯車が狂い始めたのは、夢で私が殺された日まで後5日に迫った頃。
「え? 私に相談?」
「はい……幸美先輩の事で……」
部室で、真部君が寄付してくれた望遠鏡をメンテナンスしながら、「やっぱり来たか……」と内心でため息をついた。
夢では「最近上手く行ってない、愛し合いたいのに拒否される」と相談を受け、そのまま彼と一線を越えてしまった挙げ句、真部君が罪悪感からか自らの命を絶ち、私は憎しみに染まった幸美に惨殺される羽目になったのである。
今回は、2人が付き合い始めても、そのまま3人で部活を続け、夢で見たより上手く行っているとは思うけど、油断はできなかった。
「……ごめん。 私じゃ力にはなれない」
「--っ!? ……わかり、ました。 すみません、突然こんなこと……」
断られる、とは思ってなかったのだろう。
一瞬だけ目を見開いて驚愕の表情を浮かべた真部君が、ガックリと肩を落とした。
その三日後。
彼は自宅で首を吊って亡くなったらしい。
私は天文部の顧問である先生から彼の訃報を聞かされ、目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。
なんで?
上手く行ってたはずなのに。
どこで間違ったの?
答えの無い問題を出された時のように、頭の中で“なぜ?”がグルグルと渦を巻く。
そして、翌日の夜。
天文部の仲間だったと言う事もあり、私と幸美の2人は真部君の通夜に参列していた。
棺に納められた彼の表情は穏やかで、それこそ「おはようございます、先輩方」と目を覚ましそうで……
それを見てわんわんと泣く幸美は、本当に彼を大事に思っていたのだと実感した。
高校生と言う事もあって、遺族としばらく話した後、早めに帰る事になった私達は、2人とも無言で家への道中を歩いていたが、ふと思い出したように、幸美が声をあげる。
「ねぇ、綾世。 私、まだ信じられないよ。 一昨日まで、話してたのに……こんな」
「……そう、だね。 私も、彼からサチとの事を相談したいって言われた時は、まさかこんな事になるなんて--」
そこまで言った所で、私は言葉を詰まらせた。
私の方へ、グリンっと顔を向けた幸美の顔が、まるで仇でも見るかのように歪んでいたから……
「……どう言う、こと? 私との事を相談って?」
「な……内容までは知らないよ! 力になれないと思うって、断っちゃったから」
ウソだ--
ここまでずっと、少し変わった所はあれど、あの“夢”で見た出来事が起きていた。
それなら、あの時彼がしようとした“相談”を、きっと私は知っていると思う--
「じゃあ朔君は、悩みを誰にも相談できないまま、それが苦しくて死んじゃったって言うの!? 綾世が相談に乗ってあげてくれてたら--」
悲鳴混じりの幸美の言葉に、ブチッと何かが切れる様な音がした気がした。
「--だったら、あんたに拒絶され続けて辛い、とかそんな話を聞かされて、私があんたの代わりに体で慰めてあげたら良かったの!? それで彼が死なずに済んだとして、あんたはそれを許せるの!?」
ちがう……
こんな事が言いたかったんじゃない……
「それ、どう言う--」
「だいたいあんたが、甘えてくる真部くんを拒絶し続けたのが原因でしょ!」
ちがう……ちがう……
「……そんな! 私にだって、心の準備とか--」
「そうやって、もう少しだけ待ってって期待だけ持たせて、逃げて、逃げて、逃げ続けて、その度に彼を傷付けたのはあんたでしょ!?」
ちがう、違う、チガウ……
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。
「あんたがちゃんと、彼を見てあげてれば、もっと別の結末だってあったんじゃないの!?」
「……もぅ、もうやめてよ!」
「--っ!?」
幸美の肩を掴んで怒声を上げる私を、彼女はイヤイヤと頭を振り泣き叫びながら突き飛ばす。
突然の事にバランスを崩した私が、車道へと倒れ込むと同時--
空気をつんざく様なブレーキ音と甲高い悲鳴が聞こえたかと思うと、私の身体が強い衝撃に軋みを上げ、視界が真っ赤に染まったのだった。
「--っ! はぁ、はぁ……ま、また夢?」
心臓が早鐘を打ち、冷や汗でべたつく身体を奮い立たせるように起き上がると、枕元のデジタル時計を見る。
「また……ここからなんだ……」
そう。
今日は私が、理系クラスから文系クラスに編入した日だ。
前回もこの日から始まったし、もしかしたら、夢じゃなくて本当に経験したことで--私が死んだ事で過去に戻されてるのかも。
そんなワケない、って頭では否定しながらも、心のどこかでもしかしたら、と感じていた。
だって、もしそうなら、誰も死なずに、みんなと仲良くできる未来にたどり着けるかもしれないのだから--
.
.
.
どうして?
なんで上手く行かないの?
一度目は幸美と付き合っていた真部君と関係を持ってしまった。
だから二度目はその真部君を遠ざけた。
三度目は真部君の入部を断った。
幸美と付き合い始める前に、真部君に告白した。
男と比べて、女の初体験は一大事なのだと説得してみた。
付き合い始めた2人の代わりに、私が天文部を退部した。
なんども、なんども、繰り返す時の中で、思い付く限りの“未来を変えうる”行動を取ってきた。
それでも--
「--また、ダメだった……」
何度繰り返したかも、もうわからない。
繰り返し中で、同じ結末を迎えた事も一度や二度じゃなかった。
それでも、前回より少しでも上手くやれる事を励みに、日数で言えば既に数年間、今日まで繰り返し続けていたけれど--
「もう……ムリだよ……」
繰り返しと言う状況のため、歳も取らずに身体は若いままだが、精神面はそうも行かないようで、何度も何度も死と共に同じ時を繰り返してきた私の心は、擦りきれそうな程に摩耗していた。
私は、サチと友達に……“親友”と呼べるような関係でいたかっただけなのに。
「もう、思い付く事は全部試しちゃったな……。 あ、いや、1つだけ--」
--まだ1つだけ、今までどうしても選べなかった選択肢が残っていた。
それは私とサチの“始まり”だったから、無かった事にはしたくなくて。
でも……
もういいや……
もう、疲れちゃった……
「理系クラスから転入しました新滝 綾世です。 よろしくお願いします」
何度やっても、サチとは友達でいられなかった--
「あの、私もお昼ご一緒しちゃダメかな?」
「いいよー。 あ、じゃあ机くっつけようか」
「新滝さん、理系クラスのイケメン情報ないの~?」
だから、私は今回になって始めて、サチに……森久保さんに声をかけなかった--
本当なら今頃、2人でお弁当を食べながら、互いの事を話した。
本当ならその後、天文部に誘って星を眺めながら語り合った。
本当なら--
たとえ短い間だったとしても、胸を張って親友だと呼び合える仲になれていた。
本当なら--
本当なら--
本当なら--
これまでに何度も繰り返して来た日々に、必ずいた存在。
そんな相手が、まるで自分の世界から消えてしまったように感じて--
今更ながらその大きさを、改めて実感してしまった。
「やっぱり私、サチの事、大好きだったんだなぁ……」
一人でぼんやり歩く帰り道、じわりと浮かんで来た涙が溢れないように、空を仰ぎながら大きく息を吐く。
その時--
「あ……あの店--」
駅の片隅にある一軒の喫茶店が目に映った。
そこは、繰り返す日々の中で、サチに誘われて何度か行った喫茶店。
『綾世、奥の席行こ! 私の定位置なの』
何かに導かれるように店の中へと足を踏み入れた私を、思い出の中のサチと、そんな彼女に手を引かれる私の幻影が追い抜いていき、いつもの場所へと駆けて行く--
『ここのイチオシはザッハトルテなのよ』
私は、懐かしむようにゆっくりと店内を進み、私と同じ場所に座って、彼女のお気に入りだったザッハトルテを注文した。
『ね? 美味しいでしょ?』
「うん……おいしい……」
甘いものが好きだった私は、どうせ頼むならモンブランやミルクレープがいいな、と毎回思っていたハズなのに--
今は、ビターチョコの風味にアプリコットジャムの酸味が爽やかなザッハトルテの甘酸っぱさが、何故かとても心に染みてくるようで--
「あれ? あなた確か……新滝さん、だったよね? あなたもここのザッハトルテ好きなの?」
何度も何度も失敗して、いつしか嫌いになりかけたザッハトルテだったけど--
「……うん。 大好きな友達に、教えて貰ってから気に入ってるんだ。 森久保さんも、好きなの?」
今日食べたこの味は、きっと一生忘れない--
そう強く感じたのだった。